手の内からこぼれる世界


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氏名 永谷 俊樹(ナガヤ トシキ)
性別 XY
年齢 一五歳
生年月日 二〇二二年(和合一四年) 十一月 二〇日
血液型 AB(Rhプラス)
病歴 なし
現住所 〒817−5849 禾市 乾区 酉原 西山町(ノギシ イヌイク トリハラ ニシヤマチョウ) 22−3 彩音(さいおん)マンション 402号
電話番号 078−695−2475
保護者 父 永谷 晴彦(ナガヤ ハルヒコ) 三七歳
兄弟姉妹 なし
現職 禾市市立 酉原高等学校在学 学籍番号:三九二三七 一年七組二七番
学力(絶対評価) 査定評価なし
学歴 三四年 酉原小学校卒 総合評価 二七段階評価(相対評価) A−8
   三七年 酉原中学校卒 総合評価 二七段階評価(絶対評価) B−1
資格 なし
賞罰 なし
備考 父子家庭。
   母親、永谷 明美(ナガヤ アケミ)は二一歳の時、長男出産時の病症の併発により死去。


 それが、永谷俊樹の簡単な資料であった。病院の資料は特に問題なし、警察には彼の資料はなかった。
 つまりは普通。ただの高校生だ。学力面でも問題はない。
 資料では、の話だけども。
 九連水瑠華は自分の席の斜め左前にいる《リベル》を観察しつつ、資料につけられた顔写真を眺めた。どこかひねくれた、冷めた表情の少年が映っている。写真は高校入学当時のもので、髪は櫛が通されていて綺麗にまとまっており、感情など存在しないかのように無表情だった。しかし、目の前にいる現物のほうは髪の毛は少しぼさぼさで、さらに印象的に薄く笑っていた。
 彼の監視が自分に与えられた任務。高校生活を楽しむためにここに来た訳ではない。
 自分に心の中でそう言い聞かせるが、心のどこかにこうして学校に来ている事を喜んでいる自分がいる。
 瑠華は学校、というものに真面目に入学して卒業したことがなかった。自分の体のせいで。
 “人間ではない”、この体のせいで。
 幼いときは普通の人間から普通の子供として産まれたはずだった。しかし、いつからか瑠華の体の中に《光》が住みついた。それが判ってからというもの、両親は瑠華を突き放すようになった。
 ずっといい子にしてたのに。ずっとお母さんとお父さんが好きだったのに……。
 そしてある日、男がやってきた。
 その人は瑠華のような人を集めている組織の人間であった。
 どんな取り引きがなされたのかは知らない。一週間後、瑠華はその男に連れられて親元から離されてしまった。
 それからは妙な検査や実験が瑠華に対して行われ、訓練を受けた。そして、彼女は《闇》を狩り出す特別捜査官として働くようになった。
 そして今、瑠華は永谷俊樹の調査官としてここにいる。
 永谷俊樹。《リベル》というレッテルを貼られし《闇》の手先。組織は永谷俊樹はすでに人間ではないと見なしている。
 しかしながら、それでも社会の中で平穏に生きている《リベル》はそうはいない。大抵が《闇》に自我を喰われて発狂し、なにかしらの事件事故を引き起こしていた。そしてそれが組織の知るところとなり、人知れずに“処理”される。
 瑠華は発狂した《リベル》に会った事はない。その“処理”をしたことはない。“処理”が行われるのを見たこともない。“処理”が行われたあと、どうなるのかも知らない。
 そんな中、発狂することもなくのうのうと生きている《リベル》。普通に人間社会の中で生きている怪物。普通に生きているからこそ興味深い。
 そこで、組織は彼を監視してデータを集めることにした。
 決して、見抜かれないように。
 上官からそう言われていたのだが……どうやらあっさりばれてしまったようだ。どこかで情報が漏れたのかもしれない。そうということであれば私に非はない。

 もう、小細工は無用。

 それが瑠華の判断だ。
 さて、これからどうしようかし
「先生」
 はっと瑠華は顔を上げた。
「お腹が痛いのでトイレに行ってもいいですか?」
 申し出たのは紛れもなく、永谷俊樹だった。
 国語教師は特に疑うこともなくすぐに許可を出した。永谷俊樹が教室を出て行く。
 目立った行動はできない。できれば後を追って監視したいところだが、授業中に永谷俊樹を追いかけて出て行けば確実に不利な立場に立つことになる。
 まずは、待つこと。
 瑠華は涼やかな目で腕時計をちらりと見て、永谷俊樹の不審な行動と時刻をノートの端に書いておく。
 空っぽになった永谷俊樹の席を一瞥し、瑠華は任務通りに授業の内容をノートに書き写す作業を再開した。

 ――永谷俊樹が戻ってきたのは二〇分後だった。永谷俊樹は何事ともなかったかのように黒板の内容をノートに書き写す作業を再開した。

   ▲ ▽ ▲

 五時限目が終わると共に、瑠華の席はクラスメイトたちに囲まれてしまった。その場にいるのは全員女子で、男子はその女子たちを疎ましそうにしながらこちらを眺めているだけだった。
 瑠華は笑顔で周りの女子たちと話しながらも、その眼を永谷俊樹から離すことはない。女子たちの体で永谷俊樹の監視が妨げられるということはないので、問題はなかった。
「ねえねえ! ここに来る前はどこにいたの!?」
「合衆国のワシントンD.C.に」
「日本語、上手ね」
「日本語学校に通っていましたし、母からも教わってましたから」
 これは嘘。瑠華は実際には学校になんか行っていない。文字通り、組織に叩き込まれた。永谷俊樹という存在を知るためという、ただ一つの目的のために。
「独り暮らしなんだって聞いたけど、大変じゃない?」
「いいえ、大した事ありません。すぐに慣れると思います」
 すごーい! と女子たちが声を上げる。
 ある程度話が進むと、女子の一人が、
「ねえ、永谷君のこと知ってるの?」
「永谷……君?」
 一瞬、その場の女子全員が永谷の席を見る。
 永谷は席でウォークマンの音楽を聞きながら何かの本を読んでいる。まるで周りを寄せ付けないような、他人と関わろうとしないような冷たい空気が彼を覆っている様にも見える。そんな彼と平然と話ができたのが不思議でならない、という様な表情を問いを発した女子はしていた。
「だって、妙に話が合っていたというか……」
 周りの女子も頷く。
 瑠華はあの時、SHRで永谷俊樹と話したときのことを思い出した。確かに、知り合いだと思われても仕方ないような流れがあったかもしれない。
 問いを発した女子に向かって、瑠華は静かに首を横に振った。
「いいえ、全く知らない人です」
「じゃあ、なんであんな風にしゃべれたの?」
 瑠華は愛想笑いを浮かべて、
「合衆国じゃ、突然話しかけられるのなんてよくあったものですから」
「あ〜、慣れてるんだ〜」
 驚いたような感心したような声が出る。軽いカルチャーショックを受けているのかもしれない。
 ここで瑠華はふっと湧いた疑問を尋ねるかのように周りの女子に聞いた。
「あの……永谷君は、どんな人なんですか?」
 すると、周りの女子が急にひそひそ声でしゃべりだした。
「永谷君てね、変人なのよ」
「変人……ですか?」
 瑠華の席を中心として、周囲に険悪な空気が漂い始める。瑠華はその雰囲気に少し背筋が固くなった。
 これが日本人の特色として語られる陰湿さなのであろうか。瑠華も産まれは日本で両親共に日本人だから、体は日本人のそれだった。しかし、幼いときに合衆国に移ったから教育はそちらで行われた。だから、日本の学校の陰湿さに触れたのは今が初めてだった。
「そうそう。教室で新聞なんて読むし」
「いつも本ばかり読んでるし」
「ほとんど無口だし」
「絶対あれ、他の人を馬鹿にしてるのよ」
 ひそひそ声で語られる、陰口の数々。
 瑠華には先に述べられた理由でどうして他人を馬鹿にしていることになるのか、そのメカニズムがいま一つ理解できなかったが、ここは黙っておく。話をしてもらっているのにこじれさせる道理はない。
「なんていうか、生意気な奴なのよね。殴られても仕方ないって言うか」
「それにあいつ、自分の事を“闇と踊りし者”って言ってるし」
「頭おかしいのよ絶対」
「絶対友達になりたくないわよね」
「よく授業中にトイレに行くしねぇ〜。煙草でもふかしてるんじゃないの?」
「シンナーかもね」
「永谷の奴、家に親、帰ってこないんですって」
「うそ? なんで?」
「ほらあいつ、父親しかいないじゃん? それでその父親が愛人のところに行ってるんだって!」
「げ〜、マジなの? 最悪ぅ〜」
「夜遅くまで遊び歩いてるらしいし」
「うわ〜、こわ〜い」
 瑠華はその女子たちの無責任な陰口にほんの少し胸が痛んだ。
 永谷俊樹の母親はすでに死んでいる。永谷俊樹を産んだせいで死んだのだ。
 それからというもの、だんだんと父親のほうも俊樹を育てるのが嫌になり始め、俊樹が中学二年のときからほとんど愛人のところに泊り込むようになった。
 俊樹の方には一応お金が渡されるため生活には問題はない。調査によれば、父親が帰ってくる日には必ず、俊樹は殴られている。その時、俊樹は全く反抗しないらしいが……。
 と。

「そ、そんな事言っちゃ駄目だよ……」

 突然、その会話の中に色の違う言葉が投げ込まれた。永谷俊樹の陰口の中から、永谷俊樹の側に廻る言葉が一人の女子の口から漏れたのだ。一斉に周りの女子の視線がその子に集まる。
「だって……あんまり悪口言ったら……かわいそうだよ……」
「なに言ってるのよ、あんな変人!」
 そこで叫んだ女子がはっと気付く。すでにひそひそ声でしゃべっていなかったことに。いつのまにか気が緩んで、彼女たちの声は普通の声になっていたことに。
 緊張が走る。そして、ゆっくりと振り向いた。
 永谷はこちらを見ていなかった。ただし、ウォークマンのイヤホンは外されていた。永谷俊樹は何事もないかのように本を読み続けている。聞こえていないはずがない。
 この沈黙が、怖い……。まるで、そこに大きな闇が口を開けているかのような沈黙。誰も動けない。

 そこに、チャイムが鳴った。

 天の助け――。その場の女子の何人かがそう思ったかのように安堵のため息をついた。そして、瑠華に別れの挨拶をして席に戻っていく。
 瑠華も次の授業のために真新しい英語の教科書を取り出して準備をした。シャーペンを手の内で回して遊びながら、永谷俊樹を眺めながら思う。

 永谷俊樹。――“闇と踊りし者”、か。