私は電車に乗る


第五章 逃げられないなら――

 私達は先頭車両に入った。意識は奥にある“繭(まゆ)”に置きつつも、些細な変化を見逃さないように周囲を警戒する。
「危ないと思ったらすぐに逃げてくれ。いいな」
 斉藤さんの言葉に頷き、ゆっくりと進んだ。
 と、それまで何もなかった空間に白いもやが浮かび出てきた。それが集まって塊を形作り、
「やっと、きたのね……」
 何の前触れもなしに、私達と繭との間にあの女の人が現われた。
「……あんたの本体はその繭、なんだな?」
「ずっと、待っていたのよ……」
 斉藤さんの質問を無視し、幽霊のような“干渉者”はしゃべる。
「あなたたちが必要なの……」
 その“干渉者”は優しげに囁く(ささやく)。けれども、私にとってはそれは狂気とも思える雰囲気をまとった言葉だった。
「あなたたちの時間が欲しいの……」
 ……私達の時間……。
「……なぜ、欲しがる?」
「そうすれば、私の時間、増える……」
 やっと答えらしい返事が返ってきた。こっちの言葉はちゃんと伝わっているらしい。
「……とりあえず、未来への干渉をやめてくれないかな。邪魔なんだ」
「いや!」
 突然、“干渉者”が叫んだ。
「私は無意味な存在ではない! 無意味に消去されるような存在ではない! 私は存在する! あなたたちの時間を使って、私の存在時間を少しでも長くする……」
「それで未来への干渉かよ?」
「……使い終わった時間では、私の存在を証明することはできない。私は、存在する……」
 存在すること。それが、“干渉者”の望みなんだ、と私は理解した。存在するだけでいい。存在しないという事は、“干渉者”にとって何物にも代え難い苦痛なのだ。
「ふん。決められた未来なんてくそくらえだ。……あんたを排除させてもらう」
 しかし斉藤さんの口調は、そんな干渉者の気持ちをはねつけるように強かった。彼がなぜ、こんな状況でも自分の意思を貫き通せるのか、よく解らなかった。
「私は、ここで消える訳にはいかない……」
 “干渉者”が囁く。
「私、あなたたちの時間、もらう……」
 “干渉者”が近づいてくる。
「行くよ」
「――うん」
 私達は頷いた。
 斉藤さんがナイフを逆手に持って“干渉者”へと突進する。“干渉者”は歩みを止め、迎かえ撃つ体勢をとった。
 ナイフが振られる。しかし“干渉者”の体がいきなりぐにゃりとゴムを引っぱったように曲がり、ナイフを躱わす(かわす)。その間にも“干渉者”は手を伸ばして斉藤さんの肩を掴もうとした。それを見越していた斉藤さんは、いきなりしゃがみ込んでそれを躱わし、後ろに飛んで距離を取る。ただし、着地に失敗して尻餅をついてしまった。
 そして、私は非常コックのところにたどり着いた。
 斉藤さんが囮となって“干渉者”の気を引き、その間に私がシートの上を走って非常コックのところに行く。その簡単そうで意外と成功しない作戦を、私達はやってのけた。
 私は跳ね飛ばす様に蓋(ふた)を開け、非常コックを回す。これで隣のドアが開くようになった。急いでドアを全開にする。激風が車内に流れ込んできた。
 それに気が付いた“干渉者”が私に向かって、手を“飛ばした”。実際にはものすごい勢いで腕を伸ばしたのだが、私にはその様に見えた。
「ひぃっ!」
 私は悲鳴を上げて車内の奥、繭(まゆ)のあるほうへと逃げた。伸ばされた手が蛇のように曲がりくねって背中に叩き付けられた。衝撃で体が少し持ち上がり、床に叩き付けられたがなんとか私は手を床について、顔面をぶつけることだけは回避した。
 背中が熱かった。それが殴られたことによる痛みだとはわからなかった。
 私は逃げようとした。武器がないから戦えない、というものではなく、純粋に逃げたかった。
 けれど逃げられない。足を掴まれている!
「離してっ!」
 私は私の足を掴んでいるその腕を外そうとした。しかし、すり抜けて触ることが出来ない!
「逃がさない……」
「らぁっ!」
 “干渉者”の後ろから飛びかかった斉藤さんの掛け声。いきなり私の足を掴んでいた“干渉者”の腕がもやになり、霞のように消えた。見れば空間の振動の中、“干渉者”の片腕が肩からなくなっているのが見えた。
「お、お、お、」
 “干渉者”がうめく。そして振り向く。が、斉藤さんは器用に“干渉者”の死角を回って、私のところに駆け寄って――、
「そこから動くなよ!」
 と叫んで、そのまま通り過ぎて繭へと走る。
「だめぇ!」
 “干渉者”が私を飛び越え、斉藤さんを追いかける。残った手が伸ばされる。
「危ないっ!」
 私は叫んだ。それに反応してか、斉藤さんが思いっきり踏み込んでサイドステップをした。ぎりぎりで突進してくる腕を躱わす。
 斉藤さんがナイフを振り上げた。斉藤さんを捕えられずに、無防備になっていた瞬間だった。
 触れないはずの腕が、なんの音もなく断ち切られた。切られた腕の先が霧散する。
「お、お、お、」
 痛みを感じているのか、女の人がふらついて、つまずいて倒れた。その時にはもう斉藤さんは繭まで達していた。シートに足を掛け、跳んで繭にしがみつく。そして、繭の糸を切り離した。
「おっと」
 斉藤さんは器用にも、繭をクッションにして着地した。いいんだろうか、とか考えている場合じゃない!
 斉藤さんは繭を抱え、こちらに走ってくる。それを見て、“干渉者”が立ち上がろうとして、
「和美さん! パス!」
 斉藤さんが繭を私に向かって投げてきた。
「――!」
 うねっている空間の中を飛んでくる繭に注目していた私の視界に、何か入った。そして繭をうまく受け取った。それをドアから外へ投げ
 ビュル! と繭から伸びた糸が私の腕に絡まりついた。
「きゃっ!」
 私は訳がわからずに頭が真っ白になった。投げようとした繭が私の腕から離れず、床に叩きつけられる。腕に衝撃が走り、言いようのない痺れ(しびれ)が体を駆け抜ける。それでも、繭は私の腕を離さなかった。
「っ!?」
 私の腕に引きつるような痛みが走る。
「や、ら、せ、な、い」
 “干渉者”の声が聞こえた。中に、入ったの……?
「しつけーぞこのやろう」
 途端に私の腕から締め付ける力が消えた。重さも感じなくなる。斉藤さんがナイフで絡み付いた繭を切り離したのだ。
「おしまい♪」
 間入れず、斉藤さんが床に落ちた繭を蹴った。繭は狙い外れず、ドアから車外へ――。
「――!!」
 繭は外の壁に派手にぶち当たり、絶叫を残して視界から消えた。
「……」
「……」
 私達はぼんやりと、繭の消えたドアを見続けた。ドアのちょっと向こうにはコンクリートのような壁が流れている。
 ふぅ、と声が聞こえた。そちらを見ると、斉藤さんが大きく息を吸って吐いていた。
「はぁ……おつかれ様でした」
 斉藤さんがドアを閉めて、非常コックを元の位置に戻す。
「大丈夫? 怪我はない? 腕、大丈夫?」
 斉藤さんが私に手を差し出した。気が付くと私は床に座り込んでいた。ぼんやりと差し出された手を見つめて、
「……うん」
 私は彼の手をとって立ち上がった。
「お疲れさん。あとちょっとで、家に帰れるよ」
 と彼は笑った。

 ( ∵ )

「……それにしても、なんで“干渉者”をナイフで切ることが出来たの?」
 “現在”の車両、過去の領域にて。
 私達はシートに座って、少しぼ〜としていた。戦闘後、一気に緊張が抜けたのでどっと疲れが出てきたのだ。私は大して動いてもいないのに、白いカラスさんの姿を見ただけで体に力が入らなくなってしまった。さっきまで、シートで横になっていたのだ。
「えーとね、僕が初めてあいつに向かってナイフを振った時、あいつ避けたからさぁ。体当りしたときは避けもしなかったっていうのに、ナイフだけ避けるのはおかしいだろ? だからやれるんじゃないかと思ってやったら、出来た」
 私の向かいに座ってスポーツ新聞を眺めながら、斉藤さんは答えた。そのスポーツ新聞は、私たちが過去領域に戻ってきたときに現在の膜を通ってきたものだ。カラスさんの話によると、“現在”には穴が開いており、時々にこうして過去の領域に現在の物が入ってくるらしい。
 私は干渉者に引っ張られたせいで少し痛む腕をさすりつつ、斉藤さんを不思議そうに眺めた。
「それだけ……?」
 斉藤さんはこくっと頷いた。
「それで十分だったんだよ、その時は。今考えてみると……」
 斉藤さんが考え込む。
「……あれじゃないかな。このナイフ、元を辿れば(たどれば)この電車の中にあったものだろ? だから、“干渉者”に有効だったとの見方もある。つ〜か、このナイフ、あいつが持ってきたものだろうし。ま、今となってはもう終わったことだし、どうでもいいんじゃない?」
 くー、と白いカラスさんが鳴く。それを見つつ、
「さて、あいつはなんだったのかという話。ちょっと想像しました。聞いてくれる?」
 斉藤さんの言葉に、私は頷いた。
「思うにさ、あいつ、もしかしたらこいつの影の様なものだったのかもしれないよ?」
 白いカラスさんをこいつよばわりしていいんだろうか。時の神様なのに……。
「影……って?」
「影は変かな? ……やっぱ影でいいかな。つまりは反物質のようなものなんじゃないかと」
「なに? 反物質って」
 私の頭の中に一応、反物質という単語はある。しかし、その“概念”はたくさんのエネルギーを放出するもの、というものだった。正確な意味は知らない。
「反物質っていうのは、ちょっとアバウトな説明になるけど……正のエネルギーを持った物質を作りだしたときに出来る、負のエネルギーを持った物質の事だよ」
「――?」
「えーと、つまりね、……その……え〜と……」
 斉藤さんは説明しようとしているのだが、うまく説明出来なくて少し悩んでいた。
「つまりだ。もう反物質の話は忘れてくれ。例えがまず過ぎるし、解りにくいから」
「はあ……」
 と頷きつつ、私はやっぱり斉藤さんも普通の人なんだなぁ〜と思った。あれやこれやと想像を巡らして仮説を立てて、いろいろと理由を作ってる。普通の人はそんな事しないような気がする。だから彼は普通の人とは違うと思ってた。
 けれど一つのことをうまく説明出来なくて、悩んでる。やはり彼も普通の人には変わりないのだ。物の見方とか、考える方向がちょっと違うだけなのだ。
「感じとしては、陽と陰、かな? 善き神が生まれたとき、悪しき神が生まれた、と言えば解る?」
「――この白いカラスさんが生まれたから、“干渉者”も生まれた、という事?」
「うん、そう」
 彼は頷いた。
「プラスの気が集まって白いカラスさんになったとき、マイナスの気が集まって“干渉者”になったと。そんなことを考え付いた訳です。ま、これも仮説だけど」
 彼はため息をついた。
「あ〜、仮説ばっかりだな。でもなぁ〜、これが真実っていう証拠も確証も、なんにもないしなぁ〜。想像の域を出ないな。仕方ないけど」
 彼が背伸びをする。
「大体、この電車自体、なんで存在しているのか……」
 そこで、彼は言葉を止めた。少し考えて、
「……あ、今怖い想像をした」
「――どんな?」
 私は聞いた。
「もしかしたら、“干渉者”、まだ生きてるかもしれない」
 私はその言葉が不快だった。
「……もうやめてよ、もうたくさんよ、いやよ、帰りたいのよ……」
 私はぶんぶんと首を振って答えた。
「……ごめん、忘れてくれ」
 私達は黙り込んだ。カツ、カツ、と白いカラスさんの歩く音が聞こえた。

 その瞬間、ドン、という音と衝撃が電車を走った。

 私はびくっと音のしたほうを見た。後ろの車両からだ。かなり遠い。
「ああ、もうっ! しつこいなっ!」
 斉藤さんが声を荒げて立ち上がる。
「ど、どうしたの!?」
 私はびっくりして聞いた。
「“干渉者”だ!」
 くわあ!
 白いカラスさんが後ろの車両の方を見て、叫んだ。
「やっぱ、時喰いのところまで行かなかったんだな」
「――な、な、なんでよ!?」
 私はいやだ、もう戦いたくない、と思いながら叫んだ。
「この電車はカーブとかないし、地下線だし、なによりも貨物列車顔負けに長いからね。人間ならほっぽり出された時点で即死だろうけど、とりあえずどこかで電車に掴まることが出来たんだろうよ」
 斉藤さんが、シートに置いてあった白いカラスさんと会話するためのメモを手にとる。
「後部車両を切り離して欲しいんだけど。どうせ現在よりも過去の車両はもういらないんだろ?」
 くわぁ、と白いカラスさんが鳴いた。
「切り離せるのは運転席のある連結部だけ。非常ブレーキを引けば切り離される、か。僕らに行け、という事か?」
 くー、と白いカラスさんが鳴く。
 斉藤さんはため息一つついて、
「よし、行こう」
 と私に向かって言った。
「な、なんで、なんで、なんでよ?」
 私はもう行きたくなかった。終わったと思いたかった! なのに、なのに、なんでまた、行かなきゃならないの?
「――気持ちはわかるけど……出来るだけ大勢で行かないと、倒せるもんも倒せなくなる。だから、来てくれ」
「いや、いや、」
 私は首を振った。
「いいから、来てくれ! 家に帰りたいんだろ!? なんでやろうとしないんだ!?」
 とうとう斉藤さんが怒鳴った。
「自分はなんにもしないで帰りたいなんて虫がよすぎるだろ! ビクビクと怯えて帰れる訳なんかないんだ!」
 彼は叫んだ。

「逃げられないんだから、戦ったほうがいいだろ!?」

「あ……」
 思いだした。その言葉を一番最初に私に教えてくれた人を。
 お姉ちゃんだ。
 小学校の時、いつも男の子とケンカして手足を擦りむいて血を流してた。
 私は尋ねたのだ、お姉ちゃんに。

『なんで、血を流してまでけんかするの? 痛くないの?』
『和美ももうちょっとしたらわかる様になるわよ。逃げられないんだったら、戦ったほうがいいでしょ?』
『なんで逃げられないの?』
『いやね、男子のアホが私達に一輪車を渡さないもんだからね。言い合いしてたら向こうとこっちでケンカよケンカ。売られたケンカは買わなきゃならないって、昔の偉い人が言ってたのよ!』
『誰が言ってたの?』
『……鬼瓦、とか言う人……だっけ?』
『わ〜、強そうな名前〜』
『ううん、多分違うと思うから、忘れていいわ、その話』
『うん、忘れる〜』

 と、いうような事があったような気がする。いや、あったのだ。こんなときにその事を思い出すなんて……。
「あ、ごめん……」
 斉藤さんが、黙り込んだ私を見て謝った。
「ううん、いいの。大切な事、思い出せたから……」
「――そうかい」
 斉藤さんは何も聞かなかった。そしてすぐに緊張のみなぎった顔になる。
「行こう」
「――うん」
「ナイフ、君が持ってて」
 斉藤さんがナイフを差し出す。私はもう何も言わなかった。それを受け取り、私達は駆け出した。
「今、ヤツがどこにいるのかわからないのか!?」
 くわぁ、と斉藤さんと私の間を飛んでいる白いカラスさんが鳴く。
「後ろのほう! こっちに近づいて来てるって!」
 斉藤さんがメモを読んで叫ぶ。
 運転席のある連結部を過ぎて、斉藤さんがシートの下の非常ブレーキを探す。
 ドカァンッ!
 私達はばっと振り向いた。三つほど向こうの車両に、異様な物体が見えた。大きな、黄色い何か。それが、そこにいた。
 黄色い何かは私達の姿を認めたのか、一瞬動きを止めて……消えた!?
「あっ、あれ!?」
「考えちゃ駄目だ! 非常ブレーキを……どこだ!?」
 てっきりシートの下にあるものだと思っていた。しかし、この車両はそうではないらしい。新型車両だ。大まかな造りは前のやつと同じだが、非常ブレーキの位置が変わっているらしい。
「ああもう最高! どこどこどこ〜!?」
 斉藤さんが床を這って調べる。私も非常ブレーキを探す。
 ドシンッ!
 突然、上から――
「逃げろ! あぶねぇっ!」
 瞬間、天井を突き破って“それ”が落ちて来た。
 ギュロロロロ!
 大きな黄色い生き物みたいなもの。さっきの、繭――?
「み、つ、け、た。に、が、さ、な、い」
 それがしゃべった。あの“干渉者”の女の人の声に似ている。それが、私のほうを見ている。
「う……」
 私はナイフを両手で握り絞め、後退った。そして滑って尻餅をついた。
 ブオン!
 と棒が私の頭上を通り過ぎ、
 ガシャンッ!
 と窓が割れた。
 繭から触手が伸びていた。私が尻餅をつかなかったら、今ごろは――。
「さ、斉藤さん!?」
 私は叫んだ。けれど、返事がない。
 に、逃げる――。
 私は起き上がって、後部車両の方へ走った。後ろから大きな音が近づいてくる。物が壊れている音だ。
 走りつつ、私は考えた。
 後部車両にいたら、切り離されてしまう。そうしたら、私は、死ぬ。そんなのは駄目。だから、私は前の方に戻らないといけない。けれど――。
 ドガァン!
 後ろのほうでひときわ大きい音が響いた。たぶん、連結部が吹き飛ばされたのだろう。
 恐怖心が募る。しかし、不安は感じなかった。混乱もしない。
 どうすれば生き延びられるか――。それだけだ。それ以外の事は考えなくてもいいのだ。
 どうすれば生き延びられる? ここにいては駄目だ。前に戻らないと。けれど、後ろのしつこいヤツは? あれでは脇を通らせてもくれなさそうだ。どうする? どうするどうするどうする?
 はっと、私は見た。
 私の進んでいる先の連結部が派手に壊されていた。さっき“干渉者”がここから車両の上に行ったのだ。なら、私もここを!
 私は車両下にある接続器具でまだなんとか繋がっている連結部で止まり、車上に行くための小さな梯子を登った。
 下からの、咆哮。ギュジギュジという音。
 私はきつい風の中、這いつくばって車上を前に向かって移動する。
 天井がどこにあるのか判らない。電線とかランプとか信号とかはないから、そういうものにぶつかる心配はないようだけど、暗すぎてよく見えない。しっかりしないと落ちてしまう。しかし、
 ギュアッ!
 “干渉者”が私を追いかけて、車上に上がってきたのだろう。私はそんなものに気を向ける余裕はない。急いで、次の連結部まで行かないと――。
 連結部に来た。ここも派手に壊されていて連結部の幌がなくなっている。これなら降りられる。急いで降りようとして
 ビュン!
 細い触手が私の胴体に巻ついた。
「きいっ!」
 私は悲鳴を上げず奇声を上げて、その触手にナイフを突き立てた。バランスを崩して、足が車上からずり落ちそうになる。けれどなんとかなった。車上の排気口みたいなところを掴んで立て直し、また触手にナイフを突き立てる。触手がビクビクと動き、傷口から血ではない何かを垂れ流し、私を掴む力が弱まった。もう一度ナイフを突き立てる。すると触手が千切れた。
 何とか身体に巻きついた触手を取り払って下に降りようとしたとき、“干渉者”が鋭い突起を私に向けていることに気が付いた。その突起が、ものすごいスピードで私に向かって!
「これでも喰らえって言うのは月並みっ!?」
 そんな声と共に、私の隣から赤い物が飛び出した。その赤い物に突起が突き刺さり、次の瞬間に大爆発した。衝撃と共に白いものが飛び散った。
「!?」
「高山さん、早く降りて!」
 ぐいぐいと腕を引っ張られ、私はあわてて下へと降りた。
 斉藤さんがいた。手には黄色いピンを持っている。
「消火器!?」
「そうだよ!」
 さっき私の横から飛び出したのは、斉藤さんが投げつけた消火器だったらしい。電車に備え付けのものを使ったのだろう。
 私たちは走った。今を逃せば私達はおそらく、殺されるだろう。
「先に行け!」
 斉藤さんは腕を振って私にそのまま前部車両に行くように指示し、車両の途中で止まってドア横のシートの下にある非常ブレーキを引っぱった。
 私が安全な車両に飛び込んだとき、突然、車両が切り離された。まだ、斉藤さんがいるのに!
「斉藤さ――!」
「どいて!」
 斉藤さんがこっちの車両に飛び込んできた。さっとドアに掴まって入る。
「今度は成功したぁ〜!」
 斉藤さんがガッツポーズを取る。
 ビュガシッ!
 はっと私達は振り向いた。“干渉者”、“干渉者”が切り離された車両から、こちらの車両に触手を伸ばし、しがみついている!
「私は、消えない! 存在するの!」
 しかし、電車の間はゆっくり開いていく。“干渉者”の腕が引き伸ばされていく。斉藤さんが私の手からナイフを取った。
「存在する存在する存在する」
「そうだな」
 斉藤さんの一言に、“干渉者”は言葉を止めた。
「お前は存在する」
 斉藤さんが言った。
「僕らが、お前が存在した証しだ」
 斉藤さんがナイフを構える。
「お前の事は、忘れない!」
 斉藤さんが叫び、ナイフを振った。風を切る音がしてこちらの車両に伸ばされていた触手が全て断ち切られた。けれども、“干渉者”は何も言わなかった。
 絶叫もなかった。雄叫びもなかった。罵り(ののしり)もなかった。
 ただ、私には、“干渉者”が――嬉しそうに笑った、様な気がした。
「バイ・バイ」
 斉藤さんが大きく手を振る。途端に後部車両の車輪から火花が飛び散った。急激なブレーキがかけられ、後部車両が急速に遠のいていく。
 やがて後部車両は遥か遠く、光りの点となって――消えた。
「終わった、な……」
 斉藤さんがつぶやく。気が付くと、斉藤さんの肩に白いカラスさんが止まっていた。それを見て、私は一息ついた。
 そう、今度こそ、終わったのだ――。