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小説『Endless story』#8-5

#8-5【カージュ】

 

 

 

 ごぼり、と口の端からわずかに気泡が漏れた。

 重い瞼を薄く開くと、寝ぼけた脳に雑音が飛び込んでくる。

 水の中かと思った空間は、間違いでもないが正解でもないらしい。培養液とでも言えばいいのか、薄緑の液体に自分の身体は浸されているようだ。液体の中でも、呼吸は出来る。酸素が溶け込んでいるのか、苦しいとは感じない。

 よく見れば、自身の至るところに大小のチューブが接続されている。それらはカプセルの外まで続いているらしかった。……――なるほど、ここはカプセルの中か。

 カプセル越しに白衣を着込んだ男たちが慌ただしく動いており、何やら計器を操作していた。目を開いたこちらに興味もくれず、ただ淡々と指先を動かしている。

 

「…………! ……最終シーク……開始!」

 

 声が、断片的にだが聞き取れた。

 身体に繋がれている管の先から「何か」が流れてきた。

 赤黒い、一目で有害だと分かる、液体あるいは光状の何か。それは幾つものチューブを経由して、自身に流れ込む。

 心臓が強く脈打った。

 チューブの刺さった箇所から、筆舌に尽くしがたい激痛が生じる。しかし抗うどころか、なぜか指先ひとつも動かせない。声帯すらも培養液に満たされた空間では意味をなさない。……――なるほど、動くのは首から上だけか。こんな状況でもどこか冷静な自分の思考を、いっそ自嘲したくなる。

 流し込まれた「何か」が、自分の思考を、自我を、すべてを喰らおうとしてくる。自分に取って代わろうとする。自分に成り替わろうとする。自分を殺そうとする。

 しかし飛びそうになる意識を激痛で繋ぎ止め、薄く、嗤ってやった。

 

 ……――違う。喰われるのはお前の方だ、と。

 

 流れ込む「何か」が、喰い荒らそうとしていた動きを止める。……――そうだ、それでいい。この身体の持ち主は自分であり、お前ではない。

 そう主張してやると「何か」は激昂するように、更に身体を蝕んでくる。しかし激痛にさえ、もう慣れた。

 

「……値異常! り、臨界……ます!!」

 

 外からの囀りが五月蠅く感じたので、手を伸ばす。自分を囲む、透明なカプセルの壁へ。自分を閉じ込めていた「檻」は砕け散る。白衣の男たちが目を見開く。流れ出た培養液と共に、自身の身体が外気に触れるのを感じた。

 手を、腕を、指先を動かす。体表に刻まれた紫色の紋様が気になったが、どうやら身体は自在に操れるようだ。

 

「や、やぁ。お目覚めかな。気分は、どうだい?」

 

 意識を考えごとから戻すと、ひとりの男が近づいてきた。カプセルの中で目が合った、あの男だ。引きつった笑みから、緊張と期待が読み取れる。

 白衣を着た男、機材で敷き詰められた部屋……――なるほど、先ほどまでの一連は実験であり、自分の身体は「成功体」といったところか。

 

「か、身体は大丈夫かな? 何かおかしなところは無いかな?」

 

 男が声をかけたのは、単純にこの身体が……「成功体」が大切だからだろう。

 酷く、苛ついた。

 感情のまま男に手を伸ばし、その顔面を掴む。くぐもった声と息が手のひらに当たり、湿った感触が広がった。それさえも、不快だった。

 そのまま腕力だけで男を引き寄せ……――自分の後ろにあった、今は残骸となっているカプセルの尖った断面に、全力で叩きつける。断面は首へ深々と突き刺さり、温かく粘度のある血液が辺りに飛び散る。

 わずかに痙攣する男の頭から手を放し、軽く振って血を落とす。

 突然の異常事態に、武器を構えた研究員たちが立ちはだかる。思わず口角が上がって、牙を剥くように嗤う。

 ああ……――最悪な気分だ、と。

 そう強く思いながら、自分を取り込もうとしたダークファルス【群狼】も、自分が生み出された研究所さえも、すべて逆に喰い荒らし、蹂躙し征服し仕留め尽くし。

 死体の山と血だまりの池の中で「私」は産声を上げた。

 

 

 

 

 

 

「良いか聞け、小娘。私は私の意志で【群狼】の因子を捻じ伏せた」

 

 社長を、青紫色の闇が包んでいく。しかし一片の動揺もせず、ユカリに言って聞かせる。

 とぷり、と空間に浮かんだ闇色の穴から経理と呼ばれる少女と、営業と呼ばれている男……ホールの姿が現れた。経理は両手に幾つもナイフを携え、ホールは懐から二挺の拳銃を取り出し。

 

「余計な手を出すな」

 

 しかし社長の一声と共に静止する。

 秘書は……アルーシュはあくまで動じも驚きもせず、ただ、社長を見た。社長も秘書を一瞥したようだったが、何も言わずに、またユカリを見下ろして告げる。

 

「貴様はダークファルスの幻創種ではない。しかし、やることは同じだ。その意志の力で以て、支配を打ち消せ。自分を受け入れた『群れ』を思い出し、しがみ付き、何が何でも抗え。それこそ――貴様が『生きる』ための術だ」

 

 社長室に青い突風が吹き荒れる。

 窓ガラスが割れて、突風と外気が入り乱れる。強烈な圧力を前にして、営業も、秘書も、アーテルも辛うじて踏み止まる。

 しかし吹きすさぶ風が止み、ようやく目を開けるようになった頃……そこに社長の姿は見当たらなかった。突風で飛ばされたというコトなど、あの社長に限ってあり得ない。

 つまり、ユカリの中に潜んでいる何者かによって、社長も拉致されたのだ。

 経理は軽く舌打ちをした。営業は額を押さえてため息をついた。秘書は何も言わずに、ただ窓ガラスの先に広がる、市街地の青い空を見つめていた。

 アーテルも「やってくれたわねェ……」と悪態をつき、そして、ユカリは――……。

 

 

 

 

 

 

「あなたは誰……?」

 知らなくても良かったのにな。私は、あなただよ。

「それは違うでしょ」

 違う?

「そう。だってあなたが私なら」

 

 一瞬だけ、息をためた。

 周りには灰色の墓石みたいなビル群と、澄み渡った青空が広がる、あの日のあの場所で、私は真正面の「そのヒト」に向かってきっぱりと告げる。

 

「私の幸せを妬んだりは、しないでしょう?」

 

 明確に、何かの割れる音が聞こえた。

 しばらくの間、風の渡ってゆく音だけが、笛の音のように響いた。

 やがて近いような遠いような、けれど腹の底から揺るがすような地鳴りが聞こえてくる。それらが何なのか、なんて問うべくもない。

 その人の、狂おしいほどの嫉妬と憤り、そして激昂だ。今までずっとずっと抱え込んできていた怒りが、大挙し押し寄せる音だ。奈落より深い絶望の嘆きが、顔を覗かせたのだ。

 

 ……――あなたなんて、生み出さなければ良かったッ!

 

 あまりにも悲痛な、絞るような叫び。それと共に、私は何もかも思い出す。

 あの日の屋上。私が自殺を試みた、マンションの屋上。凹凸の地平線が空とつながっていることに気付いた私は、前から吹き抜けた突風に目を瞑った。

 再び目を開いた私が見たものは、空から降り立つ、ひとつの人影。

 

「あなたの正体はッ――……!」

 

 言い切るよりも前に、そのヒトがかざした手から、空間に黒いヒビが広がっていく。

 屋上もビル群も何もかもが崩れ去って、全てが夜より深い漆黒の闇へと塗り替えられていく。私はあっけなく、崩れ落ちていく足場と広がる闇に飲み込まれる。

 だが、気のせいだろうか。そのヒトがかざした手は、まるで――……。

 

 

 

 

 

 

「ユカリ、大丈夫!?」

「……――え、あ」

 

 我に返った私が居たのは、突風で蹂躙された社長室。しばらく呆然としていたが、自分の頬に何か伝っていると気付く。それは、どうやら涙だった。

 何も言わずに拭いながら、先ほど現実に起こった事態と……今しがた見た白昼夢の全てを理解する。いや違う、あれは白昼夢なんかではない。

 あれこそが、全ての答えだ。

 

「社長が拉致されて、しかもユカリまでしばらく立ったまま気絶したみたいに呆然としたままだったのよォ。大丈夫? 変なところとかないかしらァ?」

「わ……私は大丈夫です、それより……社長が……」

 

 ついに私のせいで社長までもが巻き添えになってしまった。可能性を考えていなかったワケではないけれど、よもやここまですぐにとは思わなかったのだ。

 考えが甘かった。自責の念に駆られそうになった、が。

 

「何言ってるネ。あの社長はそうそう簡単に捕まったり、ましてくたばるようなタマじゃないアルヨ」

「えっ」

「むしろしばらく居ないくらいの方が俺もようやく休めて……」

「営業、その発言は後で社長に報告しても良いアルな?」

「今のは無かったことにして!」

「えっえっ」

 

 思ったよりも、というより拍子抜けするくらいに、というよりも、むしろ……この場に似つかわしくないほどあっけらかんとし過ぎていないか、このヒトたち。

 

「えっだって社長が……あれっ?」

「どちらかと言えば割れた窓の損害と、そして外へ散らばっていった書類の方が問題ネ」

「また俺の仕事も増えんのかな……嫌だなあ……」

「秘書サンもさっき窓の外を見ていたのは、そういうコトかしらァ?」

「ええまあ。特製の防弾・防フォトンガラスに、企業秘密の書類……決して安くないので」

 

 さっきとは別の方面で申し訳ないというか、いたたまれなくなってきた私の方へと秘書……アルーシュが声をかけてくる。

 

「社長が私たちに、余計な手は出すなと言った。全て社長も考えがあってのコト。そして不在の間、DFco.を私たち自身に委ねるという信頼。だからユカリは心配することも、変な申し訳なさも感じなくていいの。私たちは私たちのすべきことをするだけ。ユカリにも、やるべきことがあるのでしょう?」

 

 私に言い聞かせる彼女の、薄荷色の瞳からは芯の強さを感じた。見ればホールも八重歯を見せ笑いかけており、経理も涼しげな表情のまま、どこからか取り出した扇子でゆったりと自分を扇いでいた。

 どうして、ここまで動じずに居られる。どうして、ここまで互いを信頼し合えるの。

 私の内側から、強烈な疑問の言葉が紡がれる。けれど、それは私であって、私ではない。先ほどハッキリと認識したばかりだ。なので、気にも留めないフリをする。

 

 そうだ。つまり彼女たちは、ただ私のすべきことに向き合え、と背中を押しているのだ。脇目を振らず、自分の果たすべき責任を果たせ、と。少なくともそれは、ここで自責の念に駆られるということではない。

 社長は取引を受け入れ、私の中に巣食う「彼女」を制御するヒントを与えた。その期待に応えてみせろ、というコトだ。

 よくよく見てみれば、秘書の指先は力強く握られ震えている。さっきの言葉が嘘というワケでもないだろう。しかし彼女もまた社長が目の前で消えて、やはり不安なのだと分かった。

 そうならば、それこそ私がここで立ち止まるワケにはいかないじゃないか。強く、強く唇を噛む。そして深呼吸をひとつして、自分を落ち着かせる。

 嘆いている場合じゃないんだ。

 

「社長が居なくなる直前に言った意味、アナタには理解できたかしらァ? 正直なところ、アタシにはさっぱりだったのだけれどネ」

「……――はい。今の私なら、ちゃんと分かります」

 

 アーテルの言葉に、素直な返事を返した。

 

「そして、すべて、何もかも、思い出しました。私がオラクルへ送り込まれた理由も……私の正体が、いったい何者なのかも」

 

 アーテルとアルーシュが少し驚いたように目を見開く。二人の目を交互に見返しながら黙って頷いた。嘘でも冗談でもないことが伝わったようで、アルーシュは「そうなのね」とだけ呟く。私の表情から察したのだろう、あくまで「よかった」とは言わない。

 

「じゃあ、これからどうする?」

 

 アルーシュの問いかけに、私はもういちど静かに頷く。

 これから私がどうすべきなのかは、明確に理解していた。

 

「地球へ、東京へ行きましょう。全ての元凶と対面し、決別するために……」

 

 

 

 

Chapter8『ロゴスなきワールド』End.Next『#9-1』

 

 

 

※今回更新分を執筆するにあたって、月砂氏の短編から一部を引用しました。許可をくださった月砂氏に、この場を借りてお礼を申し上げます。

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