ぼくらの思い出


プロローグ

 高校三年生にとって、学校行事というものは今まで経験してきたものと同じ“学校行事”では括れない(くくれない)ものに変わっている。
 もう終わってしまった行事は「二度と行われない終わってしまった行事」であり、まだ終わっていない行事は「まだ終わっていない最後の行事」なのである。その胸中には形容しがたい寂しさがあるものだ。
 年間の学校行事の中でひときわ大きいものが“文化祭”だろう。
 文化祭。それを初めて経験したのは中学一年生のときだった。あの時はただの面倒な一年に一度の大行事と思っていて、授業がなくてラッキーなんて思っていた。
 けれども、高校三年生になればそんなことはまったく思わない。思えない。大学に行かない人にとっては、自分が参加することができる最後の文化祭なのだから。
 そんな中、今回の話の舞台となる高校の三年生は、学校古来の伝統により「演劇」をすることに決まっていた。
 どんな劇をするのか、どんな役があるのか、どんな事をしたいのかをクラスで話し合い、みんながやりたいと思える劇を選び、もしくは創って、一致団結して準備に励む。
 クラスの中に演劇部員がいたり、劇に詳しい人がいたら、みんなその人の指示に従って役の練習、道具の制作、舞台のセッティングを行う。
 劇に詳しい人がいなくても、素人ばかりであってもクラス全員がここはこうしたほうがいい、あれはああしたほうがいいと、意見を言いながら納得のいくみんなの劇を作り上げていく。
 その中には、文化祭の演劇を見に来た観客には理解できなくて、全く伝わらない、そのクラスにしか解らない感動や情熱がある。
 例えば、劇を面白くしようと考えたとき、どうしたら面白くなるの? どうやったら表現できるの? そもそも、面白さってなに? それを観客に伝えることができるの? などと言った、先が全く見えない迷路の行き止まりや角にぶつかることがよくある。そんな時、何もかも嫌になって投げ出したくなるだろう。ようやく出口が見つかったとしても、たった一人が抜け出せるだけでは駄目だ。みんなが抜け出さなくてはいけないのだ。
 そうして、みんなで協力してみんなでゴールにたどり着いたときの感動と嬉しさと言ったら!
 その感動と喜びを観客に伝えることはできない。観客はあくまで、見えることのない感動と情熱と笑顔の上に作られた「完成品」を見るだけなのだから。
 情熱を燃やして、自分が、自分たちが協力した証をその場の全ての人々に見せつけることこそ、文化祭における「演劇」の本当の意味なのだ。
 さて、「演劇」の意味にまだ気付いていないクラスがいる。できることなら、楽しく、面白いものにしたいと考えているだけで、まだ自分たちの足で一歩進み出したばかりの三年生の一クラス。
 そのクラスは「楽しき文化祭」をモットーとしてどんな劇がいいのか、どんな事をすればいいのかを話し合っていた。話し合いは誠に気の早い六月上旬から続いていた。七月になって、一つの転機が訪れる。
 「自分たちのオリジナルの劇」、つまり独自で創作した劇が持ち込まれたのである――。