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目次 / 第一章 / 1 / 2 / 3 / 4 / 第三章 |
手の内からこぼれる世界 |
2――九連水さんと永谷が同伴登校!?――うそ!? 信じらんない! ――じゃあ、九連水さんも、その、 ――そんなわけないじゃないか! ぜってー違う! そんなわけない! ――ものすごく仲がよかったらしいぞ!? ――僕の女神様があぁぁぁ〜。 ――ふざけんなよあの永谷のボケナス! いきなりなに抜け駆けかましてやがんだ! ――生意気だ! 自分の顔を鏡で見て来いってんだよ! ――九連水さん、永谷君のどこがよかったのかしら……。 ――そうよねぇ〜、あんな変人なのに……。 ――じゃあ、実は九連水さんも、その、変人繋がり? ――そうかもしんないわ。ふん、ただ顔がいいからって、あの人も調子乗ってるんじゃないの? ほら、ラブレターをあんなに堂々と人前で読んでるしさぁ〜。 ――そうよね、なんだかむかつく。 あ〜あ、やっぱ瑠華のヤツ、こういう事に対する認識がなさ過ぎるんだな。人前でラブレターなんか読んだらどうなるかぐらい、わかんないのかな? 俊樹は新聞を読みつつ、周りのクラスメイトの妬みの声を拾い聞きしつつ、ため息をついた。そこでふと思い出した。確か、アメリカなどではプレゼントなどはもらったらすぐに開封するのが礼儀なのだ。つまり、瑠華は全く普通の事だと思っている可能性が高い。これは注意が必要だな。 そこで思う。 ――僕、なんであいつのことに気をかけてるんだろ? 俊樹は鈍感でもなければ認めない人間でもない。まずは、全てを認める。これが俊樹のポリシーなので、 ――ま、人生色々とあるからな。同世代のもっとも近い場所にいる異性だし。美人だし。気になっても別にいいか。向こうがその気がなければそれで終わりなわけだし。期待はしないでおこう。いや、ここは期待して、思いっきり振られて人生の絶望などを味わうのも一興かも知れない。どん底に落ちたら向かうところ敵なし? 落ちるところまで落ちたらあとは昇るしかない。それはそれでいいんだが、この言葉は昇るところまで昇ったら、あとは落ちるしかないという意味も含まれているはずだよな。最大になった企業がどんどん墜ちていくように……。う〜む。 どんどん思考が進んでいき、だんだんと論点がずれていっていることに俊樹は気が付いていた。けれども面白そうなので、俊樹はさらに思考を続ける。 僕の場合の人生のどん底ってどんな状態だろう? ……そうだな〜、自分の部屋とかが燃やされて、僕の創った小物とか作品とかアルバムとかが全て灰になったとしたら、多分泣くな。これが人災だったとしたら、犯人が男だったら殺さない程度にタコ殴り(死語)、闇の世界に三年間放り込んで思い出すことがあったら処分してやる。女だったら、全力の平手打ちをかまし、夢の中で地獄の阿鼻叫喚の恐怖を見続ける呪いを三ヵ月間かけてやる。 これらのあと、無事だったらオルゴールでも鳴らしながら、音楽を聞きながらどっかの屋上で星が見えるまで空を眺めてるしかない。星を見ずにしてやってられるか! それからとぼとぼと家に帰って家の片付けか……はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。 別に現実でそうなったわけでもないのに、俊樹は新聞の端を握り締め目が潤みそうになるのをこらえて、今想像した人生のどん底の想像を振り払うかのように新聞に目を落とした。周りの殺意あふれる視線にため息をつきつつ、ただ思う。 僕の平和は終わってしまうのか……? ▲ ▽ ▲ 午後十二時三四分をもって、俊樹の平和は終了した。延長不可の赤い横文字がとても華やかにくるくると踊る。 初めは校舎の鳴動に始まり、 「ぬあぁぁぁがあぁぁぁやあぁぁぁぁぁぁ!!」 の泣く子も締め殺すような地獄の絶叫がガラス戸を打ち震わせて人々を非日常のどん底につき落とし、とてつもないブレーキの金切り音が人々の脳髄に無遠慮に侵入、味わったことのある人にしか理解できない強烈な生理的嫌悪が核ミサイルを食らったかのように大爆発した。人々の心に恐怖を刻み込む悪魔の兵器の巨大なキノコ雲が上がる。 怒号と悲鳴の響き渡る中を教室後ろの扉が傍若無人の絶対的暴力によって叩き開かれ、ガラスがひびを走らせて絶叫する。 伊達眼鏡から光を放つ魔王は人語をもって叫んだ。 「酉原高校二年三組二四番! オカルト総合部特殊長、性は林原名は健ここに参上ぉ!!」 降臨の間違いでしょ、と大部分の人が思ったが、誰も何も言わない。もう慣れてしまっているのだ。思考ではそう思っているものの、口に出しても仕方ないことをこのクラスはよく知っていた。言っても効果ありそうにないし。 が、免疫のない瑠華は呆けた顔で魔王を見ながら、何が起こったのかを必死に理解しようとしていた。突然、自分のすぐ後ろに魔王が現われたのだ。悲鳴を上げなかっただけすごいと思う。 「はぁ〜〜〜〜〜」 ため息をつく人一人。考える人、悩んでるバージョンポーズで頭を押さえている人に魔王は瑠華の席を迂回してつかつかと詰め寄り、 「永谷、言わなくても解っているだろう!」 「お断りします」 「なぜだ! 永谷のような人物が何故(なにゆえ)に拒否する!? 永谷の居場所はオカルト総合部にしかあるまいっ! さあ、共にオカルトの改革に乗り出そうではないか!」 瑠華は謎の魔王の科白の首をかしげた。しかし、疑問が言葉になる前に次の会話が行われる。 「時間がありませんので」 「そんなもの関係あるまいっ! 調べでは永谷は習い事も塾にも部活にも何にも所属しておらん! 毎日ほとんど昼のうちは学校と家の間しか往復しておらず夜になればどこかへと出ていく! しかも帰宅はいつも二時以降だ! その割りには睡眠不足のようにも見えずに謎も深まるばかり! オカルト総合部は永谷のような優秀な人材を求めているのだ!」 「いつもって訳じゃないですけど、そこまでよく調べてますね」 「俺をなめないでもらいたい。永谷の家の扉にセンサーを仕掛けることぐらい、朝飯前だ」 「ああ、この前の訪問はそれが狙いだったんですか。あの時は困ったんですよ? 家中に盗聴器を仕掛けるから、処分にこまっちゃって」 「ふふふ、まさか排水口の奥に仕掛けたものまで発見されるとは思いも寄らなかったがな。あの時は涙が出るほどに感動した。永谷を絶対にオカルト総合部に入らせると誓ったのもあの時だ!」 「オカルト総合部部長が何故に盗聴器を使うのか、かなり気になったんですが」 「ふっ、秘学者であったとしても使えるものは使う。基本的にオカルト、秘学とサイエンス、科学は起源は同じでも今は別物だ。科学はオカルトの存在を今のところ否定しているようだが、だからと言って科学が使えないわけではない。それと部長ではなくて特殊長と呼びたまえ」 「分かりました。ところで」 「けんとくしゅちょ〜〜」 突然、割りと幼そうな声が教室に投げ込まれた。林原と俊樹が会話を中断して振り向くと、あと何回耐えられるかが問われるような教室の後ろの扉に、ぜいぜいと息を切らしている男子がいた。上履きの色はダークブルー。二年生だ。 「おお、やっときたか直純特殊員」 息を整えつつ、河村直純(かわむら なおすみ)は瑠華の横を通って俊樹の席の林原の横に来た。 おそらくは全力疾走してきたに違いない。しかし、残念ながら林原には追い付けなかったというところだろう。 林原はオカルトに精通している者としては不似合いに健康的な若者である。百メートル一二秒。腹筋、うで立て共に軽く八〇回はこなす。しかし頭の方もよく、よく知恵が回る。顔もいいほうだ。目はコンタクトだが、メガネをかけてもそれなりの顔をしている。 ただし。 思考パターンは常にワープを行っている。オカルト好きも常人とは違うと言えば違うが、これがまたすごい。彼は俊樹に向かって言ったものだ。 『俺はオカルトの頂点に立ち、自らオカルトの世界を創る! 俺と共に他の生温いオカルト信者を見下そうではないか!』 つまり、彼がオカルトを統べる王となりて、狂信的に他人から与えられたものだけを信じているだけのオカルト界に革命を起こそうと、オカルトを自分で創ろうと、そう言い放ったのだ。 ものすごく“震”感覚、いや新感覚な意欲に燃える若者なのだった。部長を“特殊長”、部員を“特殊員”と呼ばせている辺りにも彼の性格がよく出ている。 俊樹はそうした彼の態度をかなり高く評価していた。自分でオカルトを創る。今どきの若者ではとうていやりそうにない立派な考えではないか。 もちろん、自分で創るというのは何事においてもかなりの努力が必要だ。しかし、その事を解っていながらもやろうとする態度は実に粋だ。好感が持てる。 残念ながら、彼の考え方はそこら辺の若者には受け入れられようはずがない。大半の者が真面目に理解しようという気すら起こさずに避けていくだけでしかない。 もとより、そんな貧弱な若者などは林原の眼中にはない。林原が欲しいのは大衆から見て“変人”を隠すことなく地で行っている者。俊樹はその代表例だ。クラスの自己紹介のときに、堂々と自分は「闇と踊りし者」だと言い切ったのだから。そして、その事を新人を求めて探し廻っている林原が、砂浜で五円玉を見つけるように発見した。 そして、週に三、四回、俊樹の入部勧誘に来る。今日で二三回目。 「もっと鍛えねばいかんな、直純特殊員」 「健特殊長がすごすぎるんです……」 河村は疲れながらも敬語で答えた。河村は年下である俊樹に対しても敬語を使う、見ためは普通の高校二年生だ。いつも林原の後について廻っている言わば金魚の糞。俊樹は彼についてはその程度の認識しかない。 なぜこの人は林原特殊長といつも一緒にいるのだろう、と俊樹は疑問に思う。発情している男と女じゃあるまいし……、 「――ホモって、レズよりも人口多いらしいんだよな」 「ふむ、そうだな」 突然の脈絡(みゃくらく)なき俊樹のつぶやきに、魔王は平然と答えてきた。この人はすごい、と俊樹はまた感心してしまった。 「さて、今日こそは契約書にサインしたまえ。書き方は前にも説明したとおりだ」 「拒否の意思表示は明確に行いましたが」 とりあえず差し出された真っ白な下敷きと青いペンと赤いペン、二枚の真っ白な紙に印刷された契約書を受け取る。 契約書は簡素なもので、紙の一番上に紫色の十二芒星(じゅうにぼうせい)の魔法陣の絵があり、その下に、 我は血の契りを交すものなり 我が我と同じ契約者と意思を交わることを誓う 我の血が陽の沈みを見ることなく、月の沈みを見ることなく 我が契約に背くことあらば、乾きの大地に墜ちることを望む 我は自らの名を持ちて歩まん と紫色の字で書かれている。その下には、名前を書く場所と血判を押すところがある。さらに、契約理由(入部理由のようなもの)を書く欄もある。ここにも紫しか使われていない。 もう一枚はそれによく似ている。しかし、違う。 全て鏡に写したかのように左右が反対になっていた。鏡に写せば“読める”契約書になる。 「確かにこの契約書はよくできているんですがね。これ、僕のパクリでしょ?」 「あれはよくできていたからな。利用させてもらった。構わんだろう?」 「構いませんけどね。これのほうが有用なのは確かですから」 「ではサインを」 「やです。この二行目の“我が”っていうのが気に入らない。これ、つまりは僕の意思に関わらず参加せよって言う強制でしょう?」 くくく、と林原が愉快げに笑う。 「やはり永谷は優秀だな。鋭い注意力を持っている。その事に関して直純特殊員はちっとも気付かなかった」 横で河村がものすごく驚いた顔をしていた。そして、何か後悔しているように頭を押えている。「は、が、の、が、はで、感じがいいだけだと思ってたのに……」なんて声が聞こえる。ま、彼のことだからすぐに立ち直るだろうが。 「と、言う訳でお断りします」 「そんな事を言うな。今契約をすれば、間に合う」 「――何にですか?」 うむ、と林原は頷いた。しかし、次に発せられた声は林原の物ではなかった。 「ちょっ! 健特殊長! 本気で行くつもりなんですか!?」 「当然だ」 林原は河村のほうを見向きもせずに答えた。林原は今日こそは逃すまいと俊樹から視線を外そうとしない。俊樹は微笑を浮かべて林原を見つめ返していた。にらめっこ・シリアスバージョンだ。目をそらしたほうが負け。 「何のために昨日、近隣の学校を廻ったと思ってるんだ」 「はぁ〜」 ため息を突然ついたのは俊樹だった。視線はそらさずに首を少し傾けている。 「やっぱり新聞に出ていた不審な学生二人組って、先輩たちだったんですね」 「ええ!? 新聞に出てた!?」 悲鳴に近い叫び声を上げたのは河村君。周りがざわめく中、俊樹は林原の顔に目を向けたまま机の中から新聞を取り出した。 「地域情報の面です。二九面」 慌てつつもやんわりと新聞を受け取って、河村が二九面を開けて記事に食い入る。 しばし静寂。新聞のかさかさという音以外は聞こえないような気がした。実際には俊樹たちの世界の周りは普通に昼ご飯を食べているのだから、林原が起こした混乱が収まった今ではおしゃべりがそこかしこで行われているけど。 そして、 「けんとくしゅちょ〜、どうしましょ〜」 「どうもせんでいい。法に触れるようなことはしとらん。どんだけ向こうががんばろうが注意以上の事はできまい」 不法侵入は立派に法に触れてるじゃん、と俊樹は思った。自分もよくやっているので口には出さないが。 が、不法侵入のこと自体は河村にとってもどうでもいいらしい。 「そうじゃなくて! 親とかに知られたらどうするんですか!? 怒られちゃいますよ!」 「直純特殊員。君は今の年になって親が怖いのかね? もっと自身を鍛えねば未来の道は狭くなるばかりだぞ」 「うううう〜」 結局、林原に何を言っても無駄なことをよく知っているのは河村だ。自分は無力だと感じたのか、河村は最後にうめいてそのやり取りは終わりになった。 「さて、今契約すれば何に間に合うのかという話だがね」 林原が話を戻す。もう河村は何も言わない。 「実はな、今日の放課後に新沢中学校に行く事を予定している」 新沢中学校。 ビンゴ。 俊樹は心の中でうめいた。これ、神様が仕組んだの? いきなり“大当り”をかまされるとは、ね。 「……本気ですか?」 「無論だ。それぞれの学校で集めた怪談や噂の中では最も“当たり”の可能性が高い」 林原は大仰に頷き、胸ポケットから折り畳まれた紙を取り出した。 「夕方、家庭科準備室にある立て鏡の前に女子が立つと悪魔が現われ、鏡の世界に連れ去られるというのが新沢中学校における怪談だ。色々考えてみたのだが、“夕方”に“鏡”の組み合わせが面白い」 林原は紙片に書かれているらしい資料を指でなぞりつつ話している。おそらく林原は、俊樹が新沢中学校に反応したことを見逃さなかったのだろう。 そこで、今判っている情報をある程度渡し、契りを結ばせるためのネタに使うつもりだ。 「さらに、これが“当たり”である可能性を高めている要因がもう一つある」 そこで、林原は微笑を浮かべて俊樹を見た。解っているだろう? とその目が問いかけて来る。 俊樹は林原を見つめ返しつつ黙考する。 どうしよう? 別に林原先輩の持ってる情報がなくても《闇》の居場所は判っている。しかし、“夕方”だって? “扉”の開く時刻まで判っているのか? くそ、そうなると僕らが突入するときに林原先輩たちと鉢合せする危険がある。 「さあ、どうする? 食事の時間はどんどんと減っていくぞ?」 優位に立っていると解っている、微笑を浮かべた表情で林原は聞いて来る。おそらくは尋ねることでプレッシャーをかけ、“思考の単略化”による思考時間の短縮を狙っているのだろう。思考時間を削ることによる判断の偏りも期待できる。つまり、相手の判断をぐらつかせて狙った回答を出させることが簡単になるのだ。 心理的な戦術を理解した上で行使していることには俊樹は感心したが、しかし俊樹相手ではそれは通用しない。 林原からは視線を外さずに、俊樹は林原の言葉を綺麗に無視した。時間ならばいくらでもあるのだ。好きなだけ待たせればいい。 これの事が終わったとしても、林原先輩は侮る(あなどる)ことはできない。現にこの事件も何の力も持っている訳ではないのに“当てた”。行動力もあるし、この後にも彼が本物を“当てる”可能性は高い。もしかしたら、こちらよりも彼のほうが《闇》や《光》の所在を掴むことは早いかも知れない。 彼はいつこの事件が“当たり”だと思ったのであろうか? もし、夕方になるよりも以前に判っていたのだとしたら、こちらよりも早い事になる。 ……ここでオカルト総合部に入れば、無条件とはいかなくともある程度の情報は掴めるかもしれない。こちらは向こうが動いてくれないとその存在すらも掴むことは容易ではない。林原先輩ならば、僕らよりも先に《闇》や《光》の存在する場所が掴める――? ……お腹、減ったな。 「――そろそろ、腹も減ってきたのではないか?」 相変わらず微笑を浮かべた林原が言ってくる。 「……正解です。お腹、減りましたね」 「どうだね? 契約をすれば、我々もここから立ち去ることができる」 最後の付け足しはただのご愛敬だろう。なかなか面白いじゃないか。 そうだな。この人と付き合うのもそう悪くない、な。 俊樹はにやっと笑った。すると、林原もにやっと笑った。 「いいでしょう。入部しましょう」 そうして、俊樹は手を差し出した。その手を林原が握る。交渉成立だ。 その時、 「入部するの? 俊樹」 うっわぉ、という自分の心の声を俊樹は確かに聞いた。 振り向くと、河村先輩の横に瑠華が立っていた。無表情でこちらを見つめている。 「――脅かすなよ、る……九連水さん」 「あなたが勝手に驚いただけよ。私はここにいたわ、ずっと」 平然とした顔で冷然とした口調で瑠華は告げる。 「あ、あの、本当に、おら、おられました……よ、この方、た。にに、新沢、ちゅ中学校に、行く……という、あ、辺りから、らら」 河村が裏返った声で告げた。顔が赤い。おそらくは瑠華の美貌に参ってしまっているのではないか。 しかし林原と俊樹は交渉に集中していて気付かないし、林原をほっぽってどこかに逃げることも出来ないし、彼としてはそこで動かずにいるしかなかったのだろう。 俊樹はふと周りを見た。いつのまにかクラスのざわめきは駆逐され、そこに紙があったら穴があくのではないかというほどの強烈な視線でクラスの連中がこちらを凝視している。 ――今、俊樹って言ったよな? ――うん、九連水さん、確かに永谷のことを名前で呼んだ。 あっちゃ〜。 俊樹は周りのひそひそ声から拾った言葉に顔をしかめた。何だかどんどんとまずい方向に進んでいるような気がする。 「……ああ、オカルト総合部に入部することにしたよ」 何とか動揺を鎮めて、俊樹は笑顔で瑠華に答えた。 「私も入部したいのですが」 瑠華の言葉に教室全体がびくっと反応した。けれども、林原はそんな周りの反応など気にしていないようで、 「ふむ? ――別に構わんよ。歓迎しよう」 さすがに俊樹も少し驚いてしまった。でもすぐにそれが当然なのだということに気が付いた。瑠華は僕の現場監視員なのだ。僕が部活に入るのならば、瑠華も同じ部活に入った方が都合がいいのは明白だ。 瑠華は全く動揺なき林原先輩から契約書を受け取っていた。瑠華は二枚ある契約書を一瞥して、 「これはどういう書き方をすればいいんですか?」 「ふむ。その辺りは俊樹特殊員に聞いたほうがいいのではないか? 仲が良い者同士のほうがいいだろう」 サインをした訳でもないのに俊樹を特殊員扱いしている林原に対し、瑠華は何も言わずに顔を俊樹に向けて冷たい視線を投げかけた。 「これはどのように書くの?」 僕の監視のため、かな。まあいいか。女の子がいるっていうのは悪い気がしないし。女の子は多い方がいいしな。うんうん。 「ところで、」 俊樹は何となく微笑を返して瑠華に説明を始めようとした矢先、いきなり林原に腰を折られた。俊樹が少ししらけた視線を林原に送る。 「特殊長……」 「ああ、すまんな。そういえば見た事ない顔なのでな。転入生かね?」 「そうです。昨日入って来たんですよ」 俊樹の言葉に林原はそうか、と頷いた。 「さて君、一つ聞きたいのだがいいかな?」 林原は瑠華をまじまじと見つつ言った。「なんですか?」 「君は『神の姿似』かね?」 そこには静寂が満ちていた。はるか無数の空の下に―― そういう名言っぽい言葉を産み出したのは誰だったか。 河村が口を半開きにして凍り付いている。当の瑠華(とクラスの連中)は質問の意味が解っていないようで、首を傾げている。俊樹は質問の意味するところを知っていたが、別に凍りもせずに黙ってため息を付いた。 「ここで聞くことじゃないでしょう健特殊長ぉ!!」 そして解凍した河村が絶叫にも近い大声で叫んだ。教室全体が突然の叫びにびくくっと反応した。 「いや、あまりにも美人だからな。もしそうならそれはそれで面白い」 「めちゃくちゃ失礼です! 彼女が傷つきます! 人間不信になって学校登校拒否になって愛する人に電話をしながらこの世に拒絶を示して風呂場でリストカットして自殺されたらどうするつもりですか!? 人権侵害ですよ!?」 河村が手足をばたばたとさせながら妙にシチュエーションの細かい描写をしつつ叫んだ。林原はそれをうるさげに見つけて、 「これこれ、そんなに叫ぶと水分を浪費するぞ」 「そんなのよりこっちのほうが問題です!」 「ならば、こうが――」 「そっちもおんなじです! 禁止です! 厳禁ですぅ!!」 ちっ、と林原が舌打ちする。 「仕方ない。君、今の質問はなかった事にしてくれ」 「……」 瑠華は無言で林原を見たあと、 「さっきの質問はどういう意味だったの?」 と俊樹に聞いた。俊樹は軽く首を横に振って、 「ここでは言えない。あとで説明してあげる」 「そう。それで、この契約書の書き方は?」 まるで、さっきのどたばたを完全に無視するかのように瑠華は俊樹に契約書を見せる。俊樹は苦笑しつつ、説明を始めた。 「ああ、これはな、“鏡契約書”だ。“鏡文字”を応用した契約書でね。まず、人間用の契約書に青でも赤でもいいから、できるだけはっきりとした文字で文字を書くんだ。大きい文字の方がいい」 説明しながら、俊樹は自分の契約書に赤ペンで必要事項を記入する。瑠華は黙ってそれを見ていた。 周りのクラスの連中は、俊樹と瑠華の動向に注意を払いつつもまた食事をし始めていた。ざわめきがぽつりぽつりと再開する。 俊樹はその辺りには特に注意を払わずに瑠華に説明を続けた。 「次に、契約書の後ろに“鏡契約書”をきっちりと重ねる。それを白い下敷きの上に乗せると左右逆さまになった文字が見えるから、あとはその上をもう一つのペンでなぞればいいだけだ」 そして、俊樹は青ペンで“鏡契約書”に“鏡文字”を書き出していく。 「……こんなものを作って、何の意味があるの?」 「鏡の向こうにも契約したことを伝えるためだ」 「――鏡の向こう?」 瑠華が怪訝そうに尋ねてくる。その姿を見て、何となく俊樹は小さく笑った。 「何も知らないんだね、九連水さんは」 瑠華が少し怒ったように、冷たく俊樹を睨んでくる。 「睨まない、睨まない。昨日も言っただろう?」 そう言うと、ぷいっと瑠華はそっぽを向いた。 「あとは自分の血判を押せばいいだけだ。けど、ここでやるのは止したほうがいいな」 「無論だ。こんなところで騒ぎを起こしても面白くはならん。その辺りは部室でやってもらう」 林原の言葉に俊樹は頷いた。それから瑠華に自分の席を譲った。 瑠華は無言で俊樹に教えられたとおりに記入していく。 俊樹は鞄から弁当を取り出した。もうすでに昼休みに突入している。本来ならばもう昼食は食べ終わっている時間だ。 俊樹はいつも屋上で昼食を取っている。教室の中で食べるよりは、青空の下で食べたほうが気持ちがいい。もうすぐ梅雨の時期になるので、だんだんと曇りの日が多くなってきた。それでも、雨が降らない以上は俊樹は屋上に行く。空は見れなくとも、広い空間で音楽を聞きながら食べる方が教室で食べるよりはおいしく感じられるのだ。今日は晴れているから問題はない。 やがて、瑠華が全て記入を終えたらしい。二枚の契約書をそばにいた河村先輩に渡した。 河村先輩が、ふと契約書のある位置で釘付けになった。多分、契約理由の欄だ。俊樹が『面白い日々を送るため』と適当に書いた部分だ。 まさかそこに『俊樹の監視のため』とは書かないだろう。瑠華だって馬鹿じゃない。それくらいの分別はある、と思う。 河村先輩が林原先輩に契約書を見せる。林原はしばし黙読して、 「ふむ。いいセンスをしている。これはなかなか趣(おもむき)のある――」 次の林原の言葉に、俊樹は自分の耳を疑った。 「ラブレターだな」 突然、教室のざわめきがTVの音声を消したかのように一瞬で消えた。会話を中断して、身を乗り出している者も何人かいる。 「契約理由――“俊樹が入るから”」 突然、教室に氷河期が訪れたかのような絶対的な凍静が舞い降りた。全てのものが凍り付き、生命の営みは止まるしかないこの極寒。――やがて氷山の一角が海へと崩れ落ちるように、お箸が床に落ちた音が響いた。 「簡素だが、効果的だな」 林原が感心したように顎に手を当ててつぶやいた。この空間の中で動けるとは、その姿は神、いや、魔王の如し。 俊樹は額を押さえつつなぜかと考える。なんで、こうなるのか。 明るい太陽の輝く青空の下、一年七組の魂の大絶叫が校舎を揺るがしたのだった。 合掌。チーン。 |
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