PHANTASY STAR ONLINE 2(PSO2) Ship9:ハガル チーム 世界群歩行者達 公式
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世界群歩行者達というチームについて

作成日:2014/04/10 作成者:塊素

 チームマスター、塊素です。

 チーム内で退団ラッシュがあって増えていたメンバーも目に見えて減りました。

 この動乱の最中、「世界群歩行者達とはどういった性質を持つチームなのか」について話し合いがかなり長く行なわれました。

 チームの性質に反発した人たちの多くが去り、ひとまず落ち着いてきたこのごろ、得ることができた結果から改めてチームを考察します。

チームという共同体

 チームは何のために存在するのか。それは一つのゲームの中の共同体であり、本来はバラバラである個々人を特定の場所に寄り集め、指針を敷いて一定の方向性を持たせるためのものです。

 昨今はさまざまなチームが存在します。ただ一人だけのチーム、現実で付き合いがある人のみのチーム、特定の性格を持ったチーム(社会人のみやチーム機能だけを利用したい人のみなど)。プレイヤーはそれらの中から自分の利益に適したチームを選び、所属していくことになります。

 そして人数が多くなったチームはチームメンバーにとってさまざまな価値を持つようになります。

 チームとは、ただの寄り合いか。もしくは家族か。仲間がいる場所か。はたまた単なる道具か。プレイヤーの数だけ価値観があり、プレイヤーの数だけ答えがあると考えています。

プレイヤーの自由は尊重されなければならない

 オンラインゲームはコンテンツの中には多人数の協力が必要になるものも含まれています。このため、オンラインゲームではしばしばプレイヤーをゲームに縛り付ける場面を見かけることがあります。

 例えば、一人のプレイヤーでは到底叶わないモンスターを倒すために人を呼ぶ必要があるとします。しかしながら、呼んだ人が弱くては協力者としてふさわしくないことも多く、協力者の選別がプレイヤーによって行われることはとても多い。あらかじめ強い人と連絡を取りつけておくことが普通ですが、オンラインゲームですから相手が常にログインしているとは限りません。相手がいない場合は別の人を探すか目的達成を諦めることになります。

 そんなときに一部の人は、わざわざプレイヤーにオンラインゲームにログインするよう要請を出したりします。他にも協力者としてふさわしくなるよう、ゲーム上でプレイヤーを鍛えたりします。つまりはログインを強制される場合があります。

 世界群歩行者達はゲームプレイを楽しむためには、こうした行動の束縛はあってはならないと考えています。オンラインゲームは一人で遊ぶものではないことは確かですが、だからと言って自分の我がままに他人を付き合わせることはあってはならない。それは、他人のゲームプレイの楽しみを損なわせます。

 プレイヤーの自由は尊重されなくてはならない。そして、チームがプレイヤーの重石になってはならない。

 チームがプレイヤーの上に立ってはならない。これは世界群歩行者達の理念です。

チームとは道具である

 本来ならばバラバラのプレイヤー達に声をかけ、特定の方向に力を向けることにより、大きなことを出来るようにする。オンラインゲームを楽しむためには一人では出来ないことが多すぎるのは、オンラインゲームをプレイした経験を持つ人ならば自ずと理解できると思います。オンラインゲーム自体も一人だけでは遊び尽くせない作りになっています。

 一人では出来ないことをやるためにグループを作る。人が増えれば増えるほど、出来ることは多くなっていく。そうして出来上がったのがチームです。チームとは本来一人で遊んでいるプレイヤーに対して、他プレイヤーとの繋がりを提供します。この繋がりを活用してより大きな目標を達成することが出来るようになります。

 チームの価値はチームそのものにあるわけではなく、チームに所属しているプレイヤー一人ずつにこそあり、尊重されなければならないものです。

 チームとは何か。チームとは、プレイヤーをつなぐ道具である。世界群歩行者達のチームマスターはそう考えています。

チームの価値観

 とはいえ、真に全てのプレイヤーの価値観を取り扱えば必ず衝突が発生します。自分にとって楽しいと思えることが、他人にとっては不愉快である場合があるのは現実でも変わりません。

 衝突を避けるためには、最も簡単な方法として異なる価値観を持つ人が集まる場所には行かないようにすること。チームにはそこに所属するメンバー全員が納得している価値観が存在し、人はその価値観が自分の価値観と合うかどうかを吟味しなくてはなりません。合うのであれば所属を検討し、合わなければ離脱する。プレイヤーはこの判断をしなくてはなりません。これが出来なければ、チームに所属している意味も楽しみもないでしょう。

終わりに

 チームは所属している人によって軸となる価値観が変わり、人が変わらなくても時間が経つだけでもこれまた価値観が変わったりします。人が生きている中で生まれたチームもまた生きていると言っていいでしょう。

 本稿がわりと取り止めもない内容になってしまっているのは、チームというものには確固たる形がないからだと思っています。世界群歩行者達も然り。チームマスターも世界群歩行者達と言うチームの全てを理解し出来ているわけではない、と言うことです。理解できてないからと言って向き合わないと言うわけでは決してありませんが。

 最後に、退団者が続出する中で特に指摘された「チームは道具である」という部分について、補足しておきます。

 うまい例えが出せなかったために話し合いの中でうまく納得してくれる人は余りいませんでしたが、別の例えを出すと世界群歩行者達というチームはいわゆるアーケード商店街のようなもので、屋根の付いた一本の道を共有している自営業者の集まりと言えます。自営業者こそはプレイヤーであり、各々がそれぞれの利益や経営観念(価値観)に基づいて店を出しています。自身の店を盛り上げるために営業を行なったり他の店主と相談したり協力したりして経営していきます。時には商店街そのもののイベントもあり、これに参加して盛り上がることも出来ます。

 店を出すのも店を畳むのも自由です。しかしながら、どのように営業するかは経営者自身の責任になります。アーケード商店街の中でどのようにすれば商売していけるか、考えなくてはなりません。経営が苦しくなっても、アーケード商店街そのものを活用すれば活路が開けるでしょう。

 これこそが、チームの使い方です。