塊素の生きる現実(日記)

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月内目次
2013年03月03日
仕事は辞める方向で
仕事を辞めなくてはならない
無職になった後のスケジュール
意外とドライだった僕の父親
2013年03月04日
二九歳になりました
三〇歳まであと一年
2013年03月05日
上司と面談
上司に負けた僕
2013年03月07日
産業医面談
妥協点探し
2013年03月13日
気力のあるうちに仕事を辞...
いつ仕事を辞めますか?
2013年03月22日
無理
無理
2013年03月27日
徹夜の日
誰かに祈られてもいいんじ...
2013年03月28日
徹夜明け
徹夜で作業
2013年03月29日
熟睡のあとに
よく寝ました
2013年03月31日
退職届を作成
退職届
最新の日記
2017年05月30日
次の仕事が決まった
次のお仕事
2017年05月25日
作業場をクビになった
能力不足の果てに
2017年05月06日
めっきりやる気の出ない日々
指が動かない日々
自我とは何か
2017年02月13日
風邪ひいたかも
2017年初の日記がこれ
たぶん風邪(インフルでは...
2016年12月09日
何かいい手はないものか
効率が上がらない

 三月ニ七日、水曜日の話

徹夜の日

 明日の午前六時からテストするから、それまでにプログラムを仕上げろって。

[◆]誰かに祈られてもいいんじゃないか

 僕は誰かが悩んでいるたびに、誰かと別れるたびに、いつも祈っている。「あなたの進む先にあなたの幸せがありますように」と。

 それは相手の幸せを祈っているようでいて、実のところ相手がどのように進んでどのような結果を得ようとも何の責任もとろうとしない偽善的なものである。相手の進む先に幸せがあるかどうかなんて、僕には分からない。ただ、在って欲しいと思っているだけだ。

 何が起きるか分からない癖に、相手に進むことを勧めているのではないか。そう考えたことがある。とはいえ、立ち止まっていても何も始まらないということもあり、結局進むしかないというのであれば、僕の祈っていることは単に「あなたが幸せになりますように」という言葉をもじっただけになるのかもしれない。

 まあ、単なる自分の言葉の考察である。

 ……僕はとにかく、「あなたの進む先にあなたの幸せがありますように」と祈っている。いつも祈っている。

 だから。

 そろそろ、僕も誰かに、祈られてもいいんじゃないか。誰かに祈って欲しいんだ。

 僕の進む先に、僕の幸せがあるように。