私は電車に乗る


第四章 干渉?

 特におかしなところはないように見えた。そこにはもう見慣れてしまった車両があるだけだった。
「……何かあったの?」
「よ〜く見て、ほら!」
 斉藤さんが通路の奥を指差す。私はよく判らなかった。目を細めて、些細(ささい)なことにも注意を払う。
 ただの車両の様に見えた。誰もいない通路、誰も座っていないシート、何も置かれていない天井の棚、開くことのない自動ドア、次の車両に続く連結部のドア、そして次の車両。次の車両はまだ先頭ではないようだ。
「……なに?」
「よく見て。空間が揺らいでいる」
 私ははっとそこにあるものではなく、そこの“空間”を視た。
 ほんのわずか。
 ほんのわずかに、空間が揺らいでいた。向こうの風景が、微妙に揺らいでいた。言われなければ気付かないほどの、わずかな変化だった。
「……なに、あれ……?」
「判らない」
 斉藤さんがその揺らいでいる部分に近寄る。揺らぎは壁のように車両の空間の中にあった。斉藤さんがポケットから財布を取り出し、十円玉をぽいっと揺らぎに向かって投げつけた。十円玉が揺らぎの部分で少し止まって、ゆっくりと染み込むかのように揺らぎの壁を通り抜けて、向こうに落ちた。チャリーンというお金独特の音はなかった。
「さて、どうしようかな」
 斉藤さんが独り言のようにつぶやく。
「やはし、向こうに行くべきなんだろうか……」
 私にもわからない。大体、この揺らぎは何なのか。一体、何を意味しているというのか。いや、ちょっと待って。これ、どこかで……。
「あっ、そうだわ」
 私は思い出して、手を叩いた。
「なにか?」
 斉藤さんが聞いてくる。
「これ、どこかで見たことあると思ったんだけど、あれよ、あれ」
「――ああ、あれかぁ。そうか、あれだよな〜」
 ……? 予想だにしなかった斉藤さんの頷きに、私は怪訝顔をした。
「え? 解ってるの?」
「鈴木さんと佐藤さんが遊園地に行ったところ、かわいい女の子たちがいたのでナンパしました。けれども斉藤さん女らのスローガンは『世に三悪あり。すなわち酒と博打と男共』であったので、哀れ、安井さんと竹田さんは海中遊泳を楽しむ羽目に。完」
 ……? ……? ……? ? ?
 ……はぁ?
「え? ……なに? それ?」
「僕の中で構築した“あれ”の内容。前半と後半で人物名が違うのは気付いちゃいけない。で、高山さんの言ってた“あれ”ってなに?」
 ……もう一度殴ろうかしら?
 私は本気で考えた。こんな状況でおちゃらけられる斉藤さんの精神にとてつもなくイラついた。
「――幽霊さんが肩から流してたヤツと、あなたを殴り倒したあとに出てきた“もや”がこれとそっくりだったのよ」
 斉藤さんが疑問符を浮かべ、少し考え込んだ。交互に揺らぎと床を見ている。そして、背伸びをした。
「え〜と、今構築した仮説、聞く?」
 私は頷いた。斉藤さんは揺らぎを指差して、
「これってさ、時間の境界線じゃないかな」
 境界線?
「こっち側を過去だとすると、この揺らいでる部分の境界が現在、その向こうが未来という訳だ、ほら」
 斉藤さんがさっき投げ入れた十円玉を指す。十円玉が少しずつ揺らぎに近寄って、いや違う、揺らぎが十円玉に近寄って行く。現在が、未来に向かって動いていく、ということなの?
「で、あの揺らぎ、もしかしたらこの境界線が、と言うよりはここから先の空間がすべて揺らいでるんじゃないかな?」
 私は黙って聞く。
「するとだ、未来領域がなぜ揺らいでいるのか。たぶん、まだ決まっていない時間だからだよ。未来は現在で固まり、過去のものとなるって事じゃないかな」
 斉藤さんは揺らぎに顔を近づけ、向こうを凝視する。しかし、よく判らなかったらしく、斉藤さんは首を振った。
「今の話は仮説だからね。完全に信じちゃ駄目だよ」
 と、斉藤さんは付け足した。
「さてと、さっきのメモに書かれた事を信じるなら、僕たちはこの先に行って何かをしなくちゃならないんだが」
「――何を?」
「未来への干渉をやめさせるんだろ?」
 そう。メモにはそう書かれていた。未来へ干渉してはならない、と。けれど、
「どうやってやめさせるの? 誰を?」
「さぁ、誰だろ。メモ、続きない?」
 私はまたメモを開いた。しかし、やはり最後のページまで見ても何も書かれていなかった。
「なにも、ない」
「そうかぁ……具体的な説明とか欲しいなぁ〜。この先には誰がいて、何をすればいいのか、とか」
 くわぁ。
 私達は瞬時に振り向いた。そこに、白いカラスさんがいた。
「あ……」
 私は驚いて、その白いカラスさんを見た。一体、どこにいたのだろう。今まで歩いてきて一度も会わなかったのに、なぜ後ろから現われたのだろう。
「キーポイントの白いカラスさんね……」
 斉藤さんがつぶやく。
「説明してくれるのか?」
 冗談とは思えない口調で、斉藤さんはカラスさんに聞いた。
 白いカラスさんがこちらに近寄って来る。カツカツと床を叩いて早足で斉藤さんの横を通り過ぎ、私の手のメモを見た。
「……メモ?」
 私が聞くと、くわぁ、と白いカラスさんは鳴いた。
 メモを開いて見る。ぱらぱらとめくって……!
「あ、新しい文章がある……!?」
 さっき見たときには真っ白だったページに、新しい文字が書かれていた。
「――なんだって?」
 斉藤さんが聞く。
「……未来は干渉されてはならない。全ては先に決められてはならない。私では、造られた未来に入る事ができない。あなたたちに助けて欲しい。未来にいるあいつを、倒して欲しい……て」
「未来が造られているだって?」
 斉藤さんが少し驚いたような声を出した。
「あ……続きが……」
 メモに続きの文章が浮き上がってきた。
「あいつは未来に取りついて、ほんの少し時間に影響を与えている。未来が少し固まっている。私はそれを許容してはならない。あなたたちも許容すべきではない。自分たちで未来を創るというのならば……」
 白いカラスさんがくわぁ、と鳴いた。斉藤さんは腕を組んで考えて、しばらくうんうんと頷いていた。そして、
「つまりあれか。誰かさんが僕らの運命に干渉してるから、それを取り除いて欲しいと。そういう事か?」
 斉藤さんが白いカラスを見る。白いカラスさんが羽をばたつかせた。
「そうなる。私は干渉を受けている未来に入る事がことができない。だから、あなたたちにお願いする」
 白いカラスさんが赤い目で私達を見た。
「で、どうやったら未来にいる誰かさんを始末できるんだ?」
 私はメモの続きを目で読んで、意味のわからない言葉を見て少し首を傾げた。そして、口で言う。
「……“時喰い”に、喰わせる……?」
「……時喰い? 時喰い……って、あれか?」
 斉藤さんが後ろの車両を親指で指した。ついさっき、切り離された車両を“喰った”闇。あれは“時喰い”と言うらしい。
「過去に去った時間を処理する“時喰い”。それにあいつを喰わせれば、あいつを処理できる……」
「……そうなの?」
 斉藤さんが白いカラスさんに聞く。白いカラスさんはくわぁ、と鳴いた。
「もともとあいつは、時間の渦から生まれたものだった。本来なら、そのまま時喰いに喰われるはずだった。……あなたは、なんなの?」
 私はメモから目を離し、白いカラスさんに聞いた。そして、はっとメモを見る。
「私は、自分がどういう理由で生まれたのか知らない。意思を持った時からずっとここにいた。ずっと時間を見続けていた。ただ、見ているだけの存在だった。そして、今も」
 にわかに理解し難い。時を見ているだけって、そんな事、できるの? 退屈じゃないのかしら。
「――そういうの、時の神様っていうんだぜ、多分」
 斉藤さんが頷いた。
 時の、神様……?
 白いカラスさんも、首を傾げている。
「そうだろ? ずっと時を見てる人って言ったら、時の神様だろ? ……う〜ん、人か? う〜ん、まあいいや、そういう事だろ」
「はぁ……」
 くー。
 私と白いカラスさんはとりあえず頷いた。斉藤さんが荷物のリュックをシートに置く。
「さてと、じゃあ行きますか」
 えっ?
「行くって、この向こうに?」
「ああ」
 斉藤さんは至極当然と言うように頷いた。
「で、でも、よくわからない相手に、どうするって言うのよ?」
「そう言われてもなぁ……ここでぼんやりしてても相手のことはよくわからんし。せめて見てこないと」
「あ、危ないかもしれない……じゃない? なぜ、すぐに、行こうとする、の?」
 言いようのない未知のものに対する恐怖と不安で口がうまく回らなかった。私はそんな状態なのに、斉藤さんは冷静に、
「行かないと、帰れないだろ?」
 私は言葉を失った。そう。この先に行かなければ、私達は家に帰ることができない。でも、
「なぜ、あなたは……この先に進むことができるの……?」
 斉藤さんは不思議そうな表情をしたあと、
「――何回も言ってるけど、僕はあきらめないよ。どの道逃げられないんだから、戦うさ」
 逃げられなかったら、戦う――。
 そうよ。私は、戦わなくてはならない。
 家に帰るために。生き延びるために。
「……どうするの?」
「とりあえず、様子を見てくるだけでも。それから考えるさ」
 斉藤さんは揺らぎに触った。揺らぎに波紋が広がる。
「どうする? ここで待ってる?」
 私も荷物をシートに置いた。
「――いいえ、行きましょう」

 ( ∵ )

 白いカラスさんと別れて、私達は“未来の領域”に入った。斉藤さんの仮説通り、空間そのものが揺らいでいるように感じる。まだ、決まっていない時間。
 確かにそう感じる。まだ決まっていない未来。現在でやっと行く末が決まり、過去のものとなる。未来に進むほど、揺らぎが大きくなっていく。それだけ、未来を選ぶことが出来るという事。
 けれども、この未来は干渉されている。どのくらい干渉されているのかは判らない。私達はそいつ、“干渉者”を排除すれば、元の世界へ帰ることが出来る……らしい。
 一五両目辺りから、“揺らいでいる”ではなく“うねっている”と言うほど、動きがはっきりと判る様になった。けれど私達自身も空間と供にうねっているため、足元を取られたりすることはなかった。目で見る限りでは、前方のほうは確かにうねっているのだが、自分たちの体はまったくうねっていないように見えた。
 私が自分で考えたところによると、確かに私たちの体も空間と共にうねっているのだろう。けれど、空間のうねりは乱雑ではなく、ちょっとしたすき間の間は全て同じようにうねっているのではないか。
 すると、私自身の目や視界などもうねりに同調するために、自分の体などはうねっていないように錯覚するのではないか。つまり、私たちが認識しているうねりとは、自分のいる空間のうねりとは違ううねり方をしている空間との差異、ということになる。奇妙な気分だ。
 ……そして、遠く、見ていて気持ち悪いほど激しく振動している空間の中に、黄色い物があるのを見た。
「――なに、あれ」
「“干渉者”、かな」
 私達は二つ手前の車両の連結部から先頭車両を覗いていた。
 それは、“繭(まゆ)”のようだった。車両の奥、運転席の前辺りに、黄色い糸の集まりみたいなもので天井からぶら下がっている。
「幽霊女がいないのが気になるな……」
「どうするの?」
「――とりあえず、あいつを後ろの車両に運べばいいんだろ?」
 斉藤さんがポケットからナイフを取り出した。
「実際傍に近づいてやってみないとわからないけど……あれなら、触れそうだな」
 私達はここで見ているけれど、向こうに変化はない。
「あれ、私達がここにいる事、判ってるのかしら……」
「――さあ、どうだろう。でも、判ってるものと考えていいんじゃない?」
 斉藤さんは連結部のドアから顔を引っ込めた。私もそれに倣う(ならう)。
「多分、気付いているだろうな。監視されている危険、あるし」
「なんで、襲ってこないのかしら……」
「余裕を持て余してるか、罠を張っているか、じゃないかな」
「――罠って、どんな?」
 斉藤さんは少し考えこんで、
「奴が僕らの何かを求めているなら……捕獲系のみ、と思ったけど、殺しにかかって来たんだっけ。え〜と、でも、最低限、車両から放り出したりしないだろ」
「はぁ……」
 私は理解半分で頷いた。
「さてと、奴を排除する方法だけど……」
 斉藤さんは周りを見渡し、窓に近寄って窓を調べた。そして窓を開けようとする。しかし、窓は三分の一程度しか開かないようになっていた。安全面を考えてそのように作ってあるのだ。
 それを恨めしげに見たあと、外を見て私のところにささっと戻ってきた。
「どうしようかな……窓から放りだそうと思ってたんだけど、開けられないや」
 斉藤さんは肩をすくめた。
「え〜と、かくなる上は運転席に行ってドアを開けるか……」
 ……ドアを開けるんだったら、
「――ドアを開けるんだったら、あれを使えば、」
 私は、それを指差した。え、と斉藤さんも車両真ん中のドアの脇に取りつけられている“それ”を見る。
 『非常の際には』と書かれている“それ”を。

【 非常の際には 】
・非常の際にはこの箱を開け、中の赤ボタンを押して乗務員に連絡をお取りください。
・中の取っ手を引けば手でもドアを開けることが出来ます。しかし、非常時でも無闇な降車は大変危険です。乗務員の指示にお従い下さい。
・地下線内では取っ手を引かぬよう注意してください。

「……手で開けられるのね」
 斉藤さんがそれを読んで声をもらした。そしてその蓋(ふた)をおっかなびっくりに開ける。中に赤いボタンとコックが付いていた。コックをマル非のところまで回せば、ドアを手動で開けられるようになるらしい。
「ちゃんと試しとかないとな……地下線内では開けんなって書いてあるけど、それどころじゃないしな」
 斉藤さんがつぶやく。斉藤さんはゆっくりと取っ手に手をかけ、回した。がちゃん、と音がする。そして隣の自動ドアに手をかけ、引いた。
 重い感触でドアが開く。――律儀に手をかけていないほうの扉も動いている。少し開けられたドアからはものすごい風が吹き込んできた。また、電車の走る音もすごい。ドアの隙間から見ると、壁までの距離はかなりあった。
「ふ〜ん、こうなってたんだ〜。日常における大きな謎の一つが解かれたって感じだな。う〜ん、満足♪」
 満足されてもなぁ……、が私の感想でした。
「じゃあこれを使いましょう、と」
 斉藤さんがドアを閉め、非常コックを元の位置に戻して周りを見回す。
「この非常コックは車両の真ん中の二つのドアの横にしか取りつけられていないようだね。つまり、ある程度まではあの“繭”みたいなのに近づかなきゃならないという訳だ。ところで高山さん、何か武術の心得は?」
 突然の質問に少し悩んだ末、私は首を振った。
「お姉ちゃんから、ケンカの心得を聞いたぐらいで……」
「と、いうわけで、僕らは特に戦闘が出来るような技術も経験もない。そこで、取れる道はと言うと――」