手の内からこぼれる世界


 6

 上空から振り降ろされた斬撃が《闇》の左腕を切り落とした。切り落とされた腕が地面に落ちるよりも早く爆発したかのように弾け飛ぶ。俊樹は二棟屋上に降り立ち開いた右手へと走った。そして、三棟のほうへと跳ぶ。次の瞬間には《闇》が右手を振り降ろして校舎ごと俊樹のいた場所を叩き壊した。そのときにはすでに、俊樹は別の場所へと移動してしまっていた。大剣の光が俊樹の軌跡をなぞっていく。
 その《闇》の姿は何者も抗うことの出来ない怪物以上の何者でもなかった。その姿からして見れば、俊樹などは豆粒のようなものだった。
 けれども、俊樹は戦っている。負けることなど微塵も感じさせない強さを持って強大な《闇》に立ち向かっている。
 《闇》が二棟校舎をその体躯を持って壊し進み出て、その鈍重そうな体からは想像もできない素早さを持って巨大な拳を振り降ろす。拳の叩き付けられた本校舎があえなく叩き潰された。
 そして、上から突き刺さっている拳を俊樹は輪切りにした。ぼんっという音と共に《闇》の拳が弾ける。
 けれどもまた別の腕が瞬時に生えて来て、俊樹に向かって振り降ろされた。けれども俊樹はすでに距離を取っており、《闇》の腕はまた校舎を破壊しただけに過ぎなかった。
 L字型本校舎の角の部分が見事に無くなってしまった。ここはRWであり、いくらここにあるものを壊しても元の世界には何の影響もない。しかし、その校舎の破壊される様にはどうしてもとんでもないことが行なわれているという気にさせられる。
 俊樹は《闇》に向かって爆発する、蒼い尾を引きながら飛ぶ刃(やいば)を投げつけながら屋上を奥へと滑るように走った。明らかに《闇》を戦いやすいグラウンドへと誘い出している。
 《闇》は俊樹の攻撃に身体を震わせながらも、叩き壊された校舎の破片を跳ね飛ばして俊樹を追いかける。《闇》は俊樹に誘導されるままにグラウンドのほうへと出た。
 瑠華は《闇》が校舎を壊す衝撃に耐えるために必死にフェンスにしがみつき、飛んでくる破片を何とか弾きながらも、必死に俊樹の姿を追いかけた。
 《闇》は瑠華の存在を忘れたかのように俊樹を追いかけ続けている。《闇》の身体の向こうに俊樹の姿が消えた。俊樹がどうしているのか判らない。瑠華はどうしようもなく焦った。けれども、すぐに俊樹の姿が見えて――焦りが収まり、少し気分が楽になった。
 俊樹がグラウンドのほうへと跳び跳ねた。それを追いかけて何本もの太い槍が飛ぶ様に突かれる。しかしそれの俊樹に当たるものだけを無数の三日月状の投げ刃で切り刻んで迎撃し、そのまま下に通されていた太い槍の上に着地、間を置かずに槍の上を滑るように疾走する。
 ――♪ ♪ ♪ ♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪
 体全体でリズムを取り、飛んでくる槍、鞭、弾丸を無駄のない優雅な動きで避け続け迎撃し続け破壊し続ける。
 剣から伸びる青い光の尾が縦横無尽に伸び続け、俊樹の周りはまるで蒼い光でライトアップされているかのように見える。
 それはまるで舞台で踊っているかのようであった。《闇》と戦っている“闇と踊りし者”。奮戦する《闇》。それはまさしく、アンバランスでありながらも楽しげな舞踏であった。
 四方八方から飛ぶ様に突かれる無数の槍に対し、俊樹が体をひねってぶんと腕を大きく疾く振った。
 獣の咆哮のごとき“きしみ”が唸り、大きなうねりが現出する。
 それだけで俊樹を狙っていた全ての槍が破砕した。俊樹と《闇》との間に障害物がなくなる。
 俊樹が腕を振ったときの勢いをそのまま利用して、鋭い回し蹴りを放った。
 《闇》との距離は離れている。普通ならば届くはずがない。けれどもまたうねりが起こり、そのうねりはまっすぐ《闇》の頭部を直撃した。
 ミサイルでも直撃したかのような衝撃音が響き、《闇》の体がぶっ飛ばされのけ反って《闇》の頭が地面に激突した。衝撃は《闇》の体を抜けてその後ろの校舎まで遠慮なく叩き潰した。
 けれども《闇》はすぐに身を起こしてその勢いで巨大な腕を振った。しかしそこにはすでに俊樹はいない。
 いつの間にか上空まで飛んでいた俊樹が、強烈な紫の光を放ち始めた剣を大きく振りかぶる。俊樹の《闇》の波動がほとばしり、紫色に輝く剣を依り代にして俊樹の背後に巨大な《闇》の剣が出現する。
 それが軽々と出来損ないのCG(コンピューターグラフィック)アニメーションのようにとんでもない速度で降り降ろされた。勢いよく振り降ろされた巨大な剣は、防御しようとした《闇》の腕や槍や鞭などをものともせずに振り抜かれ、《闇》本体を無抵抗同然に斬り裂いた。
 世界が激しくのたうちいななき、紫の光が視界に被さる。一気に《闇》の右半身が爆発したかのように弾け飛んだ。
 きょおおおおおあおああああああああああ!!
 《闇》が怪鳥の叫びにも似た絶叫を上げた。俊樹が大きな黒き羽を広げて空中に留まっている。
 その黒き羽を広げた俊樹の姿は、人の形をした悪魔のようであった。
 けれども、“彼”は悪魔ではないと瑠華は感じた。
 “彼”は決して悪魔などではない。
 “彼”は――
 俊樹が留まって(とどまって)いた状態から大剣の峰に手を添えて下を向き、急降下して隼(はやぶさ)のようにスピードを出して突撃し、《闇》の左半身に剣を深く突き立てた。
 そして振り抜くようにして《闇》の力を込めた剣を斬り上げた。蒼い光の軌跡が駆け昇り、《闇》の肩まで一気に裂ける。裂けた体から黒い液体が血の様にほとばしった。
 《闇》の体が揺れ、本校舎に激突して校舎を半壊させる。ガラスが叩き割られて破片がそこら中にぶちまけられ、椅子や机がゴミくずのように落ちていき、半分に叩き折られた黒板が地面に叩き付けられた。
 いつのまにか下に降りていた俊樹が追撃をかけた。振られて伸びた剣が《闇》の頭を刎ね飛ばし、振り抜かれた勢いで校舎にも叩き付けられて轟音と共に校舎を破壊する。
 その倒壊した校舎に《闇》の身体が倒れ込んだ。地震のような振動と轟音と共に破片が飛び散り、粉塵が舞い上がった。

 もう、《闇》は動かなかった。

 疲れ切った動物のように、その体を壊れた校舎の瓦礫の中に横たえている。
 衝撃に耐えるためにしがみついたフェンスにしがみついたまま、瑠華は息を飲んだ。
 俊樹が一人で戦闘を始めてからまだ五分と経っていない。それなのに、《闇》は起き上がれないほどに叩き潰されてしまった。
 《闇》には元の世界で言う植物、動物のような生物的な体はない。すべてはエネルギーで構成されている。つまり、瑠華と真が戦ったときよりも大きくなっていた《闇》は、大きくなった分だけ強くなっているはずなのだ。
 それなのに――!
 俊樹は《闇》や《光》について、自分の知らないことをすでに知っていた。
 俊樹は力を自分以上に、いや自分なんか話にもならないほどにうまく使っていた。
 俊樹の持っていた戦闘技術は、自分のそれよりも遥かに上回っていた。
 何もかも、俊樹は自分よりも強い。何倍も、何倍も。
 唇をかみしめる。激しい劣等感が瑠華の中に渦巻いていた。
 その場に崩れ落ちそうになる。そうならなかったのは、まだ微かにプライドが残っていたからに過ぎない。
 《闇》の体の裂け口から液体がどんどんと流れだし、見る間に《闇》の体が小さくなっていった。
 瑠華は屋上から直接、下に飛び降りた。四階分ぐらいの高さぐらい、《光》の力を使えばなんという事もない。《光》の力を地面に向けて放出し、その反動で落下速度を和らげる。軽い音と共に降り立って、《闇》の体液で黒く染まったぐちゃぐちゃに崩壊しているグラウンドを俊樹の元に走った。
「……終わったの?」
「あとちょっと」
 俊樹が大剣を肩に担いで、小さくなっていく《闇》に向かって歩き出した。瑠華も後に続く。
 歩いている間、瑠華はじっと俊樹の背中を見ていた。あれだけのことをやったのに大して疲れていそうにもない、強い存在感を持っているマントに覆われた背中を。
 大した距離があった訳ではない。すぐに俊樹は立ち止まり、瓦礫の山を少し見て瓦礫の上へと跳んだ。瑠華は視線で俊樹を追いかけて、そこで瑠華は俊樹の背中に見とれていたことに気が付いた。すぐに首を振って気を取り直し、後に続いた。
 辺りには刺激臭が漂っていた。強烈な錆びた鉄とすり潰した青草と泥、湿気の臭い。《闇》の臭い。
 その臭いの中央、校舎の瓦礫の上に、首なしのゴリラのような者がいた。そいつは俊樹たちに気が付くと、怯えて悲鳴を上げ、たちまちのうちに逃げ出した。
 しかし、俊樹はそれを見ても特に驚きも焦りも追撃の気配も見せなかった。ただ、《闇》の核である本体を見送った。
「……どうして、捕まえないの?」
「あいつは怯えているんだ。それじゃ駄目だ。怯えを取り除いて上げないと助けられない」
「……女の子たちを?」
「あの《闇》もさ」
 俊樹は担いでいた剣をマントで包みこむようにマントの内に入れた。すると、明らかに俊樹の身長ぐらいあった長剣は姿を消した。俊樹の体に溶け込んだかのようであった。
 さらに俊樹が右腕を真横に広げる。俊樹が広げたマントの闇から黒い固まりが飛び出し、それが人の形を形作った。
 俊樹の前に瑠華の知らない男が立っていた。二〇代前半のようなさえない顔をした痩せぎみの男。
「よし俊樹。じゃあ俺はバイトに行くぜ」
 その男が俊樹に前髪をかき上げながら言う。
 瑠華は“バイト”とは何の事か解らなかった。バイトと言えばコンピューターの情報量最低単位? いや、違う。それでは意味が通らない。いったい、何なのだろうか。
 けれども俊樹は意味が解っているらしく、穏やかそうな顔で答えた。
「了解。え〜と燈也(とうや)さん。ここの入り口のところに霞(かすみ)と元幸と孝一(こういち)君、それと僕の友達がいるから、戦闘はもう終わったことを伝えてください」
「ん。……そっちは? 新入り……じゃなさそうだな。“光と笑いし者”だな?」
「ええ。“例の奴”から派遣されてきた僕の監視員ですよ」
 瑠華はその言葉を聞いて胸が詰まったような衝撃に見舞われた。
 俊樹たちは、私たちの組織の存在に気が付いていたの……?
「ふ〜ん」
 燈也がじろじろと瑠華に視線を這わせた。けれども瑠華は下がる訳にはいかない。きっと睨み返した。その睨みをどう解釈したのか、嬉しそうににやにやと燈也は笑った。
「美人でよかったな。――集会は再来月だったな?」
「ええ、八月に」
 瑠華は俊樹と燈也の会話に、眉を寄せて怪訝そうに視線を向けていた。
 集会って、何? そこでは何が行なわれるのだ?
「それじゃあな」
「はい」
 燈也が俊樹に背を向け、大きく跳躍した。出入り口となる鏡の方へと姿を消す。
「……俊樹、あの人は?」
 瑠華は燈也の消えたほうから顔を戻して俊樹に聞いた。
「ああ、彼は燈也さん。僕の仲間だよ。詳しい話はあとでね」
「集会って?」
「あとでね」
 からかう様に少し笑って、俊樹はまた腕を伸ばす。さっきと同じようにマントから黒い固まりが吐き出される。
 俊樹の横に、逞しい(たくましい)体つきをした三〇代前半の男が現われた。
「戦いは終わりました。ご協力、ありがとうございました」
 俊樹は少し頭を下げてお礼をした。
 男は無言で俊樹を見、そして瑠華を見た。男はしばらく瑠華を眺めた後、俊樹に向かって頷きを示し、そのまま鏡のあるほうへと去っていった。
「あの人は……」
「卓馬(たくま)さん。中華料理店で働いているんだ。無口な人だけどいい人だよ」
「そう……」
 瑠華にはどういう事か理解出来なくなっていた。俊樹の体の中に剣が消え、そして人が出て来た。けれどもなぜ剣が消えたのか、人が出て来たのか……頭が……痛い……。
「大丈夫か?」
 ぎりっと歯をかみしめる。
「平気よ」
 そう言って顔を上げた。が、
「無理すんなよ。かなり力を使ったんだ。疲れて当然だよ」
 俊樹が平然と言う。
 俊樹は、どうなのよ。
 そう言いたかった。しかし、それを言う事は自分は疲れていますと証言するようなものだ。瑠華は全然平気、とでも言うように疲れを隠してぷいっと顔を背けた。
「さてと、あっちに移動しよう。瑠華、ちょっと肩を掴むぞ」
「え? あ、ちょっと!」
 言うが早いが瑠華は俊樹に抱き抱えられた。
「きゃ、ちょっ、」
 抗議しようとして、しかし言葉が出なかった。
 俊樹の背中から黒い大きな羽が生え、それが一回はばたいて俊樹と瑠華の体が浮かび上がった。足が地面についていないことで混乱した。肩を抱えられているので足は宙ぶらりんだった。
「姫様だっこしたほうがよかった〜?」
 俊樹がにやにやしながら瑠華に尋ねる。
 のちに姫様だっことは、男の人が女の人の背中と膝の裏を抱えて胸の前で抱き抱える事だと判ったが、この時は瑠華は姫様だっことは何の事か知らなかった。しかし、とりあえず“だっこ”が背負ってもらったりすることであることだけは知っていたので、
「い、いらないわよっ!」
 とすぐに叫んだ。ちょっと痩せ我慢が入っていたが、それは絶対に顔に出さない。
 俊樹と瑠華は真ん中の校舎(LL教室のある校舎)の屋上へと“空中を飛んで”移動した。
 校舎は度重なる戦闘と、《闇》が俊樹と戦う直前にのしかかった事から半壊していた。けれどもやたらめったらと壊れている訳でもなく、壊れていない部分は埃や破片が散らばっている以外は壊れてはいなかった。まだ、左には壊れていない渡り廊下が見える。鏡があるのは隣の三棟の向こうだ。
 屋上につくと瑠華は解放され、俊樹の羽が畳まれて夜色のマントの中に沈んだ。どういう訳か、羽はマントの上から生えていたらしい。
「瑠華も修行すれば空が飛べるようになるよ」
 俊樹がにやにや笑いつつ手を振る。
「もうちょっとで終わるからね」
 俊樹がマントの中で手をごそごそと動かして、手をマントの下から出した。その手には、一本の黒色の縦笛。……クラリネット?
 さらに俊樹のマントの内側から透明感のある青色の小さな球が六つ飛び出してきた。それは下に落ちることなく空中に留まって俊樹の周りに広がる。
 俊樹が一歩踏み出して、演奏を始めた。
 不思議な曲だった。

   ▲ ▽ ▲

「この曲……」
「永谷君が吹いてるんです。あそこ」
 河村は目の前の霞(かすみ)という中学生ぐらいのポニーテールの女の子が指差すほうを見た。音楽が流されているそこに、確かに俊樹君と瑠華さんの姿が見える。
「なぜ、音楽を流すのかね?」
「え〜と、可哀相な《闇》さんの、怯えきった心を慰めてあげるために、流してるのよ。ほら、音楽って万国……? 共通だし」
 霞は手のひらを上下に振りつつ、あまりはっきりしない声で林原に説明した。そうする内にただ一つの楽器から流されていた音楽が二重、三重奏になっていく。
 音楽は、ここからでは俊樹君一人しか流していない様に見える。俊樹君自身が流している音以外の音はどこから流れているのだろう。
 わからないけれども、河村はそこの場に造られている世界を認めていた。もしかしたら、この曲のせいかもしれない。
 えも言われぬ曲だった。なんだろう、わからない。解らないのに求めるような、温かさで包んでくれるような、受け入れてくれることが解る、優しい曲。
 “闇と踊りし者”が流す曲。まぶたを閉じれば、彼が踊っている姿がいとも簡単に想像できる。そういう“力”を持った世界が、そこに形作られている。
「――神楽(かぐら)だ」
 河村は音楽を聴きながらつぶやいた。
 神の御前で行われる舞楽。神に祈り、神に誓い、神の御力を借りるための儀式。
「ところで、《闇》はなぜ《光》を求めているのだ?」
 林原が霞に尋ねた。
「えっと、それはね……」