塊素の生きる現実(日記)

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この一年でやろうと思って...
この一年でやろうと思って...
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世の中、娯楽が多すぎる
娯楽の多い世の中
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 四月一九日、土曜日の話

世の中、娯楽が多すぎる

 暖かくなったり寒くなったりしてますね。

[◆]娯楽の多い世の中

 無職は仕事をしていない。ゆえに暇である。と言うのが一般的なわけで、確かに誰からも指示されず自分のやりたい様に行動しているものである。かく言う僕も現時点ではそういう人間なわけで、人様のためにあれこれするのではなく、自分のために生きている。

 さて、それはそうとしてふと思ったのだが、現在の日本にはやたらと生産性のない仕事、いわゆる娯楽がとても多いのではないかと感じてる。日本のサブカルチャーを国を世界に売り出そうとしているのだからその辺は余り間違ってはいないだろう。

 そして、これらの娯楽が余りにも多すぎて無職の人間であっても消費しきれないと言う状況を目の当たりにしているわけだ。本屋に行けばおそらくは人生を通して内容を知ることもないだろう漫画やらゲームやらが溢れていて、ただ感嘆とするばかりだ。

 さて、こうして娯楽の山があると言うことは娯楽を生み出すことを仕事にしている人がたくさんいるって事だが、娯楽とは生産性のないものである。何かを生産する人たちを支えるものであることは間違いないのだが、お金と物流を考えると基本的には娯楽とは生産者に対して売られなくてはならないはずである。娯楽が娯楽を作ってる人に対して販売されるとお金の行き来はあっても物の行き来がないため、判りやすく言うと食べ物が行き来しないと言うことになるわけだ。

  生  産  者
お金↓ ↑娯楽 食料↓ ↑お金
  娯 楽 提 供 者

 これでうまく生きていけるわけだが、双方が娯楽提供者の場合は食料が手に入らないため共倒れになる。

  娯 楽 提 供 者
お金↓ ↑娯楽 娯楽↓ ↑お金
  娯 楽 提 供 者

 大抵の場合は生産者が娯楽提供者を兼ねている事もあるわけで、娯楽しか提供できない人ばかりな訳ではない。だから現社会は成り立っているのであるが……僕みたいな無職者だと生産は出来ないが娯楽は提供できたりする訳で、そういう人たちはどんどん増えているんじゃないだろうかという気がする。気がするだけだけど。

 双方が娯楽提供者の場合のお金の流れって、なんだか消費者金融の借金を返済するために別の消費者金融を利用するって構造に似ている気がする……。