手の内からこぼれる世界


第四章 月夜のそれぞれ

 使命――終末(おわり)まで傍にいる、からっぽの道案内。

 1

「シャディ、何で私たちはここにいるのかなぁ?」
「力のない人達を護るためよ。私たちしかできないことなんだから」
 どうして、とは聞かなかった。聞けば、後悔することになるのはよく解っていたから。
 代わりに別の質問を投げかける。
「この先、私たちはどうなるんだろう?」
「さーね。いい男の人を見つけて、幸せになれたらいいんだけれどね……」
 シャディはマフラーを編む手を止めて、少し物思いに耽った。けれどもすぐに編物を再開する。私はそんなシャディの姿を見ていた。自分のベッドの上で横になって、ぼんやりと考える。
 幸せ……。自分たちに幸せなんてあるのだろうか?
 自分たちは人間ではない。幸せとは、人間に与えられるものではないのだろうか。自分たちの様な“化け物”に、幸せが与えられることなんてあるのだろうか。
 考えながら、マフラーを編むシャディの手の動きを目で追いかける。
 私たちは、ずっと一緒にこの部屋で過ごしてきた。悩み事があったら何でも話すし、笑う時も怒る時もほとんどのことは共有していた。
 なぜならば、ここはそういうところだから。
 視線を動かして、今度はシャディの金髪のポニーテールの先を視線で追い続ける。
「ねえ、誰のためのマフラーを編んでいるの? シャディの?」
 シャディはおかしそうにくすくすと笑った。
「完成するまで秘密♪ お楽しみに」
「……いじわる」
 そう言っていると、部屋に一つしかない扉がノックされた。随分と癖のある聞き慣れた音は、それが“いつもの”子が来たことを教えていた。
「お姉ちゃ〜ん。あそぼ〜!」
「はいはい。今出て行くわよ」
 私は起き上がると、シャディに手を振って扉を開けた。
 そこにいたのは自分よりも五、六歳ほど年下の男の子だった。自分と同じ日本人で、よく私に会いに来ていた。同じ日本人だから安心するのかもしれない。
「今日は何して遊ぶ?」
「キャッチボール!」
 私は笑った。彼はしっかりと、ボールとグローブを二つ、抱えていたからだ。
「じゃあ行きましょう。シャディ、行って来ます」
「いってらっしゃい」

   ▲ ▽ ▲

「そっちに行った!」
「回り込め! 東のほうに走らせるんじゃない!」
「シャディ、撃て!」
 銃声が私の耳に届いた。それでも私は走り続ける。ちょうどいい場所まで行かなければならない。“敵”を追い詰められる場所まで。
 立て続けに発砲音が聞こえる。敵はこちらに動いてきているようだ。手に持った拳銃を握り締めて、私は立ち止まった。
 銃に“力”を込める。私がここにいる理由である“力”を。
 目の前に広がる夜の闇に包まれた林から、ものすごい勢いで何かが走ってくる音がする。
 私は銃を林に向けて、撃った。白い光が銃から打ち出された。立て続けに撃つ。三発、四発と光の弾丸が林に飛び込んで行った。けれども走る音は止まず、何かが大きく踏み切った音がした。
 月明りの光の中、林の上に何かが飛び出した。それはまるでライオンのような姿をしていた。けれどもその黒い身体はライオンであろうはずがない。鋭く伸びた爪、背中から空に向かって突き出された二本の角、三つに分かれた長い尾などが、それがライオンであることを否定していた。
 それこそが私たちが斃すべき《フォウ》の姿。すでにこいつは罪のない人々を五人も殺している。絶対に殺さなくてはならないのだ。
 私はまだ上空にいるそいつに向かって、銃を三発撃った。一発は後ろ足の付け根に、二発は胸に命中した。
 ぐおおおおおお――!
 私に向かって落ちて来るそいつからは目を離さず、私は後ろへと跳び退いた。《フォウ》が二秒前まで私のいた場所に着地した。
 そこに銃声。光の束が《フォウ》の脇腹に突き刺さり、《フォウ》を弾き飛ばした。
「大丈夫?」
「大丈夫よ、シャディ」
 私を確認すると、シャディは手に持ったショットガンを構えつつ、《フォウ》を睨んだ。
 《フォウ》はすでに起き上がっており、私たちから逃げるように走り出した。けれどもその先に現われた私たちの仲間にたたらを踏んだ。がさり、と林のほうからも仲間が姿を現わす。
 《フォウ》はすでに包囲した。あとは斃すだけだ。
「私が前に出る。援護を」
「わかった」
 シャディが《フォウ》に向かって走り出した。《フォウ》もそれに気が付いた。そこに林のほうからの仲間が発砲して片足を打抜いた。《フォウ》がなす術もなく地面に崩れ落ちる。
 そこにシャディは駆け寄ってショットガンを撃った。《フォウ》の頭が弾け跳んだ。
 仲間も駆け寄ってきて、《フォウ》の身体を蜂の巣にした。そして、跡形もなく《フォウ》の身体はばらばらになった。
 ふうっ、と息を付いたのは誰だったか。
「状況終了だ。怪我をした者は?」
 誰も返事をしなかった。
「よし、かえ――」
 その言葉は最後まで言われなかった。
 キョウン――
 そんな音と供にその人の首が刎ね跳んだ。一瞬で全員が緊張を取り戻し、さっと散った。
「どこだ!?」
「上だ! 空を飛んでいる!」
 私は空を見上げた。暗くて見えないが、かすかな《フォウ》の波動が空から放たれている。初めから二体いたのか? それとも、さっきの《フォウ》から分離したのか? どちらにしろ、そこに“敵”がいる以上、戦わなければならない。
 ……死ぬことになっても。
「くっ」
「駄目よ、そんな銃じゃあ当たりっこないわ」
 シャディがショットガンの弾をリロードした。空薬莢が無造作に地面に捨てられる。
「どうするの?」
「多分、あれは《フォウ》の身体の一部よ。だから奴の身体は小さいわ。ショットガンでもそのまま飛んでいる奴には当たらない。――受け止めて」
「わかった」
 私は《フォウ》の波動を頼りに自分の銃を撃った。それに反応して、《フォウ》の波動が私目がけて急接近してくる。私は防御壁を張った。これで受ければ動きを鈍らせる。そこをシャディが撃ち落とす。それだけだ。
 私の張った防御壁目がけて《フォウ》が突進してきた。私は衝撃に耐えるために足を踏ん張った。
 その時だった。他の仲間が撃った銃弾が私の脚に当たったのは。
 突然の衝撃と痛みに、私はバランスを崩して足を滑らせて地面に倒れた。同時に、私の張っていた障壁も消える。そして、私の後ろにはシャディがいた。
「――!!」
 突然のハプニングにシャディは対処し切れなかった。気が付いたときには《フォウ》の身体の一部は私の上を通りすぎ、シャディに迫っていた。

 そしてそのまま、

 シャディの胴を切り裂いた。私が振り向いたときには、もう終わっていた。
 黒い液体が広がっている。独特の生々しい、嫌な臭いが鼻孔を付いて私は思わず鼻を手で覆った。弾丸の貫通した足を引きずって、私は一歩、また一歩と“それ”に近づいた。
 だんだんと近づいてくる黒い液体の海の中に転がっている、二つの物体。
 それは、シャディの死体だった。シャディは腹の部分で寸断されて、血の海の中に無造作に転がっていた。
 銃声が聞こえた。
 けれども私はのろのろと足を引きずってシャディの頭のあるほうに近寄った。
 シャディはすでに息をしていなかった。へその上辺りで身体を二つに引き裂かれ、おそらくは即死であっただろう。
「シャディ……」
 私はシャディの上半身を掴んで引き寄せた。けれども引きずった拍子にシャディの腸がこぼれ出て、私は手を離してしまった。
 血の臭い。肉の臭い。死の臭い。
 吐いた。気持ち悪かった。今まで、生きていたのに……。
「シャディは……駄目か」
 私は顔を上げた。仲間の一人が立っていた。
「《フォウ》は始末した。さあ、帰るぞ。あとのことは他の奴に任せておけばいい」
 私は首を振った。シャディをあのままにしておけないと思った。
「……“それ”はもう、物だ。どうすることも出来ないし、どうにもならない」
 月が雲に隠れ、全てが闇に沈む。大地も、死者も、化け物たちも、何もかも……。

   ▲ ▽ ▲

「お姉ちゃん……」
「なんで……こんなことに……」
 ルームメイトのいなくなった自分の部屋で、私は泣いていた。いつもならばそこにいたはずの彼女は、もうそこにはいない。帰って来ることも、ない。永遠に。
 結局、彼女のマフラーは完成しなかった。一体誰のために編んでいたのかは聞かされていない。けれども、私には解る。
 多分シャディは私のために編んでくれていたのだと思う。私はこの前、マフラーがほしいとシャディに話していたから。
「なんで……シャディが死ななきゃならないのよ……戦わなきゃならないのよ……」
 これが、“私たちにしかできないこと”を行なったあとの結果だというの……? こんな、悲しみを生み出す様な事が、私たちがやらなければならないことなの……?
「お姉ちゃん、それは……僕らは、“化け物”だからだよ。《フォウ》も化け物なんだ。“化け物”は“化け物”の手でしか殺せないから――」
 私は寂しく笑った。多くの人に言われた言葉。何度も何度も聞かされた言葉。この子もまた、同じことを言っているに過ぎない。
「……そうよね。私は、私たちは、化け物だもんね」
 私たちは化け物。人間じゃない者。だから、戦う。戦って死んだとしても、それは当り前のこと。
 だって、それが私たちに与えられた、抗うことの出来ない“使命”だから。
 私は、人間になりたかった。
 だって、人間だったら化け物と戦わなくてすむもの。戦って、死ぬこともないもの。
「……私は……化け物……」
 その言葉を言う度に、聞く度に、私は自分が壊れていくように感じた。
 ずっと、ずっと、死ぬまで私は化け物なんだろう。
 それが無性に、怖かった。