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目次 / 第四章 / Epilogue / なかがき |
手の内からこぼれる世界 |
鏡の章 ―― Epilogue「――奈美ちゃん!」「萌絵!」 学校の校門で出迎えた友達の呼び声に笑顔で答え、二人は傍にまで走り寄った。 なんとも言えない気分になった。お互いに“別れた”記憶がないからかもしれない。現実味のとてもある夢から覚めたような気分に襲われて、奈美は一瞬だけ現実と非現実の境が判らなくなった。 奈美は家で目が覚めたとき、家族から自分が家に戻ってきたときのことを聞かされた。 そしてその日のうちに警察の人から事情聴取を受けた。けれども―― 「奈美ちゃん、昨日、家庭科準備室に行ったあとの記憶、ある?」 「――ううん、まったくないの。萌絵も?」 萌絵がこくんと頷いた。 そうなのだ。家庭科準備室に向かったあとの記憶がまったくないのだ。 家庭科準備室に行き、何が起こってどうなったのかも、まったく記憶に残っていなかった。家で家族から話を聞いて、自分が一日間行方不明になっていたことを初めて知った。 そのあとの警察の事情聴取。何も答えられるはずがなかった。果たして薬をかがされて誘拐されたのかそうでないのか、何も判らなかった。誘拐であればあってしかるべきの犯人からの要求もまったくなかったらしい。 ただ、話を聞くところによると、黒い服を着た人が家まで届けてくれたらしい。その人物の存在だけが引っかかる。 その人物の存在により、奈美は自ら家出したのではないということは判った。しかし、それがもし誘拐であったのだとしたら、なぜまったく要求がなされなかったのかが解せない。 目的がまったく解らない。ただ、その人物は『奈美とその友達が悪魔に襲われていたので助けた』と言っていたらしい。 子供だましの嘘だ、とそれを聞いた大人たちは口々に言った。けれども、奈美は違った。 すぐに自分が家庭科準備室に行った理由――鏡の怪談のことを思い出した。 それを警察の人に言うと、怪訝そうな顔をして手帳に書き付けていた。 警察の人が帰ったあとに警察の紹介でお医者さんが来て、簡単な診察をしてもらい何か覚えていること、思い当たることはないかを聞かれ、何か薬を盛られていないかどうかを調べるために血液を取られた。 「ねえ、奈美ちゃん。黒い服を着た人のこと、聞いた?」 「――うん、聞いた」 「私たち、もしかして助けられたのかな?」 「……わかんない」 そう答えて、足早に家庭科準備室に向かった。 黒い服の人からのメッセージでは、鏡は割られたらしい。それをどうしても見ておきたかった。 家庭科準備室のドアは開けられていた。中を覗くと、家庭科の女の先生が部屋の片付けをしていた。部屋の中を見回すが、問題の立て鏡は影も形もなくなっていた。 「あら、どうかした?」 ふと物を整理する手を止めて、先生が奈美に聞いた。 「あ、いえ、たまたま通りかかったので……鏡は、どうしたんですか?」 そういうと先生はため息を付いた。 「まったく、勘弁して欲しいわ。朝にね、警察の人が来て家庭科準備室の中を見せろって。それでここに来たら、鍵が開いていた上に立て鏡が派手に割られていてね? 警察の人が誘拐事件の手がかりがあるかもしれないって、部屋中を引っ掻き回して鏡とかを全て、破片も残さずに持って行っちゃったのよね」 不機嫌そうに先生は告げた。様子から見るに、警察は部屋を後片付けはしていってくれなかったようだ。 もう、怪談の元となった鏡はないんだ。記憶の上ではここに来たはずなのに、鏡を見た記憶は一切なかった。 もしかしたら、自分は鏡を見たのかもしれない。そして、もしかしたら怪談の通りに悪魔に襲われて……そのあとに誰かに助けられて、記憶を消されたのかもしれない。わからない。 二人は家庭科準備室をあとにして、職員室に向かった。担任に会っておかなくてはならないのだ。 「結局、何が起こったのかしらね……」 「――わからない」 二人とも、一体自分の身に何が起こったのか、まったく判らなかった。 はたして、黒い服を着た人はどんな人だったのだろう? どんな目的があったのだろう? もしかして、本当に悪魔から助けてくれたのではないか。もしそうならば、せめて一言、お礼を言いたかった。 けれどももうその人には会えないだろう。悪魔の手から私たちを助けてくれたのだとしたら、きっとその人は私たちとは違う世界で生きているはずだから。 もしかしたら人ですらないかもしれない。化け物なのかもしれない。 それでもいい。 それでもいいから、お礼を言いたかった。助けてくれたのならば。 (結局、どうすることも出来ないのよね……) もはや、自分の手の内には何も残っていないのかもしれなかった。手の内にあった何かは、すでにそれがあったという匂いだけを、感触だけを残してこぼれ去ったあとなのかもしれない。 そんなものかもしれない、と思う。 けれど……。 「奈美ちゃん、何か言った?」 「ううん、何も……」 そう萌絵に告げて、奈美は歩き続けた。 心の内に、煮え切らない気持ちを抱えて。 ▲ ▽ ▲ 『昨夜九時頃、行方不明で捜索願が出されていた禾市に住む少女(14)が、不審な人物に自宅まで届けられたという不可解な事件があった。不審者の素性はまったくの不明で、年齢は16歳から18歳、黒い帽子に身体をすっぽりと覆う黒いマントを羽織っていたという。その様な奇怪な格好をしていたにもかかわらず、付近に目撃者はいなかった。 行方不明だった少女は運ばれてきた当初は睡眠薬か何かで眠らされているだけで外傷などはなく、事情を聞いても何があったのかはまったく判らないという。 また、九時半頃に同様に禾市に住む行方不明であった少女(14)が不審人物により自宅に届けられた。唯一の目撃者である二つの家族の話を総合し、警察はその不審人物の姿が酷似していることから同一人物であると断定した。重要参考人としてその行方を追っている。 自宅へと帰ってきた少女は同じ中学校に通っており、事件が発生したと思われる時に二人ともその場にいた。本人たちの証言によると『家庭科準備室に向かう途中から記憶がない』と言い、二人の証言は一致した。警察は何かしらの事件に巻き込まれたものとしたが、詳しい事は判っていない』 「と、まあそんなところだろうな」 地域情報のページの隅に小さく載っていた記事を読んで、ばさりと俊樹は広げていた新聞を閉じた。と、横からほっそりとした手が伸ばされて、俊樹の手から新聞が取られた。今開かれていた面がもう一度開かれる。 「――彼女たちの記憶を消したの?」 「ああ。一回、目が覚めたしな。覚えられていると色々とめんどい事になりそうだし、全部忘れてもらった。こっちの姿は家族に見られているけれども、顔は見られていないし大した事にはならないよ。その内、みんなあやふやになっていくさ」 今日の空模様はまったくの曇りだった。もうそろそろ梅雨の時期だ。これから雨の降る日が多くなるだろう。 俊樹と瑠華は学校の屋上で、フェンスに持たれるようにして並んで立っていた。足元には各々の昼食が入っているものが置いてある。俊樹の足元には弁当、瑠華の足元にはコンビニ袋。ある意味対極的なその二つの存在は、じっと時が来るのを待っていた。 「こっちで彼女たちの容態を調べたけれども、特に異常はないそうよ」 「へえ、どうやって調べたんだ?」 瑠華は新聞を俊樹に返した。それを受け取りつつ、俊樹は興味津々(きょうみしんしん)に尋ねた。 「あなたの知らなくてもいいことよ」 にべもない、けんもほろろな態度を瑠華は取る。けれども俊樹は自信ありげに言葉をつなげた。 「そう? 僕はてっきり偽医者でも送ったのかと思ったよ」 ばっと瑠華は俊樹の顔を見た。その瑠華の驚いた表情を見て、俊樹がへらへらと笑った。 「おやおや、もしかして正解? 僕って冴えてる(さえてる)な〜」 「……」 俊樹の顔を見つつ、瑠華は足元に置いてあるコンビニの袋を手に取って、 「これ、下に敷いた方がいいよ。汚れなくて済むから。それに、コンクリートに直接座るよりは温かいはずだから」 俊樹が新聞の一枚を取って、残りの全てを瑠華に渡した。瑠華はそれを受け取ってしばらく黙考し、床に敷いてその上に腰を降ろした。 俊樹も新聞の上に腰を降ろして弁当の包みを開く。 「足の傷はもう大丈夫なのか?」 「ええ。治療に専念したから」 瑠華の足に昨日あったはずの傷は、痕(あと)も残さずに完全に癒えて(いえて)いた。顔色もよい。 「それはよかった。今日はゆっくり休んでくれよ。疲れは半日ちょっとで癒えるようなもんじゃないから」 優しく答える俊樹を、瑠華はじっと見つめた。その少し曇りのある視線は、何かをためらっていた。 「ん? 大丈夫だよ。今のところ何もないから、多分僕も動かないし。別に僕の家で寝ててもらってもいいよ。何もしないし、瑠華の目の届く範囲にはいるからさ、」 瑠華は視線を俊樹から外して、うつむいて自分の足のほうへと向けた。そして、何かをぼそりと、 「……う」 瑠華が何かをつぶやいた。俊樹は聞き取れずに「んっ?」と頭を瑠華の方に傾ける。今度は瑠華ははっきりと言った。 「ありがとう。助けてくれて」 「――どういたしまして」 俊樹が優しく微笑む。 「それと……」 「なに?」 「その……友だちに……なってあげても、いい……」 その声を聞いたとたん、俊樹はくっくっくっくっと笑い始めた。瑠華は顔を赤くして俊樹を睨んだ。その視線には冷たいものはない。ただ、恥ずかしさから出る怒りのみが伝わっていた。 「いやいや、ごめんごめん。あまりに急激な方向転換だからさ、その瑠華の姿が何だか嬉しくて」 「……嬉しい?」 「うん。瑠華、随分と軽くなったもん。一昨日に初めて会った時よりはさ、気軽になったように見えるよ」 俊樹は微笑んで、手を差し伸べた。 「喜んで、友だちにならせていただきます♪」 その差し出された手を、瑠華は初め黙って見ていて――やがてゆっくりと、ためらいがちに握った。そして、少し嬉しそうに微笑んだ。 「――うん、やっぱり笑っていたほうが――」 俊樹の言葉の終わりを待たずして、瑠華は顔を赤くして俊樹の手を即座に振り払った。そのまま顔を背けて黙り込む。 「……似合うよ」 ともかくも最後まで言葉を言い切り、俊樹は弾き飛ばされた腕を少しプラプラさせて手を引っ込めた。 「ま、なんにしろ、これからもよろしく」 俊樹はそう告げたあと、空を見上げた。どんよりと空に溜まったたくさんの雲の、少しだけ薄くなった所から太陽の光が見え隠れしていた。 「こーいうときは、晴れ渡っていたほうが嬉しいんだけどなぁ〜」 「天気は、そんなに簡単に思い通りにはならないわよ」 照れを隠すためか、瑠華は冷たい声で淡々と言った。その声を俊樹は微笑みながら聞いていた。 「そうか。そうだね」 はるか空高く雲は流れ、緑の風が優しげに流れていた。 まだ全ては、始まったばかりだった。 第一部・鏡の章 了 |
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