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今回の旅は現職教師の友人Kと愛知県名古屋および岐阜県白川郷に行ってきます。
今回の旅行は一泊二日で行われます。目的地は一日目、愛知県名古屋周辺の観光と食べ物の堪能、二日目、岐阜県白川郷にて雪景色を堪能、時間があれば少し戻って温泉、そして帰宅となっております。
朝の六時前に置きだして服装的な準備をし、寝る前に用意したリュックを背負って出発しました。寒いところに行くそうなので防寒対策はしっかりしたつもりです。手袋忘れたけど。
服装は耳までカバーできる防寒仕様の帽子を頭に、Tシャツに長袖タートルネックに長袖上着と大体外出するときにいつも来ている黒い外套を着込み、外套のベルトにはサイドパックを装着。中にはメモ帳やペンや飴玉などが入っています。そして普通のズボンに新品のワークブーツ。リュックの中には僕の手持ちの中でももっとも優秀なコートとカメラを主に、カロリーメイトや栄養剤や無菌ガーゼや正露丸や消毒マキロンやライトやらといつもの装備が入っています。後は手持ちのお金で何とかする。
午前七時前に駅にて友人Kと合流し、青春18切符を利用して一路名古屋へ。名古屋までの道にはこの前一緒に行った彦根などがあり、思い出も一塩です。そして午前十時半ごろに名古屋着。僕はまだ朝食を食べていなかったので駅の建物の中にあるうどん屋できしめんを食べました。友人Kはきしめんにセットだった天むす(おにぎり)を食べました。
さて、名古屋を中心とした観光に出発です。観光場所の選択は全てK君にお任せしております。名古屋に関する地理的情報を何も持ち合わせていない僕にはどうしようもありません。手名わけで、まず行ったのが覚王山というお寺。
覚王山はタイとの交流の元、設立されたお寺で国際的交流が云々というお寺だそうで……うむ、お寺だけですな! まあ利観光名所でもないらしく、観光客はいるにはいるが、溢れているというわけでもない。本堂の裏手にある霊堂となると誰もいない。ちなみに、霊堂のさらに裏には立体墓地があります。かなり大きい建物で、なんだなんだと中に入ってみればずらりと等間隔にきっちり並んでいるお墓の群れ。墓地も人口過密でニュータウンがごとく家というかお墓の姿かたちも全部一緒の量産型でございます。まあ死人に土地を与えるのも惜しいという時代になってきたって事なのかなぁ。
時刻は十二時前になっていたので、名古屋にいったん戻って味噌カツ定職を食べて味噌カツの味を堪能しました。僕は味噌カツも楽しめる名古屋定食千六百円。K君は味噌カツ定食千二百円。……定食って言っても、なんか高くね? そんな高級料理店でもなしに……。
さて、次に向かったのが岡崎城です。岡崎城は徳川家康が生まれた城らしい。関ヶ原の戦いもこの城が拠点になっていたそうな。
岡崎城は現在たっているのは模造建築物です。中身は博物館となっており、いろいろ歴史を学ぶことが出来ます。とりあえず写真を撮りつつ岡崎城に入場し、関ヶ原の合戦などで使われた武具を見て回り、江戸時代あたりの岡崎の風景をジオラマと解説ビデオを見て知り、天守閣から町を見渡しました。それにしても、城に来ていつも思うんですが、この城が造られたころの人々が今の風景を見たら、驚きもするでしょうが落胆もするだろうなと思います。文明は発展して人々は豊かに暮らしている。それはいいとして、当時は一番高い建物は城だったわけで、現代では城よりも何倍も背の高い建物がそこかしこにある。ちょっと残念に思われるかもしれないなと思います。まあ、当時は間違いなく城が一番高い建物だったので、現代のことなんか知ったこっちゃないでしょうが。
岡崎上の後には敷地内にある徳川家康資料館に行きました。ここでは本物の火縄銃を手に取ることができたり槍を持てたり兜をかぶれたりします。もちろんそれぞれ安全策は取られているわわけで振り回せはしませんが。資料館では関ヶ原の合戦を再現しているジオラマが存在し、これがなかなか凝っていました。ボタンをぽちっと押すとナレーションと共に解説ビデオが流れ、それと同時にジオラマ上に舞台を模した人形がせり出して来て、戦いが進むと共に人形が動いていったりライトが点滅したりします。
てなわけで三回ぐらい見ていたわけですが、関ヶ原の合戦においての勝敗の分け目はやっぱ人望かねぇと言う処です。大大将は徳川家康と石田三成の戦いだったわけだけれども、三成のほうは人望が足りず、味方の中から裏切りが出たり激戦が繰り広げられているのに全く動いてくれなかった部隊がいたわけで、まあ昔の人たちはなかなかしっかりしていたようです。やる気無かったら動きませんとか、今の日本人には出来ない行動かもしれない。
資料館にはずいぶん長くいたようで、時刻は四時になっておりました。次は蒲郡(がまごおり)、三河湾にある竹島へ行きました。着いた頃にはずいぶんと辺りは暗くなっていましたが、竹島は明るくライトアップされており、見て回るには特に問題はありませんでした。竹島は小さい島で神社が建てられています。形としては滋賀県の竹生島に似てますが、ここにはお寺はありません。島へは橋が掛けられており、ライトアップされた橋の上を島へと歩いていくとなかなか面白いです。
ただ、街から少し離れていてなおかつライトアップされているので不良のたまり場にもなっている様子。バイクで島まで乗り付けて騒いでいるようでした。あまり夜には行かないほうがいいかもしれません。
島にはそんなに長く滞在できませんでした。名古屋に戻ってひつまぶしを食い、すぐに電車に乗らないとならなかったからです。蒲郡(がまごおり)駅ではイルミネーションを写真に撮りましたが、暗い上になんかカメラのフィルム露出時間が長い中をカメラぶらしちゃった気がするので撮れてないかも……。
さて、名古屋名物ひつまぶしの時間です。ひつまぶしは多分ウナギ丼と一緒にしたら駄目なんだろうけれども、ウナギ丼みたいな感じで出されます。ただし、食べ方はそのまま食べるのではなく、小皿にしゃもじで移し、一膳目はそのままご飯とウナギだけで食べ、二膳目は薬味(ねぎとわさび)を混ぜ、三膳目はそこにさらにお湯を掛けてお茶漬け風に食べるという。名古屋駅東口地下街には見たところ三件のひつまぶしを扱っている店があり、その中でも一番高い店に入りました。ひつまぶしは一食二千三百八十円です。高い。でもまあ、それぐらいのほうがいい気がする。ウナギだし。ちなみに、安い店は千七百円でした。
K君は「犯罪的においしい」との事だったのですが、僕にはおいしいのはおいしいけど、うな丼と大差ないような気がしました。いやま、ウナギの量は多いし、実際おいしいんですが、さてこれが二千三百円もするものかと考えると、何か怪しい。僕の舌が肥えてないからそう感じてしまうのか……まあどの道、高級料理店に通う日々が来ることはありえないので慣れる必要はない気がします。
さて、ひつまぶしを堪能した後、名古屋駅から岐阜駅へと移動し、岐阜駅から北へと向かう路線へと乗り換えました。ここから先はディーゼル車(架線から電気をもらって走るのではなく、燃料を積んで走る電車のこと)での移動となります。電車に乗っている時間は三時間との事で、かなりの長旅です。しかも座席はあまり座り心地がよくない。
それはそれとして電車に乗り込みました。京都から名古屋へと向かう途中でも景色を見ていたのですが、大体岐阜に入ると雪が積もっているのが見えました。京都、滋賀、愛知では雪は積もっていませんでした。愛知県にいるとき、明日行く白川郷は雪景色になっているんだろうかと気になっていたのですが、雪に関しては特に問題はないようです。
電車に乗って一時間過ぎ、二時間が過ぎればいつの間にか二両編成のディーゼル車はワンマン電車になっており、使われるドアは先頭車両の運転席付近のドアだけで二両目まで人が来ません。二両目の後ろのほうの座席にいた僕とK君はがら空きの座席をふんだんに占領しましてもう完全に寝る体勢でした。ロングシートにばたっと横になるのって結構気持ちいい。すでに時刻は十時を回っていて真っ暗ですし、外の風景なんかこれっぽっちも見えません。もう寝るしかない。
夜十一時を過ぎまして、ようやく終点の高山に来ました。今夜は高山の駅のすぐそばにあるホテルに泊まることになっております。高山はかなり雪が積もっていますが、現在は降雪はありません。
駅を出て近くにあったコンビニによってお酒とおつまみを購入し、ホテルにチェックイン。部屋に入ってばたばたとくつろげる体勢に入り、お風呂に入ったりして気を抜いた後、テレビニュースを見ながらお酒を飲みおつまみを食べて明日の予定を確認し、一時ごろに就寝しました。明日は八時四〇分のバスに乗らなくてはならないので、七時間程度寝ることが出来ます。
さて、明日は雪との戦いになりそうです。