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久しぶりに、感情が溢れた。
泣いている人の顔が頭をちらつく。なぜ、その人たちは泣いているのだろうと思えば、その人たちの感情が流れ込んでくる。
とても寂しいのだ。居て欲しかった人がいなくなって、握っていた手が空になって、居なくなってしまったことに気がついて、とても寂しいのだ。
そして、再び居て欲しかった人が戻ってくれば、今度は嬉しくて泣くのだ。嬉しくて膨れ上がって、その膨れた気持ちがまるで溢れるように目から流れていくのだ。
なぜ、僕がそのような疑似体験をしているのか分からない。
僕には居てほしいと思った人はいない。だから、寂しさを感じることもない。存在しない人が戻ってくることなんかあるわけもないから、嬉しさを感じることもない。
おそらくは、何らかの別の感情の流れをそのような疑似体験として認識したに過ぎないのだろう。
すべては僕の頭の中で起きたことで、それは僕が考えたものであるが、同時に僕はそれの観客でもあった。映画を見てなく人が居るが、おそらくそれに近しいものなのだろう。
感情が収まった後に考えてみれば、きっと僕の心のどこかに危険に亀裂が入り始めているのだろう。疲れてしまったのだろうか。嫌になってしまったのだろうか。
毎日感じる嘔吐感。それに加えて心の亀裂。どうしようもない。
磨り潰されて早くに滅びるか、怠惰にだらだら滅びるか。最短、自殺、最長、老衰、の違いだけさね。
ああ、足りない、足りない。頭が足りない。簡単に溢れてしまうようでは足りない。これが僕の限界。
でも、泣けるときには泣きたい。泣けるときに泣かねば、きっと後悔するだろう。