手の内からこぼれる世界


 3

「これでよし、と」
「……」
 瑠華は千切れたズボンの先を取り除き、自分の足の傷を手当して風呂敷のような大きな布で止血している俊樹を黙って見つめていた。
 俊樹はなぜ、私を助けてくれたのだろう? 私を助けても、得することなんか一つもないはずなのに。
「なんで助けたって顔してるな?」
 図星だったので、慌てて瑠華は顔を背けた。そんな瑠華を見て、俊樹はくすくすと笑った。
「そりゃ、女の子は助けてあげないと僕が怒られるし、かっこ悪いしな。なによりも、」
 俊樹は瑠華に微笑んだ。

「僕は瑠華に死んで欲しくない」

 間違いなくビックリマークが飛んだ。けれども、動揺を隠して瑠華は俊樹を睨んだ。
「あなた、どうしようもない馬鹿ね」
「あはは、今頃気が付いたのか?」
 瑠華の冷たい声を、俊樹は笑ってあしらってしまった。瑠華はさらに何か言おうとしたが、何も言葉が思いつかなかったので顔をそらした。
 俊樹は悪びれた様子もなく立ち上がり、河村のほうへと向かった。河村から体の異常はないかどうかを聞き、手を貸して立たせている。俊樹がそちらに構っている間に瑠華は何回か首を振って気分を落ち着けた。
 そして俊樹が瑠華の方へと戻ってきて、手を差し出した。
「貸し一つだよ」
「……」
 瑠華は助けなど求めていない! と叫びたかった。けれども、どんな思惑があろうとも助けられたのは事実なのだ。一度死を覚悟して、そこから助けられたのだから文句は言えなかった。
 それに――。
 瑠華の不満を感じ取ったのだろう。俊樹はふふんと笑って、
「ただの“優しさ”で助けてもらうよりは、“貸し借り”の方がいいだろ? “借り”は返すことができるから」
「……」
 駄目だ。全部読まれている。それなのに瑠華には俊樹の事が解らない。
 しかし、確かにただの“優しさ”で助けてもらわれては、こちらとしては不快だ。それこそ、なぜ助けたのかと聞き返さずにはいられなくなるような気がした。ただ気をかけたというだけでこちらが気を良くすると思ったら、それは間違いだ。
 それならば、まだ“貸し借り”の取り引きのほうがよかった。必要のない怒りを覚えることもない。
 けれどもそう思ってから、なぜかそれは寂しいことのように感じた。切ない思いに囚われそうになる。なぜそんな風に思うのか、瑠華には解らなかった。
 解らない。私は、自分の思いが解らない。なぜ? 解らない。だけれども解るのは、こういう気分になり始めたのは――俊樹と出会ってからだということ。俊樹と出会ってから、私は自分の気持ちにもやが掛り始めた。
 今ももやが掛っている。目の前に差し出された手――。
 私は――
 そこで瑠華は自分の変になった心に無理やり喝を入れた。
 何を自分は考えている? 今はそんな事を考えているときではないだろう。俊樹は《リベル》でいつかは殺さなくてはならなくなるかもしれない。大体、私は“組織”の特別捜査官であり、俊樹は監視対象。それ以上の物はない。馴れ合う気はない。
「どうした?」
「なんでもないわよ」
 冷たい声で瑠華は答えた。けれども気にしない。俊樹がそれを不快に思おうが、私にはさして気にするようなことではない。
 が、ふと気がつくと、いつのまにか自分の手が俊樹の手に伸びていた。慌てて踏みとどまる。が、手を引っ込める前に俊樹に手を掴まれてしまった。俊樹の手は、温かかった。
「こんなときまでも無理することないって」
 俊樹がくすりと笑う。そして、瑠華は俊樹に引かれて立ち上がった。
「……」
 瑠華は自分の手に繋がれた俊樹の手を見て、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。沸き上がる感情を押し殺してすぐに俊樹の手を振り払う。くすくすとまた俊樹は笑った。
「右足、大丈夫か?」
「平気よ」
 傷を負った右足が痛むが、一度立ってしまえば歩くことはできる。《光》の力を使えばこの状態でも数分は走ることもできるだろう。
「――そっか」
 俊樹は一瞬だけ声を落としだが、それ以上のことは何も聞かなかった。それが俊樹なりの気遣いであることは瑠華にも判ったが、気にしない。
 《リベル》に貸しを作るなんて……上官になんと言えばいいのだろう?
「――とりあえず治療に専念しろよ。まだ終わってないんだから」
「そうね……」
「どういう事ですか?」
 と、瑠華のあとに聞いて来たのは木刀を持った河村だった。すでに体を緊張させ、さっきの失敗を繰り返すまいとしているようだった。
「歩きながら話しますよ。ここから移動しましょう」
 俊樹が非常口のほうへと促す。けれども河村はすぐには非常口には向かわず、瑠華に近寄って、
「すみませんでした、瑠華さん。僕が腑甲斐ないばかりに怪我を……」
 河村が頭を下げて、瑠華の背中に謝罪の言葉を述べた。瑠華は振り返って少し微笑を浮かべ、
「大丈夫です。直純先輩が気にすることはありません。だって、直純先輩、私を助けてくれたじゃないですか」
「え?」
 河村がきょとんとした顔を瑠華に向けた。
「ほら、初めに私が襲われそうになったとき、身を呈して(ていして)助けようとしてくれましたし」
「あ、いや、あれは、その……」
 河村が顔を真っ赤にしてうつむいて、頭をかきながらつぶやく。助けようとして失敗したし、その後に無様に転んだし、彼としては立つ瀬がないのであろう。
 くすりと瑠華は笑った。
「丸いほうに直純先輩が木刀を投げつけてくれたおかげで難無く斃せましたから……」
 そこまで言って、瑠華は急に微笑を浮かべた顔を崩した。河村が戸惑いの表情を浮かべる。
「ど、どうしたんですか?」
「いえ……何でもありません。とりあえず、直純先輩が気にすることはありません。ありがとうございました」
 瑠華はさっと河村に背を向けて、俊樹を探した。河村は何かまずいことでも言ったんだろうか……、と思い悩みつつ、瑠華の背を見ていた。
 俊樹は初め、非常口には向かわずに校舎のグラウンド側の柵に歩み寄って下を眺めていた。けれどもすぐに非常口のほうへと歩き出す。瑠華が気になって俊樹が見ていた様に柵に歩み寄って下を見た。
 校舎とグラウンドまでの間に、大きな池があった。その池の水は黒く濁っていて、近寄りたくないような雰囲気をかもし出していた。
 それだけの池をしばらく見たあと、すぐに俊樹のあとを追った。河村も瑠華の後に付いて来る。
 三人は非常口を通って階段を降り始めた。
「まず……さっき襲ってきたのはこの世界の主(あるじ)である《闇》ではない。あれは“闇の中に存在する影”なんです」
「なんなんですか、それは?」
 河村が聞き返す。
「簡単に言うと、元“人間”の一部ですよ」
 河村と瑠華が階段半ばで歩みを止め、俊樹を見つめた。俊樹が振り返って見たその二人の表情には、共通して驚きが表われている。
 瑠華は、にわかに信じられなかった。あれが人間の一部? そう言われてもぴんと来ない。さっき襲ってきたものには人間のかけらもありそうにはなかった。ただの怪物にしか見えなかった。
 あれは……異世界から来た怪物、《フォウ》ではないのか?
「――人間は“影”である、という事から説明しなくてはなりません」
 俊樹が前を向いて歩き出した。瑠華と河村は少し慌てて俊樹のあとを追いかけた。
「詳しい説明は省きますけども……人間とは、正確には生命、魂そのものは“影”なんです。この《光》と《闇》の世界では」
「どういう事ですか?」
 河村が聞く。瑠華は黙って聞いている。
「もともと、《光》と《闇》はそれ以外のものは存在しない“純粋”なもの。そこにはただ一つの存在しかない。ただ、存在するだけ。“純粋”であるからこそ、感情も欲望も興味も何もない。けれど……生命はなんですか? 人間は、《光》と《闇》を両方とも持っている。人によっては……」
 俊樹は言葉を選ぶために少し口を閉じ、そして開く。
「《光》の方が強かったり《闇》の方が強かったりと色々ありますが、基本的には両方とも持って存在している。感情がある。欲望がある。興味がある。つまり、」
 俊樹はそこで区切って振り返り、瑠華と河村を見た。その真剣な瞳を見て、瑠華と河村は射すくめられた様に感じた。
「魂とは、《光》無くしては存在できない《闇》、“影”なんですよ」
 理解するのに少し時間がかかった。大体のことが理解できたとき、瑠華は自然と自分の足から伸びる異界の影に目を落としていた。
 こんな赤い影でも光がなければ姿を現わすことはできない。光があってこそ存在できる闇。それこそが――“影”。
「――じゃあ、さっきのは?」
 ようやく、瑠華が口を開いた。俊樹は少し首を振って、
「《光》を奪われた元“人間”の一部」
「一部?」
「ああ。あれは言うなればただのエネルギーの塊だ。水を媒介としている、な。本体は純粋な《闇》に統合されている」
「統合……」
 つまりは、“喰われた”と言うこと? 《闇》は人間を襲い、《光》を奪い、そして“喰らって”強くなる?
「……なんで、そんな化け物が?」
 “化け物”の単語に瑠華はびくっと体を震わせた。

 瑠華は問われるのが怖かった。河村は自分が力を使ったところを見ている。いつ、その事を問いただされるのか。いつ、自分を“化け物”だと言う人間が増えるのか。
 瑠華の流れる感情を俊樹は正確に読み取っていたが、何も言わずに河村に顔を向ける。そして、少し皮肉気味に笑った。
「招いたのは人間自身ですよ。けれど、今はそれを言っていても仕方がない。それよりも健特殊長が待っています」
「健特殊長が!?」
 河村が嬉しそうに笑って声を出す。河村先輩、本当に健特殊長を慕っているんだな〜。
「さ、急ぎましょう。健特殊長と直純先輩にはやって欲しいことがあるんです」
「……なんですか?」
 河村が首を傾げて俊樹を見つめた。俊樹は少し笑って、

「人命救助」

「えっ?」
 河村が素頓狂な声をもらした。この異常な世界にまで来て人命救助とは、その単語の意味すらもすぐには出て来なかったに違いない。
「人命救助ですよ。人助けです」
 俊樹が歩き出す。瑠華の足を気づかってか、走ろうとはしない。瑠華も河村を促して歩き出した。

   ▲ ▽ ▲

 本校舎から渡り廊下を歩いて真ん中の棟に入り、三階から二階に降りた。
 そして、視界内に人影が見えた。
「け」
「健特殊長ぉ!!」
 河村の絶叫にも近い叫びが俊樹の声をかき消した。いつもの彼からは予想だにしなかった大声に、瑠華と俊樹は無意識のうちに耳を押さえていた。
「おお、直純特殊員! 瑠華特殊員も無事だったか!」
 LL教室の前で林原が待っていた。河村が林原に走りより、林原と河村がお互いの右腕を差し出し、クロスさせるようにがんがんと腕の内側を二回ぶつけあう。それからリズムよく左手でお互いの手のひらを叩き合った。オカルト総合部における挨拶のようなものらしい。
「瑠華特殊員もやって欲しい。“再会の儀”を」
 林原がそう言って腕を差し出す。瑠華は少し考えたあと、素直に河村がやったようにして挨拶を行なった。
「さてと、ケル、ここで間違いないか?」
 俊樹が林原の後ろに座っていたケルに話しかける。ケルは一度、LL教室のドアを一瞥して答えた。
『はい。ここに“人”が囚われています』
「あの、その犬は……ケル?」
 河村がケルを軽く指差して林原に尋ねた。
「ああ。普通の犬じゃないと初めて会ったときから思っていたが、やはり普通の犬ではなかったな、ふっふっふっふっ」
 林原が口元に親指を当ててなぜか悪役系の声で笑う。
 一ヵ月ほど前に林原と河村は俊樹の家に行き、盗聴器を仕掛けるという個性出しすぎの行動に出たことがあった。その時にケルのことを知ったのだ。
 ケルは普通の犬と比べると、非常に寡黙で行儀がよくて、他人に擦りよるというような愛敬がない。体を撫でられても大した動きも見せない。不気味なくらいに落ち着いているのである。
 ただ、主人のあとを付いて行くだけ。しかし主人が場を離れると、客人たちをそれとなしに監視しているようにその場に居座る。少し注意深い人だったら、ケルが普通の犬ではないと感づくだろう。
「動きは?」
『今のところありません』
「言葉が解るんですか?」
 俊樹の言葉に河村が不思議そうにしている。
「解るんだろうな、やはり」
 林原が憮然と答える。
 林原と河村にはSTでの会話を聞き取ることができない。ので、今のケルの言葉は林原と河村には聞こえていなかった。林原としては、ケルの言っていることを知りたいのだろう。
 しかし、瑠華にはSTが聞こえていた。
「ここに人が捕まっているの?」
『はい。ここから人間の《光》の波動が一人分、放たれています。おそらく、昨日の夕方に捕まった人です』
「昨日の、夕方?」
 確か、その時に私は俊樹と酉原高校の屋上で話していた。俊樹は……あの時にすでに気が付いていたの? けれど、私は何も気付かなかった。俊樹が何かに気が付いた様な素振りを見せたとき、私も周りに注意を払った。けれども気が付かなかった……。
 瑠華の心の内に激しい劣等感が生まれた。私は、俊樹よりも弱い。並んですらいない……。
「――落ち込むなよ」
 はっと瑠華は俊樹の方を見た。俊樹は少し笑っていた。
「何に悩んでいるのかは解らないけど、僕は瑠華を置いていかないからもっと気楽に行こうぜ」
 その言葉に瑠華は胸が苦しくなる思いに駆られた。
 私の手を引っぱってくれる。私を置き去りにしないでくれる。
 涙が出そうになった。けれどもそれを必死に堪える。私はいつからこんなに弱くなったのだろう? さっき喝を入れたばかりだというのに。
「――っ、何でも解ったような事言わないで!」
 そう言うのが精一杯だった。しかし、俊樹は事もなげににやにや笑って、
「大体の事はわかるさ。見ればわかるよ」
 俊樹を睨む。しかし俊樹はまったく気にせずにLL教室の扉を開けて、ケルを先行させて教室に入っていった。
 瑠華は悔しさに口元を引き締めて俊樹の後に続いた。林原と河村も続いて中に入った。
 LL教室にはモニター、ヘッドホン付きの白いテーブルがたくさん並んでいた。教室の前のほうには少し開けた空間があり、その向こうには教師用のテーブルと器材が置かれており、壁には大きなホワイトボードがある。
 そして、教室前の隅に黒い大きな塊がこびりついていた。
 まるで空気を詰めただけの黒いごみ袋を一〇個ほどくっつけたように見える。大きさ……としては、人が三、四人はすっぽり覆えそうなぐらいだった。それに、ケルが素早く駆け寄っていく。俊樹もその黒い塊に駆け寄った。瑠華たちも後に続く。
 ケルはその黒い塊の周りをうろついてじろじろと見つめ、“それ”に動きがないと見るやさっと近づいて、
 後ろ足だけで立って手を大きな刃の形に変形させ、ゆっくりと黒い塊に切りつけて“解体”を始めた。
 河村が声を出して驚いた。瑠華と林原もそれなりに驚いていた。俊樹はそれを黙って見ていた。
 ケルはさらに体を変形させて背中から新たな腕を作り、それを刃にして多方面から黒い塊をゆっくりと丁寧に切り、破片は退かして綺麗に解体していく。そうするうちに、中から“人”が出て来た。
 制服を着た女子生徒が二人。ショートヘアにまとめている女の子とセミロングの女の子。どちらも気を失っているようだ。
 なぜ、二人いるの? 一人しかいないんじゃ?
 瑠華は眉を寄せているうちに、俊樹が二人の女子生徒に駆け寄って黒い塊の中から引っぱり出した。女子生徒の体にこびりついていた黒い破片を、ケルが吸い取るようにして剥がしていく。
 そして二人を何もない床に寝かせて、俊樹がボディチェックをするように素早くその二人の女子生徒の体を調べて異常がないことを確かめた。
 瑠華もその二人の元に近寄って、しゃがんで様子を見た。二人とも息はしている。脈もしっかりと拍動している。
「俊樹、一人しかいないんじゃなかったの?」
 瑠華は隣の俊樹に聞いてみた。林原と河村も耳を傾けている。
「ケルは“一人分”って言っただけだ。一人とは言ってない」
 俊樹は二人の女子生徒の頭にそっと手を置いた。
「どういうこと?」
「二人の《光》の総量が、半分になっているんだ。取られたんだよ」
「なんですって!?」
 瑠華は愕然(がくぜん)として口元を手で押さえた。河村も驚きと焦りの表情を浮かべている。うわっ、そらヤベーという表情だ。
「それが《闇》の目的なんだ」
 俊樹が片膝をついたまま、瑠華たちを見た。
「人間から《光》を取り出すことが《闇》のやりたいことなんだ。だから、《光》が普通の人よりも強い直純先輩もこの世界に引っぱり込まれたんだ」
「悪魔が女子を好む、と言うのは?」
 林原が俊樹に聞いた。俊樹は少し考えて、
「《闇》は取り込む相手に関して男女差別はしないと思うんですが……《闇》に嗜好性がないとは言えないんですけれど、多分、家庭科準備室、つまり家庭科って言ったら女子っていうイメージがあって、その関係で怪談に付けられたんじゃないですか?」
「なるほど」
 林原は頷いた。一応、筋は通る。
 確かに家庭科関係の教室には男子はあまり近寄らないかもしれない。女子ならば近寄るとは言えないのだが、男子よりは多そうだ。それで鏡の中に巣くう《闇》に取り込まれるのは女子が多かった、という事になりそうだ。無論、まだこれは推察の域を出ない。いつからここの《闇》がここにいたのかはまだ判らない。
 俊樹は二人の女子生徒の頭から手を離した。《光》が取られた、という事以外には特に異常はなかったらしい。
 林原は冷静に考えて俊樹に尋ねた。
「――助ける方法はあるのか?」
「あります。でも、まずこの二人を連れて安全な場所に行かないと」
 俊樹が林原と河村に顔を向ける。
「さ、早いとこ彼女たちを外に運び出しましょう。僕とケルと瑠華が護衛しますから、健特殊長と直純先輩が彼女たちを担いでください」
「わかった」
 ある程度、予期していたのかもしれない。林原がショートヘアの女の子を躊躇(ちゅうちょ)せずにそっと背中に担いだ。背負っている少女の腕を前で交差させる。意識のない人間を運ぶときの正しい型だ。
「俊樹特殊員、これを頼む」
 林原が片足で林原の四角くて黒いリュックを引っかけて俊樹に差し出した。がらがらとアルミ缶のようなものと、液体の入ったペットボトルの音がする。受け取るとかなり重い。
「これの中味は?」
「“海水”を電気分解で精製した“水”だ」
 にやりと林原が笑う。その言葉を聞いて、俊樹はその“水”がなんなのかを理解してかすかに驚きの表情を見せた。そして、感嘆の笑みと息を漏らす。
「あと、爆弾も入っている。ライターはサブポケットの中。それと火炎瓶だ。火炎瓶はビンを割れば火が付く」
「危険人物ですね、健特殊長」
「おう」
 不敵な笑いと共に林原は返事をし、歩き出した。その後ろを河村が、林原がそうしているようにもう一人の女の子を背負って付いていく。
 瑠華の方を見ると瑠華は河村の木刀を持っていた。河村から渡されたのだろう。
「足、大丈夫か?」
「平気よ」
 しかし、瑠華の足に巻付けられた布は赤く染まっていた。もう血は止まっているかもしれないが、傷は痛むだろう。無理はできない。
 だが、彼女にはまだやってもらうことがある。できればやりたくないのだが仕方ない。“それ”をやってもらうに当たり、河村の木刀が瑠華の手にあることは都合がよかった。
「僕が前を護る。瑠華は後ろに付いてくれ」
「……わかったわ」
 瑠華はできれば俊樹の提案をはねつけたかったが、今の自分では林原たち四人を護ることはできない。俊樹が前に付くのは至極当然の選択。瑠華もその提案に乗るしかなかった。
 乗らなければ、おそらく俊樹以外はみんな、死ぬ。
「ケルは列の真ん中についてくれ。健特殊長、直純先輩、そして女子生徒二人の守護を最優先」
『了解。俊樹様の命に従います』
「いつものことながら、堅いな〜」
 俊樹が少し苦笑する。しかし、ケルはいつもと変わらぬ真面目な声で、
『俊樹様の命に従う事。それこそ、私の存在する意味』
「……ははは、ま、頼むよ」
 俊樹が走っていって、林原の前に付いた。ケルは列の中央で警戒に当たる。
 瑠華は河村の後ろに付く。河村は優しくしっかりと、背中の女子生徒をおぶっていた。
 刹那、瑠華の心が和んだ。ふと思い出す。お父さんにおぶってもらっていた時のことを。それは、今でも思い出すことのできる数少ない良い思い出の一つだった。
 うらやましげな目でその光景を見た後、きっと気を引き締めた。
 彼等を護らなくてはならない。
 自分の命を捨てることになろうとも。
 あとは……俊樹がなんとかしてくれるだろう。《リベル》に頼るなんて事はあってはならないことなのだが、他に頼れるものがないのだから仕方ない。
 木刀を握り締める。瑠華の《光》の力が少し木刀に流れ込み、木刀の発する光が瑠華の意思に呼応するかのように少しだけ強まった。
 林原たちが廊下に出る。出入り口となる鏡の方へと、小走りに移動を開始した。