塊素の生きる現実(日記)

塊素第一情報区画
移動案内

>旧式日記保存所
>日記への突っ込みスレ

< 2012/032012/05 >
2012/04
01020304050607
08091011121314
15161718192021
22232425262728
2930
月内目次
2012年04月01日
なぜ、プログラムを作るのか?
プログラムを作ることは好...
詳細
2012年04月12日
ようやく、山場を越えた……
山場超え
2012年04月14日
リスナーゼロ
ついにリスナーゼロ
2012年04月22日
四月もあと一週間ちょっと...
何つーか、早い
最近、時々心臓が痛い
この土日について
最新の日記
2017年05月30日
次の仕事が決まった
次のお仕事
2017年05月25日
作業場をクビになった
能力不足の果てに
2017年05月06日
めっきりやる気の出ない日々
指が動かない日々
自我とは何か
2017年02月13日
風邪ひいたかも
2017年初の日記がこれ
たぶん風邪(インフルでは...
2016年12月09日
何かいい手はないものか
効率が上がらない

 四月 一日、日曜日の話

なぜ、プログラムを作るのか?

 今日、作業場にて現場責任者から「プログラム作りは好きか?」と質問をされた。

[◆]プログラムを作ることは好きである

 プログラムを作るのは好きだ。それは言うなれば、世界を広げるものであり、出来ることを増やすものだからだ。

 元々はウェブページ作成が好きだった。コンピューターを使うなかで、それは他者に広く、僕を知って貰えるからである。そこに書いてあること、表現されていること、ソースの構成やファイルの置き方、ファイル名の大文字小文字に至るまで、それはすべからく、僕である。

 最初はただ見て貰うだけだった。見て、知って貰うだけだった。しかし、それだけでは物足りなくなった。役に立ちたかった。

 出来ることを増やすためにプログラムを作り始め、それは想像していた以上に世界を広げることができた。遥か遠くの他者がやって来た。とても多くの他者がやって来た。他者が僕の世界を使って自己表現を行い喜び悲しみ朽ちていった。

 満足している。あとは、どの程度まで満足出来るのかを確かめたい。

 そんなところだ。

[◆]詳細

 やはり携帯で文章を打つと妙に骨しかない文章になってしまってどうにもいかんね。長い文章を打てるような機器ではないからか。時間もかかるしなぁ。

 さて、上の文章にもう少し肉付けしたい。

 まず、僕はコンピューターの中に「世界構造」といえるものを構築することが可能だと考えている。ハードウェア的な話ではなく、あくまでデータ的なものである。

 まず。ルートディレクトリがある。ウィンドウズでいえば C:ドライブ直下のことであるが、ここを宇宙と見立てることが出来る。その配下には星ともいうべき「一つの塊」の頂点となるディレクトリがある。その中には海と大陸にわかれ、大陸の中には地域が複数あり、国があって地区があって都市があって街があって村があって建物があって人がいるわけだ。この人というのは一つのファイルであり、そのファイルには多くのプログラムが書き込まれている。そのプログラムが必要に応じてとめどなく実行され、さまざまな影響を外へと与えていく。

 あくまで世界を階層的なものとして捉えた場合での話でしかないが、そのように考えた場合は確かに、コンピューターの中に一つの世界を作り上げることが出来ると言えるのではないだろうか。そこまで作るのも大変なれば管理するのも大変なのは非常によく分かるだろう。

 で、コンピューターを世界と見立てた場合、その中のディレクトリやファイルをあれこれ作成したり変更したり消したりできるプログラムを作るって事は、言うなれば神様ごっこみたいなことが出来るわけで、それはそれでそこそこ楽しいかなぁと思うわけである。中でも、ウェブページ系プログラム等は僕の世界を他の人に見てもらえるという意味で、有意義だと思うのである。

 何書いてるか分からなくなってきた。寝よう。