私は電車に乗る


第六章 歩けるということ

「わあ!」
「きゃあ!」
 私達はバランスを崩した。浮遊感。そして、落ちた。背中を打ち付ける。むせる。涙が出てくる。
「――いてててててて……。大丈夫? 高山さん」
「……う、うん……」
 私は腕を引っぱられた。立ち上がる。
「あれだけのことをしたのに……もっといい場所に送ってくれっつ〜の」
 斉藤さんが帽子を被り直す。私達がいたのは、大きい川の、川の上の線路の上だった。
「行こう。ここじゃあ電車にひかれても文句は言えないや」
「う、うん――」
 私達は荷物を担ぎ直し、小走りで橋を渡って線路から出た。
 河原の土手に来る。夕日が見えた。
「何とか、戻ってこれたみたいだな……」
 斉藤さんが土手に座って背中のリュックを降ろした。時計を確認する。時刻はすでに午後六時を回っていた。
「……帰ってこれたのね……」
 私も斉藤さんの隣に座り込む。自分の世界の空気を吸い込み、今度こそどっと疲れを感じた。
「ああ、間違いないね」
 彼も時計を確認する。私はふと思いだして、携帯を取り出してメールを受信した。
 メールが何件か来ていた。全部学校の友達からで、「なんで今日、学校を休んだの?」というものだった。学校は無断欠席になってしまっただろう。家の方にも連絡が行っているだろうから、きっと親に怒られるだろうな。
 もう、今日はメールを返信出来そうにない。なんて言い訳しようかしら。明日は学校を休むだろうし、その間に言い訳を考えて適当に返事を出そう。
「喉、乾いたな。ジュース飲む?」
「――うん」
 斉藤さんは近くにぽつんと立っていた自販機で、缶の清涼飲料を二本買って来た。
「ありがとう、斉藤さん」
「ああ」
 一本もらって、私は一気に飲んだ。そこで私は自分がかなり喉が乾いていた事に気付いた。そういえば、あの電車の最後尾でチョコレートとお茶を飲んでから何も食べていなかった。
「あ〜、生きてるっていう実感が……」
 彼が帽子を脱ぐ。髪の毛をかき上げ、ぼんやりと川に反射する夕日の光りを見ていた。
 私達はあのあと、白いカラスさんにお礼を何回も言われて(書かれて、かしら)“現在”へと入った。
 そして戻ってきた。
 元の世界に戻ってくると――あれは一体なんだったのかがよく解らなくなってくる。私達がしたことは、体験したことは、一体なんだったのだろう?
「キーホルダー、落としちゃったみたいだな……」
 斉藤さんがリュックを見てつぶやいた。あの、妙なマークと《Block Element》の文字の入ったキーホルダー。あれなら……、
「あなたのキーホルダーなら、私が持って……あれ?」
 私はポケットに入れた彼のキーホルダーを探して、無くなっていることに気が付いた。
「ごめんなさい。あなたのキーホルダー、落としちゃったみたい」
「……いいよ。あんなの、いくらでも作れるしさ」
 彼が缶ジュースを飲み干す。
「……みんなに話しても、誰も信じてくれないだろうなぁ〜」 彼が夕日を眺めながらつぶやく。涼しい風が吹いた。
「そうね」
「ま、今日の日記に書くけどね。長くなるよ、今日の日記。でも、今日は書かないだろうけど」
「――そう」

 くわぁ。

 突然の声に一瞬頭が真っ白になる。そして、私達は声のしたほうを見た。あの、白いカラスさんがそこにいた。
「……よお」
 斉藤さんが手を上げて挨拶する。白いカラスさんは何かを口にくわえていた。
「――届けてくれたのか」
 斉藤さんが白いカラスから受け取ったそれは、彼のキーホルダーだった。
 くー。
 白いカラスさんが頭を下げて、またお礼を言った。そして、白いカラスさんが二、三回羽をはばたき、空へと飛び上がった。線路のほうへと去って行って……ふっと消えた。
「――さてと、そろそろ家に帰るか」
 彼が背伸びする。
「ねぇ、また、会える?」
「――ああ。え〜と、ちょっと待ってね」
 斉藤さんがリュックを開いて、中からルーズリーフファイルを取り出した。真っ白のルーズリーフを一枚取り出し、それにさらさらと、
「はい、僕の家の電話番号とメールアドレス。ただし、メールはパソコンでのみやってるから、すぐに気付くという訳じゃないし、返信するのにも二日くらいかかるかもしれない。そこのところ、よろしく」
 彼の連絡先を教えてもらった。これでいつでも会うことができる。命の恩人のようなものだし、今度ちゃんとお礼をしなくてはならない。
「――あきらめなくて、よかっただろ?」
 彼がふと言った。
「もう僕らは未来には何も干渉されてないし、自分で未来を選択、いや、創れるようになった訳だし」
 私は彼の言葉に耳を傾けていた。
「自分で歩いて行けるって事だし。やっぱ自分の未来くらい自分で決めることが大切だよな。誰かに決められてる未来なんてつまんないしむかつくし」
 彼はつぶやき続ける。
「生きてるから自分は先に進める訳だし。あ〜、俺何言ってるんだろ。自分の考えてる事がよくわかんね〜や」
 斉藤さんが頭を振って、手で押える。そして帽子を脱いで髪をかき上げ、また被る。
「私もちょっと頭がぼんやりしてる」
「疲れてんだな、きっと。家に帰ったらベットで寝ちゃうな、きっと」
 彼は頭を押えた。
「今日はいろいろとあったからな〜。もう休まないと、考えがまとまらね〜や」
 いろいろとあった、ではすまされないような事ばかりだったのに、彼は暢気(のんき)にそう言った。
 その時、夕日の中の川の上の橋の線路を、いつも通りに人々を乗せた電車が走っていった。私たちが“異常事態”に巻き込まれていた時でさえ、この世界は何事もなく動き続けていたのだ。
 けれども、昨日と今日ではそれは違う光景であるはずだった。
 今はもう、未来は誰にも干渉されていないから。
 たとえ何も変わっていないように感じても、たしかに変わったのだ。この世界は。
 彼は立ち上がって、
「さてと、高山さんはもう大丈夫? 家まで送って行こうか?」
「ううん。平気。一人で帰れるから、斉藤さんも早く家に帰って、休んで」
 私も立ち上がる。体が少しだるい。荷物がとても重く感じる。
「そうだな。そうさせてもらうよ」
 彼が笑った。私も笑った。
「じゃあね。ばいばい」
 私達は手を振って、別れた。

 ( ∵ )

 私は高校一年生の女の子。いつも電車に乗って学校へ行っている。
 目覚ましを止めて顔を洗う。寝癖のついたショートヘアの髪に櫛を入れ、制服に着替えてお母さんが用意してくれた朝食を食べて、歯を磨いていってきま〜すと叫んで、そして家を出た。
 すっかり秋の日差しの中でダイエットのために歩き回っているおばさんに会い、公園を通って近くの小学校へと歩いていく通学途中の小学生を眺めて、そして駅に着いた。
 黄色い蛍光色の服を来たおじさんが違法駐輪に目を光らし、通勤途中の人達が急いだように歩いていて、他の学校の制服を着た高校生が歩いていく。駅前広場の階段を昇って線路の上の通路を渡って改札口へ行く。
 それは、いつも通りの朝だった。
 それが、とても嬉しかった。
 もうあんなのはこりごり。もう十分に満喫しました。もうあんな事、起こって欲しくないです。
 今日、私は斉藤さんに会う。ちゃんとお礼をしなくちゃならないから。なんだか、とっても楽しみ。なんとなく、だけど。喫茶店にでも行って、パフェでも奢ってもらおう……だめだめ、お礼なんだから私が奢らないと!
 遠くに電車が見えた。電車到着の放送。
 電車を見ると、一週間前のあの時のことが頭を流れていく。あれは、世間で言えば宇宙人にさらわれたという話と同レベルな訳で、私は日記みたいなものにあの時のことを書いただけで誰にも話してはいない。
 けれども、私はあの時のことを決して忘れない。それが、“干渉者”さんとの約束だから。“干渉者”さんとの約束なんて私はしてないし、守らなくてもいいとは思う。けれど、なんとなく、ね。
 ふと、この前の斉藤さんと電話したときのことを思い出す。

『きっと、過去にも“干渉者” は存在したんだよ。二、三人ぐらい』
 電話の向こうで、斉藤さんは確かにそう言っていた。
『そうじゃないとあのメモ帳のはじめの何枚かの分は説明できないからね。で、きっとその都度、誰かがある電車のところに行っていたんだと思う。まあ、新型車両なんかあったぐらいだから、時代と共に走るものは違ったかもしれないけれど』
 そして、最後に斉藤さんは付け加えていた。
『“干渉者”が現れるたびに、きっと誰かが未来を護ってきたんだと思うよ。きっとこの先にも“干渉者”は現れるだろうね。時間が、未来が存在する限り、ね――』

 私の未来は、今はもう誰にも干渉されていない。自分の足を使って、先へ進むために歩いている。自分で未来に歩いていく。自分で未来を創っていく。
 そう思うことは何だか気分がよかった。
 電車がホームに入って来て、ゆっくりと停車する。ドアが開かれた。

 そして今日もまた、私は電車に乗る。