塊素の生きる現実(日記)

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月内目次
2011年11月03日
今日から四日間の休み
四日間の休み
部屋掃除
あとはゲーム
2011年11月04日
ドッグラン施設に行ったり
ゲームはクリア
午後はドッグラン施設へ
新しいカッターとネクタイ...
バイオショック2、ハード...
2011年11月05日
一日中、ゲーム三昧。
朝から晩までゲーム
2011年11月06日
あっという間の四連休
溜まってたものを消化
さて来週は
2011年11月12日
さて、考えよう
AAの保管方法について
最近の仕事事情について
2011年11月13日
友人の結婚披露宴
結婚披露宴/会場までの道
結婚披露宴/開場まで
結婚披露宴/オープニング...
結婚披露宴/お色直し中
結婚披露宴/リングリレー...
結婚披露宴/感謝のムービ...
2011年11月18日
痴漢現場に居合わせる
痴漢現場に居合わせる
2011年11月20日
コンテンツ、多すぎ
溢れかえるコンテンツ
アンケートに答える
2011年11月27日
あまりにも弛み過ぎている
何もやってない
2011年11月29日
泣いた日
泣く人、泣く人、泣く人
最新の日記
2017年05月30日
次の仕事が決まった
次のお仕事
2017年05月25日
作業場をクビになった
能力不足の果てに
2017年05月06日
めっきりやる気の出ない日々
指が動かない日々
自我とは何か
2017年02月13日
風邪ひいたかも
2017年初の日記がこれ
たぶん風邪(インフルでは...
2016年12月09日
何かいい手はないものか
効率が上がらない

十一月二九日、火曜日の話

泣いた日

 久しぶりに、感情が溢れた。

[◆]泣く人、泣く人、泣く人

 泣いている人の顔が頭をちらつく。なぜ、その人たちは泣いているのだろうと思えば、その人たちの感情が流れ込んでくる。

 とても寂しいのだ。居て欲しかった人がいなくなって、握っていた手が空になって、居なくなってしまったことに気がついて、とても寂しいのだ。

 そして、再び居て欲しかった人が戻ってくれば、今度は嬉しくて泣くのだ。嬉しくて膨れ上がって、その膨れた気持ちがまるで溢れるように目から流れていくのだ。

 なぜ、僕がそのような疑似体験をしているのか分からない。

 僕には居てほしいと思った人はいない。だから、寂しさを感じることもない。存在しない人が戻ってくることなんかあるわけもないから、嬉しさを感じることもない。

 おそらくは、何らかの別の感情の流れをそのような疑似体験として認識したに過ぎないのだろう。

 すべては僕の頭の中で起きたことで、それは僕が考えたものであるが、同時に僕はそれの観客でもあった。映画を見てなく人が居るが、おそらくそれに近しいものなのだろう。

 感情が収まった後に考えてみれば、きっと僕の心のどこかに危険に亀裂が入り始めているのだろう。疲れてしまったのだろうか。嫌になってしまったのだろうか。

 毎日感じる嘔吐感。それに加えて心の亀裂。どうしようもない。

 磨り潰されて早くに滅びるか、怠惰にだらだら滅びるか。最短、自殺、最長、老衰、の違いだけさね。

 ああ、足りない、足りない。頭が足りない。簡単に溢れてしまうようでは足りない。これが僕の限界。

 でも、泣けるときには泣きたい。泣けるときに泣かねば、きっと後悔するだろう。