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手の内からこぼれる世界 |
4「五時限目が終わったあとが最高でしたよ」楽しそうに笑いながら、俊樹は林原にその時の事を話していた。 「保健室か図書室かどこかに引っ込んでいたやつらが戻ってきましてね、六時限目はもう殺気のこもった熱い視線が注がれましてね。背筋がものすごくむずむずしてて。ああいうスリルというか興奮は遊園地のジェットコースターやお化け屋敷とは比べもんにならなかったっすよ! あははははは」 あのときの興奮を思い出したのか、俊樹がなにやら体を震わせ手をわきわきとさせて笑う。……気持ち悪い。 「なるほどな。俺もその場にいたかった」 林原も楽しそうにお茶を飲んだ。俊樹も熱いお茶を飲んで気分を落ち着ける。瑠華は手の内の熱いお茶の入ったコップを弄びつつ(もてあそびつつ)、黙って二人の男の会話を聞いていた。 ここはオカルト総合部の部室、愛称“幽玄の間”。部活棟の最上階の南向きで日光照射条件がよく、そばには緑生い茂る大きな樹がある一室に陣取っている。おおよそ“オカルト”には似つかわしくない要素の揃った一室ではあるが、気持ちよさは一級品。裏で陰謀がうごめいていること間違いなし! 部室を見回すと、部室の後ろのほうにある机には湯沸かしポットと何個かの陶器製のコップが置かれている。別の机には閉じられたノートパソコンが置いてある。さらに何種類かのお菓子の類とカップラーメンなんかも見える。 部室の前にある黒板には『死なないものを生きていると言えるか? 〜不老不死の分類とその効果〜』となぐり書きがされている。そして、黒板の横には掃除用具一式が放置されていた。一応、こまめに部屋の掃除はされているようだ。 床に敷かれた大きな水色のシートには、紫のペンキでめいいっぱい大きく十二芒星の魔法陣が描かれている。十二芒星の外側にある一二個の三角の頂点には、水の入ったステンレス製のコップが置かれていた。これが、ここの部屋をオカルト総合部っぽく見せている最大の品だと言えた。 俊樹たちは今、その魔法陣の上に正座し、手にお茶を持ってしゃべっていた。 「さてと、そろそろ聞かせてくださいよ。“当たり”だとする可能性を高めている最後の要因を」 「ああ。鏡のある部屋の真上に、貯水タンクがあるんだ」 林原はさらりと答えた。 しばらくの間があって、 「……え?」 聞き返したのは――瑠華だけだった。 顔を見る限り、おそらくはもっと大きな要因だと思っていたのだろう。身構えていたのに当てが外れて驚いている、というところか。 「……それだけですか?」 「十分だろ」 俊樹が答える。その瞬間、瑠華と、林原までもが俊樹を見た。 「ふむ? 俊樹特殊員は知っているのか?」 あ。 ドジった。 さて何と答えようか? 俊樹は無表情でさっとこの部屋の景色を頭の中で再現し、材料を探した。そして、 「この魔法陣の一番外側の三角には、水が配置されているじゃないですか。先輩は、水が重要な意味を持っていると考えているのでしょう?」 「ああ、その通りだ。しかし、」 「つまり、幽霊やお化けの類には水が必要だという事では? 水には霊的なエネルギーを溜めることができるとは考えられませんか?」 俊樹は平然とした顔で一気に言った。林原は少し俊樹の方を見て、にやりと笑った。 「素晴しい。素晴しすぎるぞ俊樹特殊員! よくぞそこまで解ったな! あはははははは!」 林原は膝を叩いて、本当に愉快そうに笑った。瑠華は黙ってそれを見ていた。 ひとしきり林原は笑って、 「その通りだ。水には霊的なもののエネルギーを溜めることができると思われる。“聖水”なんかがいい例だ」 そして林原は一回咳払いをする。 「さて、この先少し専門的な話をするがいいかな?」 「わかりやすければいいですよ」 俊樹の答えにふむ、と林原が顎に手を当てて少し考えた。 「――言葉にたよる以上は多少の理解不能も致し方ないな」 「そういうもんですか?」 「そういうものだ。人の考えること、つまり人の意志とは無邪気で純粋だ。それゆえに他人には理解できないものなのさ。いくら言葉で細かく描写しようとしても、完全に俺の思考を理解させることは不可能だ」 林原の言葉に瑠華は少し理解しかねて首を傾げた。しかし、俊樹の方はちゃんと理解できているようで、そうですねと相槌を打っている。 「まるでどれほど頑張っても、ビックバンの起こった瞬間はわからないっていう話みたいですね」 「ふむ。どれほど計算しても、ビックバンが起こった瞬間に近づくことは出来るがビックバンが起こった瞬間のことはわからないというヤツだな。たしかにそれに似ているな。一人の人間の考えていることを言葉で伝える事は出来る。しかし、どんなに言葉を繋げてもその考えた事を完璧に伝える事は出来ない。ま、それは仕方ない。では話を始めるぞ」 林原は一回座り直して右手の人さし指を立てて話始めた。林原が“講義”を始めるときによくやる癖だ。 「水。これはこの世界にとても深く関わっている。君たちも化学を勉強すればいずれは聞かされると思うが、水は他の液体と比べるととても異質なものなんだ。普通、物体はその温度を下げてやると体積は減る。しかし、水は逆に増える。 さらに水は最もよく燃えるもの、水素と酸素の組みあわさった物だ。水素は爆発するし、酸素は燃焼には不可欠だ。なのにそれらが組みあわさると不燃物になるのも奇妙といえば奇妙だな」 そうですね、と俊樹が相槌を打つ。瑠華はただ無表情に聞いている。 林原は続きを語る。 「水には様々なエネルギーを溜める――溶けこます事が可能だ。酸やアルカリ、ミネラルなど、イオン物を溶かすことができる。様々なものの“溶媒”としてな。 さらに熱エネルギーの取扱いにも水は不可欠だ。人体の体温調節の源は水だし、コンピューターなどの冷却にも水は使われている。地球に海や川や湖がなきゃ、太陽から届く熱はとっとと逃げていくしな。 オカルトにおいてもわりと水は重要視されている。“聖水”や“若返りの水”などはその典型だな。解りやすいのがドラキュラとか吸血鬼。知ってるかな? 彼等は、“霧”に変化することができるんだ。“霧”にだ。気体やアストラル体(astral body)ではなく、水の“霧”になることができるんだ」 「アストラル体?」 ふと、俊樹が口を挟んだ。 「ふむ。一般的には幽体のことだ。アストラルの語源はアストラレジー(astrology)、占星術(せんせいじゅつ)でな。アストラルの正確な意味は星気体(せいきたい)のことで、そこから転じて幽体の意味を持っている」 あ、そうなんだ、と俊樹がつぶやいた。その横では瑠華が黙ってお茶を飲んでいる。 水の話に戻るぞ、と林原が断わった。 「さっきの続きだが、西洋の悪魔は流れる水の上を渡ることができないんだそうだ。ここでも水が重要視されているな」 ここで林原は一度、話すのを止めた。俊樹たちに断わって立ち上がり、湯沸かしポットのところまで行って、自分の湯のみにお茶を注いだ。ポットから直接お茶が出ているところを見ると、すでにポットの中にお茶パックが入れられているのだろう。 林原は自分の湯のみにお茶を注いだあと、また俊樹たちの前に戻って座り、熱いお茶を一口飲んで「つあ〜」と一息付いた。誠に親父臭い。 それを俊樹は苦笑して見ていた。瑠華はそっぽを向いていた。 そして、林原は話に戻った。 「それでだ。俺は水には科学では解明できていないようなエネルギーも溶け込むことができるのではないか、と考えた訳だ。永谷が言ったように、幽霊やそれに類するものは水が必要なのではないか、とな。 日本を例にとって考えると、日本ではお墓に水を掛けるだろう? 死者は喉が乾く、という世俗風習から行なっていることだが、その死者というのは大体がまだこの世に留まっている者、つまり幽霊に向けられているものだ。水を墓に掛けるイコール幽霊に水を与えるということだな。 他にも幽霊の怪談では、雨の日に現われる幽霊や沼や池や川に住み着いている幽霊の話が多い。つまり、幽霊などは水を媒体にして現われているのではないか、という事になる訳だ。……ここまではいいか?」 林原はお茶を飲んで俊樹たちに確認した。 俊樹と瑠華もお茶を飲み、俊樹は瑠華の方を見て確認してからどうぞ、と先を促した。 林原は立ち上がると、部屋の隅に積まれている本から一冊の分厚く大きい本を持ってきた。表紙には大きく六芒星の絵が描かれている。タイトルは『西洋の神と悪魔』。 「西洋に限らず、魔術師、呪師などといった人々は太古からこの事を潜在的に知っていた節がある。それを代表していると思われるのが六芒星だ」 俊樹は黙ってそれを聞いている。瑠華は六芒星と水とどう関係あるのか解らなくて首を傾げた。 「六芒星は三角を二つ重ねたものというのが普通だ。三角には魔力的な力を集める効果があると知られている。しかしそこで思うのが、だ。なぜ三角なのか」 林原は本を俊樹たちの前に置いた。六芒星がよく見える。 「水の分子構造ですね」 俊樹が告げるとほう、と林原は感心したように頷いた。 「そうだ。水、H2Oの分子構造は三角形だな。これが関わっていると思う。さらにもう一つ、なぜ三角形は二つ使われているのか、という事だが」 「星形にするためでは?」 俊樹が少し笑いながら言う。林原はふむ、と頷いた。 「そうだろうな。占星術が関わっている以上は星形にこだわるだろうからな」 そうかもしれませんね、と俊樹が頷く。 「一説には上向き三角は男を表わし、下向きは女を表わし、それを合体させることで愛を表わしている、というのもある。が、それは魔術系とはあんまり関係がなさそうだ」 林原がお茶を飲む。そこでふと俊樹たちを見て、 「ずっと正座していたのでは足がしびれるだろう。楽にしていいぞ」 「はあ」 俊樹は返事をして、胡座をかいた。瑠華はしばし迷ったあと、両足を揃えて横にして座る、いわゆる“お姉さん座り”で座った。美人でスタイルもよくて姿勢もいい瑠華の今の姿は、まるで水辺に座る美女のようでもあり、写真にとっておきたくなるほどに綺麗なものだった。 しかし残念ながら、その場にはカメラもなければ取りたいと思う人間もいなかった。俊樹は瑠華の性格を知っているし、林原は話す事に夢中だし。もしも写真を取りたいなんて瑠華に言ったら、イメージぶち壊しの強烈な視線をくれることだろう。それでトラウマが出来ても文句は言えない。 二人が楽な姿勢を取ったのを確認し、林原は先を続けた。 「オカルトで言う“六芒星”の場合、なぜそうなっているのかの理由は魔術大全にも載っていなかった。とりあえず六芒星。なにはともあれ六芒星。そればっかりなんだな。発祥はインドのタントラ。ユダヤ教のダビデの星ではないので注意。 俺はここにもやはり水が関わっていると思う。水の結晶がどんな形をしているか、知っているか?」 「六芒星ですね」 俊樹は答えた。 「そうだ。クリスマスにでもなれば、そこら中の店に六角形の雪の絵が描かれる。つまり、水の結晶の絵をな。あれをよく見れば解ると思うが、六芒星とよく似ているんだ。化学の教科書にはっきりとした水の結晶の写真が載っているが、見れば見るほど六芒星なんだ。 “ルルドの泉”など、難病の治療の効能などがあるとされる水は結晶化すると六角形になる。うまい水、つまりエネルギーを持っている水は六角形になる事が知られている。I・H・M総合研究所の誰だったかは忘れたが、エネルギーを持っている水は六角形になると提唱した。おそらく、六芒星はそうした神秘的な力を持つとされた水の結晶を元にして創られたんだろうな。 つまり、昔の魔術師や呪師と呼ばれた人々は、魔力などの宿っている水が六角形になることを何らかの方法、もしくは感覚のみで知っていた可能性が高い。感覚のみで、というのは科学からの目で言えば“んなはずねぇだろ”なんだが、オカルトからの目で見れば“お〜兄ちゃん解ってんじゃんこっち来て酒でも飲めや”、だな」 妙な科白(せりふ)で妙な味付けをしつつ、ずーっと林原がお茶を飲んだ。 「そんな訳で、基本は三角、中心は六角。そこから導き出されたのがこの“十二芒星”だ」 林原が下のシートを指差した。つられて下を見ると、そこには紫の十二芒星の描かれた青いシートがある。 「なぜです?」 俊樹が聞くと、林原はにやりと笑って、 「六角形を二つ重ねている。さらに周りを十二個の三角形で囲み、そこにおいしい水の入ったコップを置いて術的に魔力を高めているんだ。結界だよ。ついでに六芒星も二つ飲みこんでいるしな」 そう言って林原はまた立ち上がり、一枚の紙を持ってきた。 それにはコンパスと定規とシャーペンで書いた事が判る五芒星、六芒星、八芒星、十二芒星の魔法陣と……やたらと線の引っぱられた、車のタイヤを横から見たかのような図画が描かれている。 最後の図画をじーと見ると、十二芒星の中に縦向きの六芒星と横向きの六芒星が入れられているのが判別できた。 「……最後のやつ、なんかすごいですね」 「うむ。しかし魔力的な効果は最大になっていると思う」 「なんでそれをこのシートに使わなかったんですか?」 俊樹が床に敷かれているシートを指差す。林原はふふんと笑って、 「ちゃんと使用しているぞ。このシートの裏側にちゃんと描かれている。しかし、少し狭いんでな。普段はこうして十二芒星を使っている」 「……大丈夫なんですか? 結界を張っても、張る前に中に悪霊が入っていたら――」 「大丈夫だ。ちゃんとお祓いをしたから、中は清浄なはず――」 と。 がらっと幽玄の間の扉が開かれた。 「いや〜、やっと生徒会の仕事が終わりまして」 へこへことした態度で河村が部室に入って来た。その姿を見つつ、 「直純特殊員は神社の神主の息子なんだ」 ああ、なるほど、と俊樹は頷いた。だから――という訳でもないが――彼は《光》側の人間なのか。 「さてと、面子も揃ったことだし契約の儀を執り行う」 林原の一言に、河村が頷いた。 林原が契約書を用意する。河村がカッターと『愛されて六八年! マキ○ン』(消毒液)と綿と包帯を準備している。 「まずは、俊樹特殊員からだ」 林原が契約書と鏡契約書を綺麗に重ね、光にかざした。綺麗に重なった契約書には青でも赤でもなく、“紫”の文字が浮かび上がっていた。青い文字と赤い文字が重なって“紫”の文字に見えるのだ。それを確認し、林原はその契約書を再び二枚に分けて俊樹に差し出した。 「では直純特殊員、契約の儀の詩(うた)を」 俊樹が契約書を受け取ると、河村が詠いだした。 汝も我らと等しき契りの者よ 汝も我らと共に歩み給え 汝も我らと共に詠い給え 汝も我らと共に創り給え 汝も我らと等しき者よ 汝も我らと異なる者よ 汝も我らと等しくなりて 汝も我らと異なることを行い給え 汝も我らと等しく自らを自らで護り給え 汝も我らと共に自らの名を持ちて歩み給え 汝も我らと共に祈り給え 我らにおける、理想の世界があらんことを 我らにおける、真実を詠うがあらんことを 我らが手を差し伸べる、人々があらんことを 河村の詠唱が終わった。 印象に残る詩だった。河村の声は年の割には高い方なので、余計に印象深いのかもしれない。 瑠華の方を見ると、瑠華も少し感嘆とした表情をしていた。 「契約が終わったら、契約者同士のことは名前で呼ぶように。掟の一つだ」 「わかりました」 俊樹が頷く。林原も頷いた。 「では、血判を」 カッターを受け取り、俊樹は刃に親指を当てた。 緑の風が気持ちよく流れていた。その場にいる者を優しく抱く(いだく)かのように――。 |
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