手の内からこぼれる世界


 2

 ――ねえねえ聞いた? 転入生が来るんだって!
 ――女らしいぞ? しかも美人! 黒髪ロングヘヤー!
 ――帰国子女なんだって。アメリカ育ちらしいよ?
 ――やっぱずけずけと物を言うのかなぁ〜?
 ――ああ、よく苛めの原因にあるって言うあれ? どうなのかなぁ?
 ――日本の流行とか分かるかな? 話が通じるかな?
 ――拳銃とか撃ったことあんのかな?
 ――やめてよ! 怖いじゃないの!

 今日もクラスのやつらが騒いでいる。楽しそうだな……。別に構わないけど。
 ――それにしても、この時期に転入生、か。もうすぐ一学期の中間テストが始まるっていうときに。少し時期が半端だな。
 ま、帰国子女なら仕方ないか。この時期に日本に帰ってくるというならば、半端でも途中参加したほうがいいだろう。早めに馴染んでおくに越した事はない。日本内からの転校ならば、その半端な時期の転校の裏には苛めなどの原因などが考えられるけどな。
 俊樹は周りの騒ぎ声にも意識を分けつつ、目の前の新聞に目を戻した。
『――この地区のダイオキシン濃度は規定値を大きく上回っており、工場関係者の心構えの低さに住民は怒りをあらわにしている』
『文化公開展! 地方工芸品の職人達が集まって、この地に伝わる文化を多くの人々に知ってもらいたいと――』
『昨日午後六時頃、女子中学生が突然飛びかかってきた不審な男に刺されるという事件があった。この女子中学生はすぐに病院へと運ばれ、一命を取り止めた。警察では傷害事件としてこの男の行方と身元を探している』
『井上恭太さん、九八歳で死去』
 ……平和だ。とことん平和だ。
 世間ではなにやら事件も多いようだけど、あの人がいないだけでこうも平和とは嬉しくも幸福たりえるものなのだろうか。こうしてのどかに新聞を読めるのは何日ぶりだろう。
 あの人、というのはオカルト総合部特殊長、林原健(はやしばら けん)その人の事だ。
 俊樹はいつもいつも入部を迫られているのだ。その理由は俊樹自身にあるのだが、だからと言ってそれで自分を変えたくない。
 キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ンと昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
 この、どこでも何年でも使われてきたであろうチャイムの音は、どこでも何年でも通用するであろう面白くて心安らぐ曲だ。なんという単純で素晴しい曲なのだろう。ふと気が付けば、“チャイム”というメロディーに聞き入っている自分がいる。とても不思議なメロディー……。
 騒ぎが静まってみんなが席に着いていく。騒ぎによれば今日のSHR(ショートホームルーム)に転入生が紹介されるはずだ。
 ま、友達になる訳でもないし関係ないけど。女子ならなおさらだ。挨拶を一、二回してそれ以上しゃべることもないだろう。苛められないことを祈ってるよ。
 俊樹は特に急ぎもせずに新聞をゆっくりと折り畳んで鞄に入れた。この、学校の教室で新聞を読んでいるという非常に高校生らしくない行為が、周りに溶け込めないことの一因であることは解っている。
 しかし、何を言われようが殴られようが、自分のスタイルを変えたくなかった。

 僕がやりたいことをして、何が悪い。

 迷惑なんて誰にもかけていないから、文句を言われる筋合いもない。
 その意思を貫き続けて今日に至る。おかげで高校生になって早くも孤立してしまったが、俊樹は悲しく思わなかった。自分に関わっても大した事はしてやれないし、やって欲しいこともない。
 それに、最近の流行だの世の中の常識だのと言いふらして自分の意見を主張しない奴は正直に言って、面白くない奴ばかりだ。
 所詮、流行は猿真似以上の何者でもない。そんなものに振り回されている奴はつまらなく思えるのだ、俊樹には。そりゃ、流行に振り回されている奴には振り回されることが楽しく思えているから振り回されているんだろうけど。
 たぶん、空中ブランコで振り回されているかのように楽しいものなのだろうな、当事者達には。しかし、残念ながら俊樹は空中ブランコに乗りたいと思う年ごろではない。つまり、流行に流されているヤツは俊樹にとっては「子供(ガキ)」としか感じられないのであった。
 とはいえ、俊樹だって子供(こども)が嫌いな訳ではない。たまには無邪気に遊びたくなることだってある。河原で水遊びとか無性にしたくなるときもある。いや、よくやってるけどね。ああいうのじゃなくて……友達と、じゃれあうと言うか、さ。
 つまり言いたいのは、俊樹は流行などという“団体主義”があまり好きじゃないということだ。たった一色で、とまでは言わないが似た様な色で統一された絵というのは相に合わない。
 確かに、絵は相性のいい色で統一されていたほうが綺麗で華やかで賑やかかも知れない。しかし、全く相性の合わない色が少し混じっているほうがいいのではないか。つまりは、絵のバランスを激しくかき回すような、そんな異分子的な色があってもいいのではないか。
 そして、クラスの中で俊樹は、狙った訳ではないのだが異分子的であった。
 ただ単に性格が独立的だっただけである。考え方も生活態度も、おおよそクラスの連中と一致することがなく、考え方も話題もほとんどつながることはなかった。
 周りからして見れば、俊樹は全く協調性のない奴であり、そんな奴と肩を並べようなんてお人好しはいない、ということになるだろうか。孤立して当然。おまえが悪い。それが周りの人の言葉だった。
 が、俊樹自身もお前らみたいなチャラチャラしてるやつらと付き合ってられるか、と思っているので積極的に友達になろうとした事はない。友達を作ったとしても、様々なものの不一致からすぐに崩壊することは目に見えているからだ。後に残るのはマイナス的な物ばかり。
 そういう意味では……林原は俊樹にとって面白い部類に入る。昔の偉人曰く、“類は友を呼ぶ”と言うヤツだ。ま、面白くないヤツが友達よりはいくらかましではあろう。
 それと、現代日本に浸り切っているという訳ではない帰国子女はいくらかまし――面白いかも知れない。でも、しゃべることもないだろう。

 と、思ったが……。

 俊樹は顔を上げた。教室前の引き戸を見やる。
 引き戸が開かれ、担任の寺門先生が入って来た。まだ三十路(みそじ)に達していない妙齢の女性だ。髪は少し茶色くて短く、髪止めのピンが髪飾りとして付けられている。今現在、付き合っている人がいるとかいないとか。無責任な噂で聞いただけだから本当かどうかは知らないが。
 そして。
 その後ろに、うつむきかげんでついてくる少女がいた。
 教室にざわめきが広がる。
 先行情報通りの、黒髪の長い髪の、美少女であった。
 姿はまさに日本人の大和撫子。髪は腰まであって光沢を放っており、眉毛は細く目は少し鋭い。鼻は形がよく口元は緊張しているのか、けれども綺麗に引き締められている。
 身長は割りと高めで多分、一六〇センチは超えているだろう。身体はスレンダー、ではなく、程よく整っており、身長に見合った体重はキープしていそうだった。
 その辺りのアイドルやモデルよりも上にいる非現実な美しさ。それがこの酉原高校の、卸立て(おろしたて)の深緑のブレザーとスカートと深紫のネクタイの制服を着て、そこにいる。手を伸ばせば届く、そこに。
 男子の声が熱気とこぶしに包まれて一段と大きくなる。騒いでないのは――俊樹だけだった。
「おらおら解ったから静まれ者共!」
 寺門が教卓に出席表をバンバンと叩いて教室を黙らせる。結構乱暴な言い方だが、これが彼女の普通の態度なのだ。その態度は相手が男子生徒だろうが女子生徒だろうが変わる事がなく、明るく元気なのでとても親しみやすいと男女問わず人気がある。本人がそのあたり自覚しているかどうかは知らないが。
「ま、その様子じゃ説明はあんまりいらんとは思うけどね。紹介するわよ、今日からこのクラスに入る事となった九連水瑠華(くれみず るか)さんだ! 男子共! 可愛いからってちょっかい出すなよ! 汚れし者は成敗するからね! では九連水さん。挨拶をど〜ぞ!」 寺門に促され、転入生がこちらを振り向いて、流暢(りゅうちょう)な日本語で挨拶をする。
「九連水瑠華です。よろしくおねがいします」
 彼女がお辞儀すると、あちこちから「よろしくー」と返事がある。そして、返事した奴に向けられる楽しい笑いが起こる。
 しかし、彼女が顔を上げた瞬間、俊樹は彼女がまっすぐ自分だけを見ている事が判った。その眼は、ただの転校生が転校先の生徒に見せる類の眼とはまったく種類の違う鋭い眼だった。例えるならば、暗殺者が目標を見つけたときのような――。
 やはり、彼女は――。間違いない。
 俊樹はその視線に対して少し笑った。彼女はさりげなく視線を逸らした。
 寺門が彼女の簡単なプロフィールを読み上げていく。
 少し前までアメリカにいたが母親が帰国するのを機会に九連水さんも帰国。ただし、母親の仕事の都合上で現在は独り暮らしをしている……。
「席はあそこだよ。分からないことがあったらみんなに聞きなさいね。誰もあなたを拒まないから。わかったな皆のもの! 拒んだら承知しね〜ぞ!」
『おー!』
 教室のほとんどが(男子はこぶしを振り上げて)返事をした。返事をしない者の中には俊樹も含まれている。他と同じように九連水さんの美しさに見惚れて返事し忘れた、という訳ではないが。
 そして、転入生が教室の廊下側の一番後ろの空席に向かう。そのとき、俊樹の横を通るコースを転入生は取った。まるで、俊樹に近づいてくるかのように。
 おそらくは、その通りなのだろうと俊樹は思った。だから、

「君は綺麗な人だね」

 と、九連水さんが俊樹の席の前まで来た時に言った。ふと、転入生の足が止まる。
 突然の俊樹の科白(せりふ)に皆が呆気(あっけ)に取られてしまった。静寂を保つ水に石が投げ込まれる様子にも似た、動揺の波紋が教室に広がる。
 全く初対面の転入生に向かって、いきなり何を言うのか?
 しかし、俊樹は続ける。
「君の髪も綺麗だな。少しも汚れてはいない」
 転入生は黙って聞いている。俊樹は、転入生を見据えて語っている。その眼には緊張などの感情は見られない。ただ――薄く笑っていた。
「けれど、どこまで汚れずに済むかな? 汚れれば、それだけ闇に溶け込む。君はあまりそのことに恐怖は抱かないだろう。だが、君は闇を恐れている。闇自身を恐れている訳ではないようだけれど」
 皆が突然始まった俊樹の言葉に眉を寄せた。何を言いたいのかがうまく理解できない。内容にしろタイミングにしろ妙というか変だ。サイコ一歩手前という感じだ。
「どういうことですか?」
 転入生が口を開く。驚くべきことにその言葉に戸惑いは感じられなかった。そのことに気が付いた人はいなかったが――。
「君は闇に呑み込まれて、還れなくなる事を恐れている」
「近づくな、ということですか?」
 初対面同士の会話としては異様に冷たい感じのするやり取り。まるで、そこだけが異界になってしまったかのような……。
「端的に言えばそういうことになる。けれど君はそうもいかない様だね。心中お察しするよ」
「……どうも」
 寺門すらも一体どういうことなのかが理解できなかった。彼等二人の間に成立している世界を手の内に収めることができる者は、この場にはいなかった。
「永谷俊樹だ」
「九連水瑠華です」
 異様な世界の終末として、二人はお互いに自分の名前を名乗る。
 そして、転入生は自分の席に座った。俊樹の右隣りの二つ後ろの席、つまり一番廊下側の一番後ろの席に。
 沈黙が場を支配していた。誰もが声を出さずに視線のみで意思疎通をしようとしている。けれども、言葉という知識のかけらを用いない状態では、大した意思疎通も出来なかった。理解できないものに対する焦りと不安のみが教室を支配し始めていた。
 寺門は二人の間にでき上がった妙に排他的な空気に威圧されて、いつもの元気よさもなりを潜めてしまった。尋ねることもできずに焦った顔で俊樹と転入生を交互に見ている。
「……なんて手の早い……」
 ぽつりと教室に男子の声がひびいた。その声が沈黙の枷を外し、教室中でほっとしたようなざわめきが起こる。それと同時に気を立て直した寺門が教卓をバンバンと叩いて教室を静めた。
「……なんだ? 永谷と九連水は知り合いだったのか?」
「いいえ、違います」
 俊樹が答える。
「初対面です」
 九連水が答える。
 二人とも即答だった。それが引き金となったのか、教室内でざわめきが爆発した。
「ということは、ナンパか!? なんて手が早いんだ!?」
「うそ!? 永谷君てそんな人だったの!?」
「なんて奴だ! くそ、先を越された!」
「すご〜い! 大胆!」
 なんとも無責任な罵声やら歓声やらが起こる。よって、寺門はまた教卓を叩いて教室を静めなければならなかった。ある程度ざわめきが収まった中で、寺門が俊樹に顔を向ける。
「永谷……何もここですることないだろ?」
「いや〜、やはり第一印象が大切ですから」
 俊樹は悪びれることなく、少しおどけたように体を揺らして答えた。
「嫌われるようにしたのか? 近づくなって」
「“闇と踊りし者”としては」
 その瞬間、教室の雰囲気に険悪なものが混ざった。まるで汚物を見るような視線が俊樹に集まる。しかし、俊樹はその視線を全く意に介さなかった。
「……そっか」
 教室の雰囲気を察知した寺門はそこで会話を切り、事を切り上げて次に進む。他のこまごまとした諸連絡を伝え始めた。
 妙なざわめきの広がっている教室の中で、俊樹は一人ため息をついた。いつかは来るだろうと思っていたけれど……。

 彼女は――“光と笑いし者”だ。