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目次 / 第二章 / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 第四章 |
手の内からこぼれる世界 |
4“そいつ”は初め、怯えていた。自分の体の一部を殺された。 すでに何体も殺されていた。 欲しがっていたモノがそこにある。 けれども、その欲しがっていたモノに噛みつかれた。 痛かった。 痛かった。 痛かった。 痛かった。 怖かった。 怖かった。 怖かった。 怖かった。 痛い痛い痛い痛い痛い。 怖い怖い怖い怖い怖い。 もう戦いたくない。 もう傷つけられたくない。 だから、もう手は出さずに隠れていた。 だけれども。 自分の“宝物”が奪われようとしている。 “宝物”は奪われたくないモノ。 “宝物”は取られたくないモノ。 “宝物”は大事な大切なモノだ。 それが今、取られようとしている。 “そいつ”は怒った。 “宝物”を持って行こうとするヤツは、 ――消さなくてはならない。 “そいつ”は、怒っていたのだ。 ▲ ▽ ▲ 渡り廊下に入ったとき、背筋がぞわりとして固くなる感触に襲われて、瑠華は足を止めた。 ゆっくりと振り返る。何もいない、何もない廊下が本校舎の奥まで続いている。けれどだんだんと、空間が狭くなっていくような感じがする。どんどんと、何かが迫ってくる。 「――来る」 後ろから俊樹の声がした。瑠華は足が固まってしまったかのように感じた。足が動かない。けれども腕が自然に動いて木刀を構えた。呼吸を整えて身体の緊張を解き、いつでも動けるようにする。 強烈な《闇》の気配が向こうから迫ってきている。この世界に入って、今まで感じなかった強烈な波動。それが斬りつけるように空間を走ってくる。 まるで世界がねじれて歪んでいくように感じた。この空間が、この世界が、どんどんと自分を中心にして押し潰すかのように狭まっていくように感じた。 息苦しい。 瑠華は手が微かに震えるのを止められなかった。 まだ、木刀に《光》の力は注ぎ込まない。力は無限にある訳ではない。無闇に使えばすぐに底を突く。攻撃を叩き込む瞬間にだけ力を最大にして、力は温存しつつ戦わなければならない。 河村はまるで射すくめられたように目を見開いて石像のように固まっていた。 林原も固まってはいないが冷や汗をかいていた。 ケルは牙を剥いて(むいて)唸っていた。 俊樹は目を閉じていた。 そして、 「――上だ!」 俊樹は叫ぶと同時に目を見開き、跳び 渡り廊下が真上から落ちてきた物体に叩き壊された。廊下が叩き割られ、窓が絶叫を上げ、地震のように激しい揺れが起こって誰かの悲鳴が上がった。 瑠華は来た道のほうへと飛び出していた。無数の破片がばらまかれて砂煙が捲き上がる。しかし、少しばかりの砂ぼこりでは少しも“それ”を隠せていなかった。 巨大な《闇》。もはや山としか言いようのない巨大な《闇》の塊が今、渡り廊下があった場所にいた。 校舎の三階まで頭を届けているその塊は忙しなく(せわしなく)身体をぼこぼことうごめかせ、まるでのたうつかの様に身体をくねらせていた。 瑠華はさっと周りを見る。視界内に俊樹たちの姿はなかった。 分断された――! さっき、俊樹とケルが林原と河村を掴んで奥へと跳んだのが見えた。俊樹たちは無事なはずだ。 突然、《闇》の中から身を裂くようにしてつるりとした漆黒の闇を携えた眼球が現われた。ぐりぐりと素早く周りを見て、瑠華に視線を止めた。 瑠華は歯をかみしめて睨み返した。後退りをしつつ木刀を構える。 次の瞬間、大小様々な眼球が何十個も身を裂いて現われ、その全てが瑠華を凝視した。まるで瑠華を品定めするかのように瑠華から視線を外さない。 瑠華は後退りを続ける。 眼球の現われている場所の、何もない部分が大きく裂けて、口が現われた。その口の中には何もない虚無が詰まっていた。 突然、《闇》が吠えた。それと共に瑠華を圧し潰さんばかりの《闇》の波動がぶつかってくる。 空間が揺らいだ。吐きそうになるほどの気持ち悪さが込み上がってくる。それを必死に抑え、今にも閉じそうになる目を必死に開けて《闇》を見据える。 《光》の力を解放した。《光》が身体を満たし、《闇》の波動を相殺して身体能力と治癒力を上げ、足の痛みを消した。 瑠華が身体を低くして半円型の障壁を張った瞬間、《闇》の口から―― ものすごい勢いでたくさんの鞭(むち)のような触手が跳ね飛んできた。 まっすぐ瑠華に向かってきた、何本もの触手が障壁に当たって跳ねた。間入れず瑠華は後ろに跳んで、障壁に当たらなかった触手を木刀で薙ぎ払った。断ち切られた触手が霧散する。 ……私を捕まえようとしている? 鞭には勢いはあるものの、叩き付けるというよりは巻きつこうとするように迫ってくる。 次々と飛んでくる触手を障壁でさばきつつ、瑠華を捕え損ねた触手を木刀で薙ぎ払う。後退して、横に通路が見えたと同時に横に跳んでLL教室の方の廊下へと飛び込んで走り始めた。《闇》の咆哮が聞こえ、校舎を壊して追いかけてくる音がした。校舎が衝撃で震えている。 今は私が追われている。俊樹たちが安全な場所にたどり着くまでの時間を稼がなくては。 瑠華は廊下を駆けた。と、廊下の向こうに―― 「瑠華! こっちだ!」 俊樹が腕を振っていた。そして俊樹と瑠華は、渡り廊下を鏡のある三棟の方へと走り出した。 「他の人は!?」 「“仲間”に任せた――これでも、食らえ!」 俊樹が手に持ったリュックから透明な液体の入ったペットボトルを取りだし、上の方を指先に伸ばした小さく細長い黒い刃ですぱっと斬り、後ろに追いかけてくるずいぶんと小さな《闇》に向かって投げつけた。中の液体が《闇》にかかる。 とたん、《闇》の動きが止まった。激しく動いていたのが急に固まってつんのめって廊下の壁にぶち当たった。 「もういっちょ!」 俊樹が今度はボトル型アルミ缶を取りだし、導火線に火を付けて投げた。 一回アルミ缶は床に落ちてバウンドし、《闇》の身体に当たって爆発した。傍の窓ガラスが見事に砕ける。 固まった《闇》の表面だけがぱらぱらと剥がれ落ちた。一回り小さくなったものの、また《闇》が動きを再開する。 「う〜ん、一応これで力がなくても対処する方法が確立したな。でもこれっぽっちじゃ足止めが精一杯、と」 また走り出した俊樹が指先の刃を捨てる。別の《闇》がさっきの《闇》と合流して、共に追いかけてくる。 「なによそれ!?」 走りつつ、瑠華が俊樹の鞄を指差して聞く。 「“重水”だよ」 俊樹は足を止めることなく答えた。階段を降りて一階に出る。 「重水?」 「工業用水として使われる、水の同位体(分子中の中性子数が異なるもの)だ。とりあえず、《闇》などの動きを止めることができるんだ。ただし、ほんのちょっとの間しか止められない。混ざって薄くなると効果がなくなる。でも、薄まらないうちに破壊すれば、なんとか斃せる(たおせる)みたいだな。何回か繰り返せば……」 俊樹たちは中庭に出た。中庭の先にはつい先ほど、巨大な《闇》が叩き壊した渡り廊下が見える。巨大な《闇》の姿は無かった。あの後にあの《闇》も瑠華の後を追いかけたのだろうか。 後ろから分裂した《闇》が迫ってきた。さらに、上の渡り廊下のほうからも窓を破って《闇》が落ちて来る。 「《闇》は瑠華を目標にしているんだ」 前からも迫ってくる《闇》に舌打ちしつつ、俊樹は足を止めた。瑠華も挟まれたことに気が付いて足を止める。 「瑠華はこの世界では暗闇の中のろうそくの火のようなもの。《闇》が求めているものだからね」 「――《闇》が《光》を求めているっていうこと?」 「そうそう。だから、」 俊樹が手を前に突き出して軽く握った。 「囮になってくれ」 俊樹が《闇》の力を解放した。この世界とはまた別の《闇》の波動が放たれ、その手の内から氷でできた刀が形成されていく。 俊樹の手に、とても鋭利で綺麗な氷の刀が出現した。俊樹がその刀を構える。 「――わかった」 瑠華が答える。そして剣を構え、体を低くして戦闘体勢を取る。 《闇》が俊樹に飛びかかった。俊樹は力強く踏み込んで腰を低くし、《闇》の懐(ふところ)に一瞬で移動して刀を斬り上げた。そのまま刃を返して袈裟斬りにした。《闇》の身体が無残に斬り裂かれて霧散する。 瑠華は触手を斬り回して《闇》の一体に突進し、《光》を込めた木刀を突き刺した。激しい衝撃が《闇》を吹き飛ばすように消し飛ばす。 まだ勢いは死んでいない。瑠華はそのまま無駄なく動いてもう一体に肉迫し、横に薙ぎ払った。 「お見事で次ぃ!」 俊樹が《闇》の伸ばした刃の横薙ぎを上に跳ね飛んで避け、体重を乗せて上から叩き斬る。 「何で“闇と踊りし者”のあなたが攻撃されているのよ!」 「何も同族同種での殺し合いは人間だけの専売特許じゃない!」 俊樹が叫ぶように言う。《闇》が放ったヘドロのような球を次々と斬り落とした。 俊樹の言葉を聞いた瞬間、瑠華は奇妙な違和感がかすったことに気が付いた。何かがおかしい――。 ……一瞬、間があった。 何もかもが沈黙した一瞬の間。俊樹たちも何事かと一瞬だけ思考が揺れた。 次の瞬間、先ほどまでとは比べ物にならない怒りと殺気が《闇》たちから放たれ始めた。 伸びていた触手が刃のように鋭くなる。鋼線のように細くばらける。それまでおむすび型だった《闇》たちに人間を丸のみできそうな大きな口と、突き刺し引き裂くことにしか興味ないような鋭く尖った漆黒の牙が現われた。 「……すり潰す歯がなきゃ、食物はおいしく食べられないよ〜」 俊樹が冗談めかして軽口を叩いた。その声にはまだまだ冷静さがある。 どうやら、《闇》はもう瑠華を捕える気はないようだ。本気で殺しにかかってくる気だ。 「ど〜やら本気でお怒りになられたよ〜ですね」 俊樹が刀の構えを軽く変える。身体の姿勢も微妙に変えて重心を安定させる。いつでもこい、という体勢を取った。 しかし、《闇》達は殺気を放っているのだけれども動かなかった。何かを待っているかのごとく動かない。 瑠華には《闇》達が何を企んでいるのかが読めた。 大抵の場合、《闇》達の行なう行動は単純で単調だ。知能が低いのだろう、ただの猿並みの知能すらも持ち合わせてはいないのかもしれない。たまにとても知能の高い《闇》が出ることはあるのだが、ここにいるやつらは高そうには感じられない。 その単純な《闇》達が何かを待っている。となれば、 「――親のご登場」 ちらりと瑠華は俊樹の方を見た。向こうにある二棟校舎の一階の廊下の入り口から、石油のような黒い液体が流れて来ていた。そしてその液体の中央が隆起して、この中庭を踏み潰して巨大なその姿を見せた。 しかし、その大きさは先に小さな《闇》を分裂させて排出していたせいか、前に見たときよりも二回りほど小さくなっていた。 身体の頂上付近に眼球が多数現われ、やはり攻撃性むき出しの牙のついた巨大な口が開かれた。 そして、小さくなったにもかかわらずに前と同じだけの大きさで、吠えた。 うるるううぉぉおおおばばばおおおぉおおああああぁぁああああああああ!! 正確には聞き取れないような咆哮と共に、怒りと殺気の詰まった《闇》の波動がぶつけられる。 そうだ。ヤツは怒っている。瑠華はそれが解った。 とてつもない重圧に奥歯を噛み締めて耐える。 《闇》が怒ろうが怒っていまいが、斃さなければならない。 脚が震えている。瑠華はここに来て、初めて強い恐怖を自覚した。 なぜ? さっきは耐えられたのに。ここには俊樹もいる。さっきよりも大丈夫なはずなのに、なぜ震えるの? 恐怖と重圧が、瑠華の混乱に拍車をかける。しかし、瑠華の心の内のもう一人が戦う姿勢を崩そうとはしなかった。 崩せば、死ぬ。 しかし、俊樹の傍にいるはずなのに、この恐怖は――? 頭の中のどこかで、何かが必死に違和感を訴えている。けれども、ゆっくり考えれる様な余裕はない。 瑠華の前にいた小さな《闇》が溶けるようにして崩れる。《闇》の身体の端が別の《闇》と融合していて、それはそのまま巨大な《闇》につながっていった。 その場にいた《闇》達が一つとなった。今、瑠華たちは伸ばされた《闇》の腕(かいな)の内にいた。 「いいか、瑠華。先に言っておくと、こいつには核とも言うべき部分がある。それを生け捕りにしないとさっきの女子二人は助けられない」 「――生け捕りにする方法は?」 瑠華は俊樹の背中に自分の背を合わせるように移動しつつ聞いた。 もはや巨大な《闇》の腕となった部分から触手のような刃が無数に伸び始めた。一斉攻撃を仕掛けるのだろう。 「核となる部分以外を削って弱らせるんだ。核は大抵、身体の中心にある」 《闇》の無数の刃が瑠華たちに向いた。 「――分かった」 そして、瑠華は木刀に最大限の《光》の力を叩き込んだ。木刀がその姿をあふれる《光》の中に隠し、巨大な《光》の剣が現われた。 次の瞬間、《闇》の無数の刃が一斉に跳ね、それらを瑠華たちは薙ぎ払って巨大な《闇》に斬り掛った。 俊樹は刃を躱わし、斬り払い、斬り裂き、《闇》の身体を片っ端から削っていく。 瑠華は斬るというよりは刃を丸ごと《光》の剣で消し飛ばしていた。 また、《闇》の咆哮。 「はあっ!」 咆哮に対し、瑠華は掛け声と共に《光》の波動をぶつけて《闇》の波動を相殺(そうさい)した。 「きゃ、わわわ!」 煽りを受けた俊樹の声が聞こえたが気にしない。瑠華は斬撃を閃かせる(ひらめかせる)。徐々にではあるが、確実に《闇》の身体を削っていた。 《光》の剣を腕を大きく横に振って下から上へ、斜めに薙ぎ払う。瑠華の前に伸ばされた触手の刃を含めた、《闇》の腕が消し飛んだ。《闇》が左腕を失って悲鳴にも似た叫びを上げている。確実に効いている! まだ、大丈夫―― 「下ぁ!」 俊樹の叫びが聞こえた。 瑠華の視界の片隅に、瑠華の傍の地面にひびが走るのが見えた。 地面の下を――! そう思った瞬間に、瑠華は今の自分の体勢が非常にまずいことになっているのを知覚していた。 腕はまだ遠心力で振られている。身体も少し回転している。下からの攻撃に対応できない! 地面の石を蹴散らして、黒い刃が自分に向かって跳ね飛ぶのが見えた。 障壁を張る。刃が何本か跳ねて反り返った。 けれど、それらの少し右から出現した一本の刃には対応できなかった。その刃は正確に、瑠華の首の下辺りを狙っていた。剣は、間に合わない。 やはり、私では無理だった。たった一人では何もできないのだ。そう、思う。 なんでだろう、急に寂しくなった。今この状況において寂しさを感じるなんて、一体私は―― 衝撃を感じた。視界が奇妙な感じで傾いていく。音が何も聞こえない。 次の瞬間、 俊樹の、瑠華を突き飛ばした左腕の肩から先が刎ね(はね)飛んだ。 さらに刃が下と前から突っ込んできた。俊樹は避けることができずに背中、左の脇腹から鋭い突起が飛び出した。 その黒い刃には、赤い色が付着していた。とても、紅い色を。 「ああぁああぁあぁ、がぼっ!!」 俊樹が悲鳴をあげ、血反吐を吐いた。俊樹の体を突き破った刃が、俊樹の体を滅茶苦茶に壊そうと激しく動く。冗談みたいに血がぶちまけられる。足下からさらに刃が飛び出し、俊樹の左足の太ももを突き破った。 それでもなお、俊樹は右手の刀で《闇》の刃を断ち切った。 さらに傍に転がっていた重水の入った二、三個のペットボトルを蹴り上げ、ナイフを投げつけて切り裂いた。重水がぶちまけられて《闇》の触手にかかり、その動きが止まる。 さらに俊樹はどうにかして三本の火炎瓶にテープで括られたアルミ缶の爆弾に火をつけ、それも蹴り上げた。 空中で爆弾が破裂して、火炎瓶が砕け散って中の液に引火し、炎が《闇》に降り注いだ。《闇》が驚いたように身体をくねらせる。 俊樹は素早く振り返って呆然としている瑠華を右腕で抱え、大きく跳躍した。校舎の二階と三階の間の壁を蹴って渡り廊下の上に着地し、さらに跳んで屋上へと上がる。その屋上で助走して隣の本校舎の屋上へと跳んだ。 けれど、空中でバランスが崩れた。なんとか屋上へは届いたけれど、ほぼ頭から突っ込むような形になっていた。着地する前に瑠華は投げ出されて屋上に放り出された。 受け身もくそもなかった。なす術もなく床に叩き付けられ、バウンドして転がる。とっさに《光》の力でガードしたので衝撃はいくらか凌げた(しのげた)が、身体が衝撃で痺れた。 瑠華は鈍い痛みを我慢しつつ、ゆっくりとうつぶせになった状態から顔を上げ、 目の前にそれはあった。 それはうつぶせで体を妙にねじれさせて倒れていた。だらしなく片腕を床に落とし、もう片腕はなくなっていた。 瑠華は息を飲んだ。アメリカにいたときの、仲間の死体がそれと重なる。《闇》に殺された、身体を真ん中で切り裂かれて下半身を失って血の海の中に転がっていた、仲間の死体。 紅い影が伸びている。その紅い影の上に、紅黒い液体が流れ出ていた。 赤い液体。紅い液体。赤。赤。赤、赤、赤、紅、紅、液、血、血、血、血、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死、死、死、死、死、死、死、死、死、 いなくなる。消える。会えなくなる。話せなくなる。――永遠に。 ――悲鳴が、響いた。 |
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