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仕事での Web アプリ作成がなかなか楽しい。
ここ一週間ほどは会社にて自社製ソフトの Web アプリ版を作成しているわけだけど、システム基盤が出来上がって主に HTML を交えた画面作成に集中できるようになると楽しくなってきた。思うが侭に画面を作れる上にこう、ちゃんと動いてくれたときの喜びは何度味わっても至福です。アプリケーションを作るのもいいんだけど、あっちは人の手が入っているものであり、今やっているのは基本的に僕の独断と偏見で作っているものだから実に感触がいい。
問題は本当に独断と偏見過ぎて他の人に受け入れられるのかという部分だが……「とにかく作れ」と言われたのでとにかく作っているが、全員、共通の目標はあるものの共通の通り道がない。少なくとも僕は、他の人が作っているプログラムのソースを見たことがない。僕のソースを他の人が見たこともない。
そして、Web アプリの開発において主要メンバーのうちの僕を含めた三分の二が来週月曜日から別会社に出向になるため、Web 開発がほぼ停止してしまう。残りのメンバーで何とかなればいいんだけど。……まあ、このプロジェクトは納期もお客もいない「研修」だから、優先順位は実に低いわけであまり重要視されてないから開発メンバーが少なかろうがあまり気にされないのだろうが。下手すると暇つぶしと捉えかねないからなぁ。なんとか「仕事」に格上げしたいと言う話はあったが、あれってどうなったんだろうね。
ついでに言えば、Web アプリを製作する上で重要なのは携帯電話などモバイル機器からも利用ができるものを作ることだったはずなのだが、何時の間にやらモバイル対応は立ち消えになっていたようで「パソコンで見れる物を作ればいい」とのこと。パソコンで見られるならば、別に Web アプリでなくとも今まで作ってた普通のアプリを使えばいいはずで、メリットと言えば Windows 以外の OS からでも利用可能になることぐらいだ。ブラウザが使えればそれで動くわけだし。
まあ、パソコンで使うこと前提になったら使える機能が爆発的に増えるので嬉しいと言えば嬉しいのだが、何か目標がずれている気がする……僕が口を挟むことではないんだけどね。なんだかなぁ。
来週の月曜日から別の会社に出向し、仕事を手伝うことになっている。期間にして約三週間と言われているが延びる可能性もある。うちの会社よりはセキュリティがかっちりしているところらしく、会社に入るのにはICセキュリティカードがないとダメらしい。
いいね、しびれるね。こういうハイテクな経験がしたかったんだ。今の時代、セキュリティカードがどうのこうのなんて珍しくないとは思うのだけど、金がないと導入できないってかしないわけで、うちの会社は社員証を首からぶら下げているものの、特段チェックがあるわけではない。カードを社内に忘れて外に出てしまうと、もう入れない。顔がわかる人に入れてもらうしかないが、別会社ともなると僕の顔をしている人って言ったら僕と同じチームの人しかいないわけで、何とかなる見込みは少ない。きっちりカード保持しなくてはならない。そういう意味では、生体認証とか意外と安心だよね。金が掛かるし準備に時間かかるし意外と破られやすいけど、カードを忘れて立ち往生っていうのはないしね。
ところで、来週の月曜日から出向なのに提出しなくてはならない書類の四枚のうち、残り三枚が回ってこないんだけども大丈夫なのかなぁ。一枚だけでよかったのかな?
ふと思いついたので書いておく。
平和とは、争いがない状態のことを言うのではなく、そこにいる人間個々人にとって心地よい状態が続いていることを差すのだと思う。戦争の反対は平和、とは言われるが、では戦争がない状態においてそれが平和と言えるかというと、決して言えないだろう。現状の日本では争いなく多くの人が普通に働いているはずなのに、将来不安が高まる一方で全く平和じゃない。
そして、平和と言うのは個々人によって差があるものであり、大勢の人々全員が一斉に平和になる状態は刹那的にしか発生しないのではないかと思う。常に大勢の人間が平和な状態を保ち続けることなんて不可能で、手に入れようとしても全体に何らかの犠牲を強いた最大公約数的な不完全な平和しか手に入らない。今のところ、その不完全な平和の状態を争いのない状態としているのだろう。
平和を訴える連中は多いが、どうにも彼らが平和と言うものを誤解している気がしてならないのである。争いを無くす為に争いをしている。争いを無くす筈が新たな争いを引き起こしている。見栄のいいマッチポンプ。本当に平和になるためには、忘れて放り投げることだと思う。まあ、それを本気でやると今度は本当に争いを起こす奴が出てくるのでうまくいかないんだけども。
平和とは何か。たとえば温泉に入り体を心から温めたときとか。たとえば暑い夜に冷たいお茶をぐっと飲んだときか。僕の場合の平和とは、そういうものである。