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目次 / 第二章 / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 第四章 |
手の内からこぼれる世界 |
7《闇》が引き寄せられるようにやってきた。ゆっくりとした動作で校舎の壁を登って、俊樹の前に進み出ていた。曲が最後まで吹かれて、そして俊樹が笛を口から離した。周りの球から流れていた音楽も止まる。 「……怖かったんだよね」 《闇》がそのゴリラのような巨体に似合わず、びくりと震えた。 俊樹は今、STも使って《闇》に話しかけていた。俊樹がゆっくりと《闇》に近づいていく。 「突然目が覚めたら、そこには自分を怯える人達ばかりで、なぜ自分が生まれたのか、なぜそんなことをしなければならないのか解らずに人々をさらい続けていた」 俊樹はゆっくりと言う。瑠華に取っても俊樹の話していることは重要だった。 俊樹は、《闇》の気持ちを知っているのだ。 「人をさらい続けて周りの事が解ってきたとき、まるで君は求めているものに噛みつかれるような気持ちになっただろうね」 《闇》の手前で、俊樹は立ち止まった。 「全てのものが、自分の存在を拒み、恐れ、そして殺そうとしている。その時の君の絶望は、僕にも解るよ。……怖かったんだよね」 ぐうううう、と《闇》が小さい声で唸った。 「君が求めていたものは、自分にはほとんどないもの。人の、“心”」 静かな、風の吹かない場所に俊樹の言葉が広がっていく。瑠華も《闇》も黙って俊樹の言葉に耳を傾けている。 「君は“悲しみ”、“絶望”、“恐怖”、“憎しみ”、“寂しさ”を持っていた。寒かったんだよね。だから、君は人の“心”を求めたんだ。“喜び”、“希望”、“安らぎ”、“愛”が欲しかったんだ。温もりが欲しかったんだ」 瑠華は俊樹の言葉を聞いて、胸が締め付けられるような気持ちになった。 もしかしたら――私たちの認識は、間違っているのかもしれない、と。私たちはただ、《闇》は敵だとして殺してきた。 もしかしたら、《闇》たちは生きたかっただけなのかも知れない。 「僕は、それらを持っている。そして、君にそれを分け与えることが出来る。僕も君と同じ。けれども、僕はそれを君に与えることが出来る。なぜならば僕は、」 そこで一回俊樹は口をつぐんだ。そして、微笑む。 「“人間”だから」 ぐるるるる、と《闇》が小さい声で唸った。 俊樹が《闇》に手を差し伸べる。優しく、受け入れることを示していた。 「一緒に、生きよう」 その瞬間、《闇》が空に向かって吠えた。瑠華は耳を押さえることも目を背けることもしなかった。STで《闇》の心が伝わってきたからだ。 《闇》は悲しみから救われる喜びの雄叫びを上げていた。《闇》が人間だったら、間違いなく泣いているだろう。 それは吠えたのではなかった。《闇》はただ、啼いていた。 瑠華は俊樹に近づいた。俊樹は瑠華の方には振り向かず、ただずっと優しく手を差し伸べていた。 救済と、解放。 《闇》の感情が流れてくる。 これで、やっと、終わる。寒い場所から、やっと――。 《闇》の感情を言葉に直したらこのようになると思う。 《闇》は叫び終わって、俊樹を見た。そして、ゆっくりと俊樹の差し伸べる手に触った。 あ り が と う 《闇》は俊樹にそう言ったように思えた。本当にそう言ったのかどうかは瑠華には判らない。けれども、その通りなんだろうと思う。 《闇》の体が分解され、霧のようになって立ち昇る。そして、《闇》の黒い霧が俊樹の腕に絡み付き、勢いよく俊樹の腕に吸収されていく。 突然、俊樹の腕から赤い血が飛び出した。俊樹の腕を引き裂いて、《闇》が俊樹の体に潜り込んでいるかのようであった。《闇》がずるるるるるると潜り込んでいく度に血が飛び散る。 俊樹の顔には苦痛の表情はなく、微笑んだまま《闇》が自分の体に入り込んでいく様を見ていた。 《闇》の全てが俊樹の中に入った。それを見届けて、俊樹は自分の腕を優しくさすった。腕には裂けた様な痕(あと)はどこにもなかった。 「……終わったの?」 「うん。瑠華、逃げるぞ!」 疑問の声が出そうで出なかった。 ひゅんと俊樹の姿がぶれて、次に来た衝撃に突き飛ばされたと思った。けれども地面には転がらなかった。俊樹が自分の体を抱えて走り出したことがすぐに理解出来て―― 世界が崩壊するのが見えた。 空がガラスのように割れた。地面が激しくのたうちその上にある校舎が粉末状に破壊されていく。空間がねじれて世界が絶叫を上げる。 俊樹は瑠華をしっかりと抱えて跳躍し、跳ね上がった校舎から辛くも逃れた。屋上にいたら床に叩き付けられ、突き上げられて投げ出されるところだった。今までいた校舎が嘘のように高く跳ね飛ばされ、落ちてきた空に叩き潰されて、 それ以上は見れなかった。俊樹はそんなことにはわき目も振らずに渡り廊下に降りて走る。鏡は今駆けこんだ校舎の反対側だ。後ろから世界が崩れるように破砕していく。 瑠華には何が起こったのかがまったく理解出来なかった。ただ、今自分たちは滅びにさらされている事だけが漠然と解る。 けれども死ぬことに対する恐怖はなかった。瑠華は自分に出来ることをして、あとは俊樹を信じた。しっかりと俊樹の身体にしがみついて、絶対に離さなかった。その時、瑠華は確かに、俊樹も強く抱きしめてくれたことを感じた。 俊樹は校舎の中を飛ぶ様に走った。窓ガラスが割れて雨のように降り掛かる。壁が崩壊して中の鉄筋が突き出てくる。教室の机や椅子が冗談のように投げ飛ばされる。ドアがねじくれて倒れてくる。床が爆発するように弾け飛んで陥没する。校舎全体が折れ曲がって廊下がぼきりと折れる。 その中を俊樹は《闇》の力を解放して防御しつつ、スピードをゆるめることなく走った。 「ふっ!」 掛け声と供に、空いている手にいつの間にか握られている棒を振って、目の前に飛んできた掃除用具の入ったロッカーを弾き飛ばした。 マントが高速で伸びて教室から雪崩のように飛び出そうとしていた机を押し止める。 落ちて来た天井を避けるために廊下の端を走って俊樹の肩が壁にすれた。 飛んでくるドアを跳んで躱わして疾走する。 俊樹が体を後方に思いっ切り倒して、片手を床に突き立ててブレーキをかけた。瑠華は頭を俊樹の胸に押し付けて目を閉じ、必死に激しい振動に耐えた。 完全に止まり切る前にまた振動。瑠華が目を開けたとき、俊樹が部屋に飛び込んだ。真っ黒に染まる外の景色。強烈な衝撃と共にぐちゃぐちゃに掻き(かき)混ざっていく世界。 一瞬世界が白み、目の前には暗闇の中に小さな光。振動の余韻で頭の中がぐちゃぐちゃになっているかのように気分が悪い。体がまったく動かない。けれども、視界はぐらぐらと揺れていて―― 「伏せろ!」 誰かが叫ぶ。小さな光を含んだその周りにびしっと一気にひびが入り、 世界が闇の中へと落ちてゆき、ガラスの砕けるような世界の崩壊する音が響いた。 何かが真っ暗な闇の向こうから体中に当たって小さな痛みが走った。 その時に瑠華が聞いたのは、激しくも力強いトックトックトックトックという音だった。とても聞きなれた音だった。どこで聞いたのかは判らない。けれどもいつも聞いていた音。その音がとても温かくて優しくて、無性に安心した。 誰かに身体と頭をしっかりと抱きしめられている。えも言われぬ温かさに包まれていて、とても気持ちよかった。 体の力が抜けて、まるで眠気にも似た安心感が体を包んでいく。体が溶けそうになり、 「大丈夫か? 瑠華」 すぐそばで見知らぬ誰かが、けれどもとても安心する誰かが発したような声が聞こえて、ゆっくりと頷いた。身体を抱きしめていてくれた感触がなくなる。けれどもまだ温かい。 誰かが息を吸い、瑠華の頭が少し持ち上げられた。それから深呼吸をしているかのように息を深く吐く音が聞こえ、瑠華の頭が沈む。その持ち上げられたり沈んだりする動きが気持ちよかった。 「そうか……それはいいんだけどさ、そんなに抱きついてていいのか?」 その声と供に肩が掴まれて、瑠華は安らぎを与えてくれる音と温かさから引き離されそうになった。その瞬間に、止まりかけていた頭が回り出した。自分が誰かの上にいることが理解され、それと同時に一人の人間の名前が浮かぶ。 「……俊樹?」 「ああ」 その返事が頭のすぐ傍で聞こえた。と、いうことは―― !! 慌てて立ち上がろうとした。俊樹の背中にまで廻していた腕を滅茶苦茶に振り回して俊樹を突き飛ばそうと躍起になって、 「わあっ! 待った待ったそんなに暴れたら!」 ゴカッ、という音ともに瑠華の肘に痛みが走った。「ぎぁ!」という悲鳴が聞こえ、同時に何か上に覆い被さっていたものから逃れて、瑠華は慌てて俊樹から離れた。壁に背中がぶつかる。 自分の心臓が激しく鼓動していた。顔が熱くて息が荒い。早く落ち着けようと、胸元を必死で押さえていた。背中の壁の冷たさが気持ちいい。 自分は、何をしていた? 俊樹の身体の上に、しなだれていた……? 気持ちいい……? 安心する……? わ、私は、私は……!? しゃがみたくなった。身体を丸めて、頭を抱えたくなった。 しかし、できなかった。 「無事か、俊樹特殊員、瑠華特殊員」 前の方から、部屋の外から赤い光が室内に投げかけられる。びくっとして光の元を見ると、赤いセロファンを張り付けた懐中電灯を持った林原と河村がいた。先に外へ避難していたらしい。赤いセロファンが張り付けられているのは、遠くからの光の視認性を下げるためだ。 すでに周りは闇に包まれていた。窓から入って来る弱い光が、時刻は夜であることを教えてくれた。 「え、ええ、なんとか」 俊樹が返事する。瑠華が荒くなった息を整えて前を見ると、俊樹が頭を押さえて床に座り込んでいた。 その姿を見てどうしたのか、と聞きかけて、瑠華の振り回した腕の肘が何かにぶつかったのを思い出した。肘が俊樹の頭に叩き付けられたらしい。 「だ……大丈夫?」 「――ああ、ま〜な」 ふらふらと俊樹が立ち上がる。と、俊樹がジャリッと何かを踏み、次にぱたぱたとマントに付いた埃を振り払うとその拍子に赤い光を反射しながら小さい粒が落ちた。カシャカシャと小さい粒が音を立てる。 「鏡は――見事に割れたな」 林原の声を聞いて瑠華はRWの入り口であった鏡に目を向けた。そこにはRWの入り口であった鏡の部分はなく、ただの枠と衝立しか残っていなかった。 周りを見れば、そこには鏡が細かく砕けて部屋中に散らばっていた。部屋の反対側まで破片が届いていることから、かなりの勢いで割れ飛んだらしい。 さっき俊樹のマントに付いていたのは鏡の破片だ。俊樹は鏡が砕ける瞬間に、瑠華をマントで包んで無数の鏡の破片から護ってくれたのだ。 ごめんなさい、と謝りそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。いちいち謝っていたら監視者としての威厳がまったくない。そんな事では……。 「どうした、瑠華? 行くぞ」 はっと瑠華は我に返った。どうやらぼんやりしてしまったようだ。慌てて俊樹のあとを追って廊下へと出る。 廊下に出ると、そこには四人の人影があった。俊樹と林原と河村と、誰? 瑠華の視線に気が付いたのか、俊樹が瑠華の知らぬその人に近寄って紹介した。 「瑠華、こっちは霞っていう僕の仲間だ」 そう俊樹が言うと人影が恭しくお辞儀をした。 「初めまして。私は久遠霞(くどう かすみ)。永谷君に助けてもらって、協力しています」 「はぁ……。あ、私は九連水瑠華です。俊樹の……監視をしています……」 「なんでそんなに声を小さくするんだ?」 俊樹が怪訝そうに尋ねたが、瑠華は何も答えなかった。 気まずい沈黙が流れた。 「ま、ともかく、何が起こったのかを説明してくれ。なんで鏡が割れたんだ?」 沈黙を破ったのは林原で、林原はもう一度だけ赤い光を向けて家庭科準備室を覗き込んだ。瑠華も見ると、小さい鏡の破片が部屋中に散らばっていた。……全部集めるのには骨がおれそうだ。 「――大黒柱を外したからですよ、鏡が割れたのは」 「ダイコクバシラ?」 瑠華の棒読みな言い方に俊樹は気が付いて、「建物を支える中心となる、一番大きい柱の事ね」と補足した。 「今までこの鏡の中でRWを形成していた《闇》を僕が融合してとっぱらったために、RWが支えを失って崩壊、そしてその崩壊の影響を受けて、その鏡はその鏡であることを維持できなくなったんです」 つまり、《闇》によって作られていたRWが主人を失って崩壊し、内部世界の崩壊によって出入り口となる鏡まで割れた、という事らしい。 ふーむ、と林原が少し顎に手を当てて黙考し、フム、と短く唸った。 「そちらはよしとして――」 林原が言いながら体をひねって後ろを向いた。後ろには河村がいて、林原は退くように手を振った。けれども、河村は右か左どちらに退こうかで混乱を起こして右左右左と体を揺らし、ようやく一歩退いて「そっちじゃなくてあっちに退いてくれ」なんて林原に言われて、暗闇の中でも憐れな表情を浮かべていることが判る。不憫だ。なんとかならんものか。 「で、彼女たちはどうする?」 林原が(ようやく)手を向けた先には、助け出した少女二人が壁に持たれるようにして床に座らされている。二人は眠っているのか気を失っているのか、動かずにそこにいる。 「そうですね……《光》を彼女たちに返さないと家に帰すことは出来ませんしね。いったん僕の家に運んで、それから彼女たちを家に送り帰しましょう」 「ん。では一時撤退だな。帰還方法は何があるかね?」 「そうですね……空を飛んで帰ります」 「ほお〜、空を飛ぶ、とな?」 「ええ。でも、乗り物に乗るっていうほうですよ。詳しくは外で。さあ、出ましょう」 林原が返事をして、少女たちを担いだ。河村もそれに習う。 俊樹はマントを脱いで丸め、床に置いた。するとそのマントがぼこぼことうごめき、隆起して人の形を取り、一人の女の人が姿を現わした。 「真、付き添いを頼むね」 「はい」 真が明るく返事をして霞と供に先頭に立ち、俊樹たちを先導した。 全員で夜の校舎を歩いて一階に降りる。霞が窓の一つを開け、そこから出た。先に霞が出て、まず林原が真に少女を渡して次に外の霞に少女を受け渡し、それから林原が外に出てまた少女を担ぎ直した。河村も同様にして外に出る。 俊樹が外に出て、最後に瑠華が外に出ようとして、 「きゃ……」 足を窓枠に引っ掻けて外に真っ逆さまに落ちかけた。 それを俊樹が受け止める。瑠華は安堵の息を付いた。 「瑠華、随分と疲れているようだな……。仕方ないな」 そう言いつつ、俊樹はあろうことか瑠華を背におぶった。 「降ろして!」 「うるせー、黙って背負われていろよ。さっきからふらふらしていたし、立っているのがやっとなんだろ、正直なところ」 何も言い返せなかった。図星だったからだ。 悔しかったが背負われてしまった今、瑠華は自分の脚から力が抜けてしまったことを自覚していた。仕方なく、 「……そう、仕方なく、よ……」 小さくつぶやいて俊樹の背に身体を預けた。俊樹が小さく笑ったのが気配で判った。あちらでは真さんが少女を担いだ状態の林原と河村に、少女の上から紺色のマントをかけている。 「これで姿を隠せます。あと、寒くならないですから」 瑠華が何となく真の姿を見ていると、その傍らを通って霞が俊樹の前に歩いてきた。 「永谷君、私はもう帰るね」 「ああ、お疲れさま」 「再来月だったわね?」 「うん、そう」 「待ち遠しい〜。私、そろそろ成長したくて」 「ま、お楽しみに」 「うん。じゃあその時に、“彼女”との話を聞かせてね〜」 手を振って、霞は走って去っていった。 その姿を視界の端に捉えながらも、瑠華は次第に眠気が這い上がってくるのを感じていた。思った以上に力と気力を使いすぎ、血を失い、さらに戦闘による緊張感も抜け始めている今、瑠華は眠気に抵抗する気力もなく俊樹の肩に頭を乗せた。 瑠華は真にマントを被せられた。だんだんと温まってきて、それが気持ちよかった。 俊樹が一回、こちらを肩越しに見たのを感じた。そしてしっかりと抱え直された時の振動が気持ちよかった。 「プールから水を盗みます。ついてきてください」 そう告げて、俊樹が歩き出した。 瑠華の意識は心地よい振動を感じながら、いつしか闇の中へと落ちていった。 その闇は決して悪いものでは、なかった。 |
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