ぼくらの思い出


場面2 暴走しまくり夏休み!

ジィ〜〜〜
ショワショワショワショワ……
ミーンミンミンミーンミンミン……
オーツクツクオーツクツク……

 ……夏だ。空では“うぉりゃ〜これでもかワレ〜”と太陽が熱い。太陽に中指を立てながら窓を全開にし、机を全て後ろのほうに追いやった教室で台本を片手に少年少女が頑張っていた。
「では台本六ページ、“カオル”と“トシロウ”がみんなを探しに行くシーンから。じゃ、スタート」
 狩野の号令で、机の退かされた教室で劇の練習が始まる。
 佐村が周りを見回すようにうろうろしてから、手を口に当て、
「“アスカ”ちゃ〜ん」
 と、抑えた声で叫ぶようにする。まだ照れがあるのだ。しかしわからんでもない。まだ練習を始めて一週間と経っていないのだから。そして、その横で森川が佐村と似たような動作をして、
「お〜い、“ゲン太”」
 ここで、片山の台詞、
「……」
 いえ、これは違います。ちゃんと動作と台詞があるんですよ。脇から転がり込むように出てきて手を振って答えるという。
「なにやってんのん、片山君の番だよ、ほら“ゲン太”の台詞」
 狩野が片山を促す。まだ照れがあるのか、と思った。しかしどうやら違うらしい。
「うん……、実はね」
「なによ」
「それがさ〜……」
「なんなのよ、さっさと言いなさいよ。つまんないことで悩んでんだったら、」
「いゃ、この“ゲン太”っていう名前、やめないか。なんかかっこ悪いよ」
 一瞬、狩野は考え込んだ。そして、
「……まぁ予想外の答えではあるわね」
 そして、
「そんなことないわよ、かっこいいわよ。“ゲン太”のどこが悪いのよ」
 片山がふっと息を吐きながら儚げに遠い目をして、
「今どきいないよ、こんな名前。……自分でつくっといてなんだけど……」
「そうよ、自分でつくっといて何言ってるのよ」
 冷淡なるお言葉。一部の隙もない。その冷淡さはシベリア海のごとく。
「……いやぁ、僕の頭の中にあったときはなんか良かったんだけど実際にやってみると、変だな、と思いまして」
 しかし、その氷の如き冷たさも片山には伝わらない。それこそが彼が“変人”というレッテルにさらにハクをつけることとなっているのだが、当の本人はそんな事には気付かない。鈍感なのか興味ないのか無視しているのか、それを判断するのは犬に千円札をあげるのと同じくらい、無駄なことだった。
 要するに、基本的に片山は訳解らんヤツなのだ。
「そんなことないわよ、かっこいいの。力強くて、優しそうじゃないの」
 狩野は頑張って畳み掛けようとする。しかし、片山は表情を変えない。
「片山が変えるんだったら、俺も名前変えてもらおうかな」
 森川の横槍。ピカッと狩野の目が光る。
「だめよ、そんなの。名前は変えないわよ。ほらほら、もう一度初めから!」
 狩野はもう、問答無用で流すことにした。いくらやっても無駄のような気がしましたので。ほら、時間だって惜しいし。
 しぶしぶ、片山が待機位置に行く。
「はい、スタート!!」
 狩野の声で、練習再開。
「“アスカ”ちゃ〜ん」
 佐村の台詞。さっきよりは照れはない。
「お〜い、“ゲン太”」

 ……沈黙。現在片山君、決死のストライキ敢行中! 素晴しい! ハラショー!

「ぷっ」
 その雰囲気が面白くて、森川が噴き出す。それが他のヤツにも伝わって、爆笑が起こる。
「あはははははは! カタヤマ、やるぅやるぅー!」
「すごーいすごぉーい!」
「にゃははははははは!」
「神経ふと〜い!」
 やがて、なんとか笑いが止まる。みんな、必死に口を押えて、体を震わせている。
「や、やっぱり変だよな、その“ゲン太”って名前! ふひっ」
 大江のご意見。
「今どきいねーよ、こんな名前の奴ぅ〜」
 森川のお言葉。
「“ゲン太”って、なんか裸足のイメージだよね!」
 佐村の感想。
「ば〜か。それは裸足のゲンだよ〜」
 空木のツッコミ。
「ちょっと、いいかげんにしてよ! 台本のどこに爆笑するって書いてあるのよ! どこに裸足のゲンなんてあるのよ!」
 狩野大佐のお怒り。
「こらてめぇちょっと調子のってんじゃないわよ! てめぇの劇をやりたいって言うから選んでやったっていうのに恩を忘れたかこのすっとこどっこい!」
 狩野大佐ご乱心。怒りに我を忘れてもう罵詈雑言誹謗中傷なんでもあり!
「つまんねー事言ってると埋めるぞコラァ!」
「やめてやめて!」
 片山が首を振る。これでも必死の抵抗のつもり。悲しいけど、効果はない。
「ああん、じゃあ沈めっぞ!? 琵琶湖の海中遊泳楽しむかぁ!?」
 もう女の子とは思えないひどいありさま。一体、誰が彼女をこんな性格に? 彼女の幸福を祈ります。
「海中じゃなくて湖中だよなぁ」
 と大江が森川に話している中、
「聡美、落ち着いて、落ち着いて」
 佐村が狩野の肩に手を置いてなだめる。
「でもこの野郎が――」
「だじゅげで〜」
 片山は首をきめられて呼吸困難に陥り顔を青くしていた。しかし構わず、
「はい深呼吸、一、二、三、四、」
 佐村の秒読みに応じて、狩野が深呼吸する。どさっ、ごん、と片山が床に落とされた。
「あ〜、もうこりゃ手遅れだな〜」
 大江が片山の脈をとりつつにやにや笑う。
「う〜む腑甲斐ない。男子たるもの、あれくらいに耐えられんようでは日本の未来は暗いな」
 森川がふぅ、とため息をつく。
「も〜、俺は死んだ……」
 片山、瀕死状態。でもまだ再起可能であると、わたくし大江祐太は宣言いたします。合掌。
「なに手ぇ合わせてんだオマイ(おまえ)は」
 片山が大江の合わせられた手を叩く。雰囲気だよ、と大江は悪びれた様子もなくにやにや笑う。
「みんなもっと役に成り切って。目をつぶってイメージするの、自分がその登場人物になってるところを」
「……やれ、片山。まだこの先に続く青春をこんなところで散らしてしまうとは、あまりにも辛いものがあるだろう?」
 森川の言葉に、片山はもう諦めの表情を見せた。僕はまだこんなとこで死ぬ訳にはいかない。せめて童貞を捨てるまでは……!
 えらく不純な理由ですが、これでも彼は真剣に必死です。温かい目で見てあげてください。ねっ、そんな目尻立てないで!
「役に成り切るんだ。俺はゲン太だ。俺はゲン太。俺はゲン太なんだ。ゲン太、ゲン太、ゲン太! ゲン太!! ゲン太!!! 俺はゲン太なんだ〜〜!!!!」
「おー!」
 パチパチパチ、と大江と森川の拍手。
「やったぜあいつ!」
「ああ、感動だ!」
 その横で、
「ん〜、やっぱりゲン太って変だわね。劇の名前としてもイメージ、なんか田舎の少年だし」
 佐村の言葉に、ピタッと男子軍の動きが止まる。
「そうかしら。でも、佐村がそう言っているのだからそうなのかもしれないわね。じゃあ、……う〜んと、“ゲン太”は“ソウタ”に変更しましょう。じゃ、初めからもう一度やるわよ〜」
「ちょっ、ちょちょちょちょちょっっと! ちょっと待ってくれよ!」
 声を張り上げたのは言うまでもなく、片山だ。“いよぉ〜!”と歌舞伎に出て来るおっとっと、という動きで狩野に近寄った。その片山に対し、狩野はひんやりとした目を向ける。
「何よ、うるさいわよ」
「“ゲン太”は、“ゲン太”はどうなるんだよ!」
「“ゲン太”。そんなダサイ名前はどうでもいいのよ。はい、もう一度ね、佐村」
「すごい展開になりましたね、森川さん」
 大江が軽く握った手(マイクを持ってるつもり)を森川に向ける。
「ええ、そうですね。私もここまでひどく非情な判決がなされようとは考えてました」
「考えてたんですか。はい、ではカメラをスタジオに返します。そして時は動きだす」
 大江がびしっと意味不明のポーズを取る。なんとなくかっこいい?
「ガ〜ン! ここまで、ここまでひどい扱いを受けたのは六度目だ……」
「微妙に多いな」
 森川が片山に突っ込みを入れた。
「ああ、“ゲン太”がこんなことで消されるなんて……」
「いらね〜んじゃなかったのかよ」
 大江が呆れた様に膝をついてがっくりしている片山を見下ろした。
「そうだけど、こんな、がんばって作った豆腐の上に漬物石を置かれた気分だよ」
 なんか床にうずくまって、煮えたぎる拳を床にガツンとやると痛いのでドン、と叩く。あーもう、本当に訳解らんヤツだ。
「あ〜、もう! アテンションっ!」
 狩野がイライラ絶頂、いい加減にしろや屋上から飛ばしたろかああん!? と言わんばかりに叫んだ。瞬間的に片山が立ち上がって、
『アイ、マム!』
 片山と森川と大江がほぼ同時に、脊髄反射に近い動きで敬礼をした。んんっ、お見事!
「さっさと劇の練習をしなさいっ!」
『了解しました!』
 瞬間、心、重ねて返事をする。それが嬉しいのか、狩野は少し笑った。
「所定の位置に付きなさい」
 はっ、と返事をして二人は演劇の練習という戦場に復帰した。仲間たちが温かく迎かえ入れる。
「大佐には敵わね〜なぁ」
「当り前だろ」
 片山の言葉に、森川は淡々と答えた。

 ♪♪♪

「先生! 僕に逆上がりは無理です!」
 森川が叫ぶ。
「やれ! 気合いでやるんだ! できないと思っていたらできることもできなくなるんだぞ!」
 小野寺先生が叫ぶ。
「……先生、やります!」
「やれ!」
「うおおおおおおおお!」
 森川が雄叫びをあげつつ、鉄棒に突進する! そして、鉄棒をつかみ――いきなり、鉄棒が折れた。ぺこっ(?)と音を立てて、ぱさっ(??)と鉄棒の半分が落ちる。
「先生! 鉄棒が折れました! これでは無理です!」
 森川は悲痛そうな、少し嬉しそうな声で叫んだ。
「やれ! 根性でやるんだ! できないと思っていたらできることもできなくなるんだぞ!」
 小野寺先生は現実に直面しながらも、しかし根性で通す様に森川に命令する。しかし、森川は首を振る。そりゃそうだろう。鉄棒壊れたし。
「いや、こればっかりは無理です!」
 うんうん。
「なら、どけ! 俺がやる!」
 ええっ!?
「先生! 無茶です!」
「心配するな! 俺の生き様を見せてやる!」
 そんな大事に発展しているなんて、ちっとも知りませんでした!
「せんせぇー!」
「ウオオオォォォォ!!!」
 小野寺先生、駆けた。猪(いのしし)のように今はもうなにもない場所(さっき、鉄棒の残りの半分も風で落ちた)に向かって突進する。
 が、いきなりスピードをゆるめ、鉄棒のあった場所で止まった。
「……おや!? 雨が降ってきた!?」
 大げさに、小野寺先生が空を見上げて手を広げる。森川は空を見上げて快晴であることを確かめ、
「先生! 降ってなんかいません!」
「いや! 俺は感じたのだ! 今、雨が降っている! これでは練習できん! 悔しいが今日は止めだ!」
 悲痛そうな声っ! 森川は悲痛さに驚きをトッピングして叫ぶ。
「そんな!? ここまできて!?」
「今日は止めだ!」
 小野寺先生、走り去る! ドドドドド、と砂煙を巻上げて。
「先生ー! あんたは一体何なんだー! 畜生ー!!」
「はい、カァート!」
 高らかに、片山が叫ぶ。
「おつかれ〜」
 狩野が森川に声をかける。小野寺先生はUターンを決めて戻ってきた。
「あ、先生。ちゃんと今の雰囲気、覚えていてくださいね」
「なぁ、外でやる必要、あったか? こんなものまで作って」
 小野寺先生が鉄棒として使われていた、黒く塗られた新聞紙を見せながら片山に聞いた。
「もちのろんです! こうやって外で練習をして雰囲気を覚えておけば、本番でもその雰囲気でいけます!」
「というかね、私は国語教師であって体育教師ではないのだが」
「はっはっは。演劇という現実の向こう側の世界では、現実の職業なぞ関係ありますまい。がんばってください!」
「あう……」
 片山に気圧されて小野寺先生は負けを認めた。こう生徒に負けてしまう辺り、我ながら情けないとは思うのだがどうしようもない。だって、気は弱いし。しくしくしく。
「ど〜だ? やってみて変えたいとことかあるか?」
 今度は片山は、森川に聞いた。
「いや、ないな。あると言えば、この役の一人称を僕から俺に変えて欲しいのだが」
「あ〜、それくらいならどってことないっしょ? 新しい自分との出会い! そう思えばいいだけさ!」
 片山がびしばしと言う。その彼を見つつ、
「なんかあれね。片山、ハイテンションだね」
 狩野がぽつりとつぶやく。
「はっはっは。そうかもしれん!」
「まぁ、元気なのはいいことですよ」
 先生の言う通りだ、と片山は言った。
「では次に行こう、次! ゴーゴー!」

 ♪♪♪

「やっぱ練習十日目ともなると、台本変更が頻繁になってくるなぁ」
 三年七組の男子A君が言いました。それに対し、A君の隣のB君が、
「絶対、もっと変わると思うよ。台本……」
 と言いましたとさ。
 ……やっぱ、A君とかB君とかってまずいかなぁ……。味気ない? でもまぁ、たくさん人物名が出てきたら混乱するし、よくわかんなくなるのでこれでいいと作者は思う訳であります。
 さて、それではカメラを三年七組の教室へ向けましょう。どうぞ♪



 今現在、三年七組の教室にはただ一人しかいない。
 大江祐太その人である。
 今、彼は悩んでいた。その大まかな内容は、“劇の台本に文句あり”であった。ただし、それは彼自身にしか納得出来ないような文句であり、みんなに話してもまず通りそうにないことはわかっていた。
 しかし、しかしだ。
(……やっぱり、何度読んでみても、とっても陳腐な台詞だ! 夏目漱石先生ならば、この台詞は、こうするにちがいない!! 修正液!!)
 考えに考えた末、とうとう彼は暴挙に出た。つまり、自分で勝手に変更して満足するというものだった。
 一学期に台本がクラス全員に配られ、何回も修正液が使われて改良が無数に加えられている、かなり汚くなっている台本にまた新たな修正部分ができ上がる。しかし、彼の煮えたぎる欲望はそれだけでは止まることを許さなかった。
(そうだ、みんなのも変えよう)
 と、教室内に散らばっているみんなの台本一冊一冊を回って修正液→書き直し→満足という順路をたどった。
(ふぅ、満足満足!!)
 煮えたぎる欲望を静め、やっと冷静になったその次の瞬間!
(――あ)
 彼は真実にたどりついた。

 こんなことしたら、みんな怒るんじゃ……。

 しばし放心。弓手(左手)に修正液、馬手(右手)にボールペン。これでは申し開きもなにもあったものではない。
『ほほほ、銃殺にしておしまいっ!』
『イエス、マム!』
『大江死すとも自由は死せず……』
 ドドドーン。
 ……イヤァァァァァァ〜〜!! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! なんばしよっとおんどれはあー!
 大江が顔面蒼白になってふるえていたその時、死刑執行人たちの足音が!
「あぅっ!」
 大江、戦術的撤退を試みた。しかし彼の日頃の行ないが悪かったのか、足をもつれさせて机に突撃した。
 ドガターンッ!
 大江轟沈。
「お、おい! どうした!?」
 音を聞きつけて飛び込んできたのは片山だった。その後ろには森川、狩野、佐村、空木が続いている。皆さんの手には昼食のつまったコンビニの袋。そう、片山たちは昼飯を買いに行っていたのだ。
 大江はトイレに行っていたので置いてきぼりにされたのだ。ちゃんと黒板に書き置きがあったから、そのまま教室で待つことにしたのだが……。
「イッツ、ノープロブレム!」
 慌てて大江が立ち上がる。そして、ルルル〜♪ と倒した机を片付ける。冷や汗かいて。
 片山君一同、ものすごい疑惑の視線を大江に投げかけています。しかし、
「ま、いっか」
 片山君の一言で全員、大江を見るのをやめて適当に荷物を置く。
「さてと、まだお昼にはちょっと早いかしら。じゃあ、ちょっと台詞覚えだけしましょうか」
 狩野の一言で全員が各々の台本を持って、教室に散らばる椅子を教室の中央に円になるように寄せて集まる。
 もちろん、その中に大江も入っていた。お願い神様! この練習が――
「さっ、昨日の続きの練習いくわよ」
 その狩野の一言で、大江は底の見えない大穴に突き落とされた気分になった。グッバイ、青春の日々よ……。
 全員が台本を開ける。大江も開ける。そこにあるのはつい今し方、自分が修正した文字列であった。武士が腹を切る前に読む辞世の句のように見える。
 いや、まだだ! まだ生きる望みはある!
 台本は大江が修正を入れる前から修正だらけであった。修正をするのは基本的に台本の持ち主であるが、時によっては手の空いている人が全員分の修正をやることもある。大江もすでに何回か、全員の台本の修正をやったことがあった。つまり、大江の今しがたの行いは闇夜の影のようなものになっている可能性がある。そこに賭けるしかない!
 くっ、夏目漱石先生! 私めに勇気と幸運を!
「えっと、『私はよく書物を広げて知識を貪りました』……? なんか変ね……?」
「そ、そんなことないよ」
 大江がさりげなく、しかし裏では白鳥のごとくものすごい恐怖との戦いを繰り広げつつ、言った。
「『しかし、私の相方はしょっちゅう不満を並べるのです』……? これ、なんかおかしいぞ?」
「み、み、みんな今日は、気分乗らないんじゃない? 他のシ〜ンやろうよぉ……」
 狩野は一時、声の裏返ってる大江の挙動不振に目を光らせたが――、
「……え〜と、う〜ん、んと、そうね、じゃあ、今日は二〇ページの練習をしましょう」
 大江はほっとした。ハロー、青春! ようこそ! 平和の園へ!
「大江君、あとで出頭のこと」
 グッバイ、青春。ようこそ、地獄の谷底へ……。
 大江がガクッと肩を落としているその横で、
「えっ、二〇ページをやるのぉ……」
 と声をあげたのは空木である。
「ほらほら、やるわよ。舞、始めて」
 狩野の言葉に、空木は全然乗り気ではなかった。はぁ〜あ……なんてため息までつく。
 やがて、空木が読みだした。
「私には、宇宙人の声が聞こえるのです……クフフ……」
 空木が噛み絞めた笑い声を漏らす。
「おい、そこでは笑うところではないぞ」
 森川が注意する。しかし空木は、
「だって宇宙人なんているわけないじゃない」
 空木はごく普通に答えた。さらりと。春の風のごとく。しかし、森川がそれで納得するはずがない。
「しかし、台本にそう書いてあるんだから仕方ないだろう」
「なに言ってるの!? 宇宙にはアミノ酸がないのよアミノ酸が! だから、宇宙人なんてできっこないのよ! アミノ酸ができるのは、地球のような星だけ……そこにいる人は、異星人であって、宇宙人とは言わないわよ! 宇宙人って言ったら私達も宇宙人でしょうが!? 宇宙の中で生きてるんだから!!」
「なにか論点がずれまくってるよ〜だが、台本に書いてあるんだから仕方ないだろう!? 異星人なんていくら待っても出て来はしないのだ!」
「真実から目をそらすの? 私は観客のみなさまに嘘を言うのはいやよ!」
 その言葉に佐村が反応する。
「なに言ってんのよっ! 宇宙人はいるわよっ! 地球を侵略してるんだからっ!」
「違うでしょ! 私は宇宙人ではなく異星人と言ってるのであって、地球外に他の生命体がいないとは一言も――」
「そこが論点じゃないだろうが! 台本にある台詞にいちいち文句言うべきでは――」
「アテンション!」
 空木、森川、佐村の三つ巴の戦いに、狩野が神の鉄槌のごとき終止符を打ち降ろす!
『イエス、マム!』
 三人のみならず、片山と大江もばっと敬礼して答える。
「そういう議論はあとにしなさい! 今日の終わりに台本の見直しを行います! その時に議論しなさい!」
「……了解しました……」
 三人が答える。
「やっぱ、劇の役と、役者の性格が全然違うのがまずいのかな〜」
 片山が不思議そうにつぶやく。自分たちがここまで正反対の役に当たることもさる事ながら、どうしてここまで衝突が起こってしまうのか、彼は不思議でならなかった。
「そんなことないよ。知ってる? X−ファイルっていうアメリカのドラマ。あれに出てる役者さん、超常現象信じてる人の役を信じてない人がやってて、信じてない人の役を信じてる人がやってるんだぜ。それなのに、完璧に演じている。すごいことだと思うよ。僕らだって出来るさ」
 うんちく(?)を大江が述べる。しかし、その言葉を聞いているのは片山だけだ。
「やるか、やらないかという質問で、やると言ったからにはしっかりとやり遂げなさい!」
 狩野のきつーいお言葉。空木は返事一つして、ふてくされた。

 ♪♪♪

 ……教室に、二人の男子がいる。一人は森川直吉。もう一人はただ役を与えられた男子。ここでは男子Bとしよう。
 森川は何かを形作るように並べられた机の中の“通路”に立っていた。男子Bはドア横にきちっと並べられた机の向こうにいた。
 森川がぶらぶらと周りを見る。
 と、ドアから男子が一人入って来た。ここでは男子Aとする。
 男子Bがじっと男子Aを見る。男子Aはポケットに手を突っ込み、男子Bを見ようともせずにつかつかと教室内に入っていく。
 ふと、男子Aは足を止め、爪先立ちをして教室内を見渡した。森川の姿を認め、少しうつむいてさっさと並べられた机の“通路”に入る。そして、周りを何回も見て、しゃがむ。
 森川が何か不審そうに首をかしげ、それとなく男子Aを監視する。
 ほどなくして男子Aが机を触ってポケットに手を突っ込む。それを見て、森川は男子Aに話しかけようとした。
 と、男子Aがいきなり逃げ出すように走り出す。森川は机を回り込んで男子Aを捕まえ、床に倒す。
 男子Bが近寄って男子Aをガムテープで縛ると、教室のすみに男子Aを引っぱっていく。男子Aは抵抗しようとするが結局中途半端に終わり、連れていかれた。
 男子Bが戻ってきて森川にお辞儀する。森川はいえいえ、と手を振ってじゃ、と手を掲げて教室から出ていった。
 しばらくして森川が戻ってくる。
「なかなかよかったと思うんだが。俺は」
 男子Aが言った。すでに、手に巻つけられたガムテープからは解放されている。
「でもさ〜、声なしの練習ってなんか変だな」
 男子Bが答える。
 いまのはつまり、パントマイムでの練習だったのだ!
「うむ。今の動きに台詞をいれると、コンビニの万引きを捕まえるシーンになるわけだな」
 ふぅ、と森川は一息ついた。
「うん。……それにしても、ちゃんとレジと商品棚、ないと感じがでないなぁ」
 男子Aがただ並べられただけの机の列を見やる。それはどうやら、コンビニにおける商品棚の役を与えられているらしい。しかし、確かにただ並べられている机だけでは“コンビニ”の雰囲気は、もちろん欠けらもない。
「大丈夫だ。大道具係りが作ってくれるさ」
 森川が机に腰掛けながら答える。
「そ〜だな。ふぅ〜」
 男子Bがため息をつくかたわら、
「それにしてもさ、サブとはいえ登場してるんだから、なんか名前欲しいなぁ。コンビニ店員Aではなんとも味気ない」
「仕方あるまい。エキストラなんだし。名前が欲しかったらメインをやればよろしかろう。今からでも替わってやるが?」
 森川の言葉に男子Aがぶんぶんと首を振った。
「いいええ、ありがたく、お断りそうろう」
 ふっ、と森川が笑う。
 男子Aが時計をちらっと見て、
「休憩時間だな〜」
「今のうちに、水飲みにいこう。暑くてやってらんないよ〜」
 男子Bが行こう行こうと手を振る。
「そうだな。行こうか」
 森川は机を降り、三人で連れだって給水器に向かって教室を出た。

 ♪♪♪

「でね、二組の子が言うには四組の三村君と八組の二見さんがくっついたって言うのね」
 狩野がぺらぺらぁ〜と言う。
「ふ〜ん、この噂は漏洩禁止ね」
 対する佐村は、メモに情報をまとめていく。
 現在、三年七組高校情報本部活動中。うわ、見事に漢字ばっかりだ。
 先に補足しておこう。

 三年七組高校情報本部、通称グレイフィンガー。中立を重んじる噂の情報処理局である! グレイ(灰色)は中立を、フィンガー(指)は情報をつかみ取ることをイメージにして名付けられました。さあ、貴方も情報員としてご活躍しませんか? 明日のわが校を担うため、頑張りましょう! ※プライバシーに関わる問題を扱うこともあるため、機密を守らない人は採用しません。事前調査も実施します。(二棟と三棟、渡り廊下掲示板にあるはり紙より)

 なお、空木はものすごいおしゃべりなので採用されなかった。だって、空木は情報“発信”局として有名なんだもんっ!
「屋上行き階段の踊り場で見つかった大量のたばこの吸い殻の主は、桐山のグループだという情報があるわ。……ちょっと危ない話ね」
 狩野の言葉に佐村は、
「……確かに危ないけどこんな噂は黙っとく必要はないわね。どこからでも出てくるもの。そんなの」
「五組の長谷川君、リアルなスプラッターフィギュアの集めてるらしいんだけど、昨日念願の脳味噌はみ出しバージョンのゾンビ男をゲットしてコンプリートしたらしいわ」
「……まぁ、人それぞれの好みっていうものがあるだろうし、悪く言ったらかわいそうだから多くの人に話すのはやめといたほうがいいわね」
 さっと、佐村がメモにまとめる。このグレイフィンガー(全情報員数、二人)では狩野が情報を集め、佐村が情報をまとめつつ、流していい情報とそうでないのと分ける。こうして得られた情報は話のネタとしては申し分なく、安全性も高いので女子生徒の間ではそれなりに人気がある。たま〜に男子生徒でも情報を聞きに来る人、いますよ。――本当ですよ。
「今日の放課後ににわとりの死体を運ぶおじいさんの幽霊が出るっていう噂が流れてたんだけど……」
「ちょっと信用するには情報が少ないわね。どこに出るのか聞いた?」
「ううん、ぜんぜん」
「じゃ、その噂は嘘ね。誰かが暇つぶしに考えた話っていうのがいいとこでしょ」
「本当!? よかった〜。あたし、ホラー系はダメなのよ〜」
「……スプラッターフィギュアは大丈夫なのね……」
「んっ? 何か言った?」
「うららん、なんにも」
 がらり、とドアが開けられる音がして、二人はそちらを見た。そこにいたのは劇の制作者(おお、ブラボー!)の片山だった。
「大佐、佐村さん。渡り廊下で劇の練習するから来てちょ〜」
 ちょいちょいと手招きしている。
「は〜い。……さ、行きましょ。噂話のレポートを忘れないようにね」
「大丈夫よ」
 佐村は答えた。実は前に一回レポートを落とした事があり、かなり冷や汗をかいた。拾ってくれたのがいい人だったからよかったものの、悪い人なら噂を操り健全な生徒たちの生活を滅茶苦茶にしてしまうかも知れなかった。それほどヤバい内容も扱っているのだ。……それが面白くて、やめられないんだけど。
 それはさておき、
「ねえ、片山君。ちょっと待って」
 佐村が片山を呼び止め、ぴらぴらと台本を見せた。
「ここ、三九ページのここのところ、どういう心情でやればいいの?」
「えっと……どういうふうにって……」
 片山も指差された部分を見る。
「簡単でいいから説明して」
「簡単にね……簡単に言うと、前略によって中略になるから後略というわけだ。よしOK! じゃあ行こうか」
「えっ? そんなに略されたらわかんない〜!」
 片山が笑う中、佐村は頭を抱えた。
「あはははは、冗談だよ。ここはね、とにかく“どうでもいい”と思ってやればいいんだよ。自分は他人に嫌われている、だからこっちも他人に好かれるような返事はしないっていう気持ちを持つんだ。他人は自分にとってただの重り、邪魔でしかないっていう感じ。わかる?」
「う〜ん、よくわかんない……。他人が、どうでもいい……?」
「うん、そんな感じ」
「う〜ん……?」
 佐村は頭を抱える。その横では狩野が、
「佐村にとっては解り難いことこの上ないわよね。ムードブレイカーの役なんて。さっ、行きましょ」
 片山と狩野が教室を出て行く。佐村は少しその場に立ち止まって、
「どうでもいい? どうでもいい? う〜ん。どうでもいい、どうでもいい、どうでもいい、どうでもいい。他人なんてどうでもいい……。自分には関係ない……」
 と、頭を捻りながら、教室を出た。

 これが、始まりであった。いや、すでに始まっていた。
 気付かなかっただけだ……。

 ♪♪♪

「……片山君はどうしたんですか?」
 それが三年七組担任、劇の中でも担任である小野寺先生の言葉だった。
 その場にいるのは大江、森川、狩野、佐村、空木。片山がいない。
「片山ですか。そう言えば片山、交通事故に遭うんですよね」
 大江の言葉……!?
「えっ!?」
 と驚いたのは先生である。ちょっと待て!? そんなの、連絡来てないぞ!? 遅れているのか!?
「うんうん、かなり当たりどころが悪くて――」
 森川の言葉に、先生はらしくなく、おおう!? と叫んだ。
「えっ!? そうなんですか!? ちょっと片山君のお家に連絡をとってきます!」
 小野寺先生、走る! うわわ〜! 片山、生きててくれ〜!
 職員室に走っていった小野寺先生の後ろ姿を見送り、
「先生、いい味だしてるわね。いい感じだわ」
 うん、と狩野は頷いた。
「あっ、よかった。先生まだ来てないや」
 がらり、と小野寺先生が出ていったのとは別の扉から入って来たのは、片山だった。
「あっ、片山君。やっと来たわね」
 狩野が何ということもなく、片山に答える。
「さっ、練習しましょう」
「それにしてもさ〜、この劇の最後に人が死ぬっていうのなんとかなんない?」
 という佐村に対し、狩野はズビシッと目を光らせる。
「なんでよ〜! クラスみんなの意見を総合した結果じゃないの!」
「いや、その、なんていうか、怖いじゃん、人が死ぬのって」
「……なんで闇を恐れるんだ? 生きていること自体が既に“お先真っ暗”だというのに……」
 と横から入って来たのは大江である。森川は首をかしげ、
「……大江、ときどき微妙に難しいことを言うよな」
「フフフ、文学少年である僕には、そういう知識がたくさんつまっているのさ!」
 これに返したのは狩野である。
「はやい話がどっかの本の受け売りなのね、今の台詞……」
「気付いては駄目です、大佐!」
「なぜです?」
「いいから気付いては駄目ですっ! いいですねっ!」
 大江の後ろからゴウッ! と突風が吹き荒れる! ……様な気がした。
「はあ……」
 狩野が気押されて、頷いた。それを見て、片山が感嘆とする。
「おお、大佐をやり込めるとは。大江、性格が変わった……いや、成長したなぁ」

 ♪♪♪

「僕は警官になりたい、僕は警官になりたい、僕は警官になりたい、僕は警官になりたい、僕は警官になりたい。僕の趣味は街を歩き回ること、街を歩き回る、歩き回る、歩き回る、歩き回る、歩き回る。え〜と、僕のやりたいことは、悪人をできる限り捕まえること、悪人を捕まえること、捕まえる捕まえる捕まえる」
「お〜い、森川、なにやってんだ? 気持ち悪いぞ」
 大江が身構えつつ、森川に忠告する。
「いや、僕の役は僕の性格とはまるっきり正反対なんだからな。こうやって、役を覚えないと全然覚えられないんだ」
「……僕?」
「ん? どうかしたか?」
「いや、何でもない……」
 おかしいな、と大江は思った。だって、森川の一人称は“俺”じゃなかったっけ?
 と、廊下側からまた怪しげな、呪文でもつぶやいているような、耳を傾けたならば呪われてしまうような囁きが聞こえた。
 夏真っ盛りだというのに、なぜか肌寒いような気がする。大江がゆっくりとそちらを見やると、片山がドアの陰からまるで幽霊のようにすすすっと姿を現わした。
 不気味だ。片山って、こんなヤツだったっけ? いまならお化け屋敷で職に就くことができるんじゃないか?
「好きな教科は、化学と数学。大学に行って、さらに勉強しようと思う……」
 大江は苦笑いしつつも、話しかけることにした。
「なんだ? 片山も森川と同じ様なこと、してるのか?」
「えっ? ああ、うん。やっぱり、この劇をつくったのは僕なんだし、僕がまずしっかりやらないと駄目だろ。それでがんばってる」
「ふ〜ん。大変だな。あんまりやりすぎて、本当の自分を忘れんなよ」
「あはは、そんなこと、あるわけね〜だろ」
 と答えたのは片山ではなく、後ろにいる森川だった。
「いや、実際にいたんだって。そうなった俳優さんが」
 片山がきょとんとして、
「ふ〜ん。でも大丈夫だよ。そんな風にはならないよ」
「……そうだよな、ちょっと考えすぎだよな」
「そうだよ」
 森川が大江の背中を叩きながら答える。
「そうだな。あははははははは、じゃあな」
「ああ」
 片山の返事を背中に大江は教室から出た。その表情には教室にいたときのような笑顔はない。ただ、不安そうだった。
 彼の不安はわからないでもない。もし、彼がすぐに引き返して教室に戻ったならば、その不安は現実のものとして彼の中に残っただろう。すぐに対策を講じることも出来たかもしれない。
「警官、警官、警官、警官、警官、警官、警官、警官、警官、警官、警官、警官、警官、」
「大学、大学、大学、大学、大学、大学、大学、大学、大学、大学、大学、大学、学、」
 夕焼けが見え始めた教室に、同じ言葉が反復される……。