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だんだんやばくなってきたなぁ。
涼宮ハルヒのアスキーアート保管庫のプログラム作成が終わり、今日で二日目。ぼけーとしていたのであるが現状を振り返ってみるとなんとも「大層な身分の暮らし」状態である。収入はないのに飯を食べ、眠くなったときに眠ることができ、真昼間から空調の聞いた部屋で音楽かけながらネットサーフィンなんかしていられる上に、行こうと思えばどこにでも行ける。僕が働いていたときに思い描いていた生活とは多少違うが、下地は同じである。多少の違いというのは僕が活動的に行動しているかどうかだ。今の僕は部屋の中に閉じこもってひたすらプログラム作成をしているだけだ。不健康すぎる。
しかし、「大層な身分の暮らし」っていうのも体験している身の上で述べると、実に考え物であることが解った。先に述べたとおり、僕の場合は実に不健康な生活を送ることになる。しかも、あまり改善する気力は沸かない。その間、体力はどんどん落ちているようなのでまさしく悪循環に陥っている。そしてハローワークの説明会でも言われていたが、何もしないでいるとさらにあらゆることに対して興味がなくなるものらしい。極端まで突き詰めれば、部屋の中がごみ屋敷になるのかもしれない。幸い、今のところ僕は自分の部屋を掃除するぐらいには外界に興味があるようなのだが。
さらに、暇であるならば一日も長く感じられるであろうと思っていたのだが飛んだ間違いだった。一日は働いていようが働いていなかろうが、早い。あっという間に太陽は頭の上を通り過ぎて沈んでしまう。できることはおそらくは働いているときよりも多いのだろう。働いていたときより寝早く、長く眠ることができる。しかしながら、早いもんは早い。
働いていたときに考えていた贅沢な暮らしぶりまんまである。何が不満なのかというと、贅沢な暮らしぶりを満喫できていないというところだろうか。これは僕自身が満喫する努力を怠っているからなのだが、さて、どう努力すればいいのか。
とりあえず、サイト構築は二月終わりまでをめどに、三月に入ったら就職活動を始めないとな……。フリーダムなニート生活も四月までが限度だ。それ以上ニート生活を続けるにはネオニート(収入のある家事手伝い)になるしかない。うーむ、四月までには難しいかなぁ……。
ここ数週間、涼宮ハルヒのアスキーアート保管庫についての話ばかり書いている気がする。それはともかく。
プログラム作成が終わったら次はデータ整理なのであるが、データ整理の整理基準について悩みどころが発生し、手が止まってしまった。
整理をする上で大切なのは、整理することによって使いやすくならなければならない、という点である。整理したのに使いにくかったら作業する意味がないわけで、今のところ、作業してもちゃんと使いやすくなるのかどうか判らない状態となっている。
元はといえば、整理基準を変更しようと思ったのは、現行の「出展元別の整理」方式では限界が来ていることを感じているからだ。出展元の分類は現行ではアニメ、アニメ外、二次作でおおよそ分類しているが、時間が立つにつれていろいろなメディアに涼宮ハルヒが進出してしまい、僕にアスキーアートの出展元がわからない場合が多々出てきた。小説、アニメ、漫画、ゲーム、雑誌、映画、キャラクターソング、ドラマCD、チラシや広告、二次作、アスキーアートそのものの改変、それら全てを僕が把握するのは難しく、元がわからないと分類できない。
……今から思えば、中途半端に涼宮ハルヒについて知っているのが足を引っ張っているのかもしれない。たとえば、僕が全く知らない作品のアスキーアートを整理してくれといわれた場合、どのように整理するだろうか。間違いなく、出展別で整理したりはしない。元が判らないからだ。となれば、アスキーアートが何に重点を置いて作成されているかを基準にするだろう。感情表現か、行動か服装か。やはり、そっちの基準で整理したほうがいいだろうなぁ。今後のことも考えると。
ふむぅ。