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平日が休日になって、三日が過ぎた。
月曜日、火曜日、水曜日と会社に行かなくてもいい日が三日続いたわけだが、まず初めに思ったのが一日は短いということだ。
基本的に現在も働いていたときと同じ時間に起きている。午前七時だ。寝る時刻自体は少し早まっているので睡眠時間は劇的に延びている。これによって頭の動きもずいぶんとすっきりしたものになっている、が、その割には一日の時間がそれほど有効活用できているように思えない。
会社にいるときよりは出来ることが増えた。といっても、その内容は本を読んだりゲームをしたりアニメを観たりと時間の浪費とも言えるものばかりだったりするわけだが、三日目にしてあらかた満足したので、今日はプログラム製造に多くの時間を費やした。しかしながら、思っていたほどの成果は出なかったように思う。
当然ながら会社とは環境は違う。目下の悩みは日中の暑い時間帯をいかように過ごすかだったりするのだが、果たして会社での仕事量と家での仕事量を比較したとき、どちらのほうが勝っているかといえば、会社での仕事量が勝っているように思う(だからと言って、会社での仕事は僕の目的とは全く違うものなので意味はないのだが)。
とにかく、家出の環境を見切って早急に能率を上げられるようにしなくてはならない。電字画情域のリリースは五月末予定である。あと二週間程度しかない。
仕事量の話はさておき、仕事をしなくなったことによって、「忙しいから」と今まで棚上げされていた数々の問題が目の前に下りてくることになった。
まず一つ目が「明日はどう生きるか?」である。
仕事をしているときは働いていれば安定した生活を送ること自体は出来た。生きる糧自体はそれで得ることができていたからである。しかし、今はもはや、その糧は得られない。早期佑に糧を得る手段を得なくてはならないが、考えている手段はまだ手段としての体をなしていない。すぐすぐに食べるものに困るわけではないが、不安として形作られていることは間違いない。
二つ目に「人間関係の途絶」である。
早い話が人と話をする機会が極端に少なくなるので、孤独感に苛まれないかと言う話である。ネットでは孤独感をぬぐう事はできない。むしろ、ネットで孤独感をぬぐおうとし始めたらそれは非常によくない状況である。一般的な社会復帰がより困難になるだろう。
三つ目に「消費社会の津波」である。
今のご時勢、圧倒的に消費社会である。何をするにしても消費者がいないとお金が回らないという経済構造になっているため、とにかく商品が氾濫しており、商品を買わせよう、商品を消費させようと誘惑の手が多いことこの上ない。仕事をしている間はそうしたものに目を向ける時間が全くなかったのであるが、死後をしなくなるとそうしたものが一斉に目の前に現れて困る。例えばスーパーに陳列されている飲み物やお菓子、本棚に収まりきっていない笛うがされたままのライトノベルであるとか、これまた封を切っていない音楽CDやゲーム、物を整理するための棚とかぴかぴかの机や椅子であるとか、新しいベッドシーツや枕カバー。ああ、もっと広い部屋が欲しい。
話が少しそれたが、新しいものを買わないにしても買ってはあるが消費していないものを消費するのにも時間が取られている。とりあえず、バイオハザード6はクリアした。
四つ目。これがもっとも不安なことなのであるが、「今作っているプログラムは完成できるのか?」である。
当然ながら、完成のために毎日試行錯誤を繰り返してはプログラム製造を続けているが、最初から全体の目処をつけてから製造をしているわけではない。実際、この三日間で当初の計画を外れて新しい仕様で作成中である。まあ、元々の仕様では解決できない問題があったからこその仕様変更なのだが、先が見えなくなっていることは間違いない。新しい仕様ならば問題は解決できるものの、次に立ちはだかる利便性の問題をどのように改善するかについてはイメージこそあるものの、実装方法は模索中である。……というと、ちょっと嘘になるか。
実装方法はほとんど確立しているようなものだったりするのだが、単純に面倒だったりする。何か簡単に実装できる方法はないものかと考えているうちに消費予定品の誘惑が、というパターンだ。共通化できるところは共通化したいのだが、うまい共通化が思いつかないんだな……。やはり、表示用の JavaScript と 編集用の JavaScript は分けるしかないのだろうか……。
なんにしろ、完成できなければ僕の明日もない。僕の人生がどのようになるかは分からないが、これのために仕事を辞めたのである。後悔は元よりするつもりはないが、納得のできるものを作り上げたいと思う。
実はバイオハザード6は先々週の土曜日からプレイを開始していたりする。先週の平日は働いていたのでほとんどプレイできなかったが、先週の土曜日から本日まで一日四時間ぐらい遊んでいて、本日、ようやく一通りプレイし終わったところである。やりこみ要素はあるのだが、あまり真剣にやる気はない。面倒だし。
なんというか、ゲームで遊んでいるというよりは本当にアニメを観ているかのような感じである。グラフィック的なものはとても綺麗なのだが、ゲームとしての自由度はそれほど高くない。敵が出てきたので倒す、という部分はもちろんプレイヤーががんばらないと先に進めはしないのだが、イベントシーンのラッシュで遊んでいるというか、流されているだけのような感触がぬぐえない。イベントシーン内の操作もミス和したら即死物が多く、かといってイベントシーン開始から再スタートするわけで、段々めんどくさくなってくるのが悲しい。イベントシーンを何回も「練習」させられるのは、果たして遊んでいると言えるのだろうか。
練習か……まあ、それを言い始めたら古き良きドラクエでもザコ敵相手に「練習」してからボスに挑んでいるわけで、根本的には変わっていないと言えるのかもしれない。本当に遊んだことになるゲームとはなんだろうか。……少なくとも、一回遊んだら遊ばなくなるのは違う気がするなぁ。トランプとかになるんだろうか。
まあいいや。
バイオハザード6のストーリーの話をすると、なんかもう「なんでもあり」みたいな感じになってて収拾がつかなそうである。いくらでも続編が出そうだ。Tウィルス(1,3)、Gウィルス(2)、T-Vウィルス(ベロニカ)、プラーガ(4,5)、ウロボロスウィルス(5)と来て次はCウィルスですか。1、2、3 では黒幕だったアンブレラがなくなってしまった後も別企業ががんばったりテロ組織ががんばったりと終着点がない状態になってしまっている。
こうなると、あとはほとんどストーリーが知りたいだけの惰性プレイになることは明白だ。6自体もすでに惰性プレイである。
敵自体も恐怖心を煽るというよりは、単なるデザイナーのデザイン自慢のように思える。そんなバラエティ豊かにしなくても……。
なんというか、ゲームとしての面白さは1、2のほうが上なんじゃないかなぁという気がする。
電字画情域のデータベースの再構築も終わり、今は表示部分のプログラムを製造中である、が、ロジック部分において旧仕様からの統廃合が結構あって、それが完了するまでは実際のテストまでは行なえない状態である。ロジック部分は確実に減っているのでいいことだとは思うのだが……うまく整理して行かないとどのように構築すればいいか分からなくなりそうである。
やりたいことは今のところ、全てを実現中である。このサイトは他のサイトのプロトタイプになるサイトなので、できる限り作り込んでおきたいところだ。後になってから全部を直す羽目になるのは避けたい。時間があるならばそれでもいいのだが、いつも時間があるとは限らないし。
なかなか、順調には行かないね。