手の内からこぼれる世界


鏡の章 ―― Opening

あなたは駄目だ。
あなたはまだ、来ては駄目なんだよ。

あなたは闇を見たことがない。
あなたは闇と触れ合ったことがない。
あなたは闇と共に踊ったことがない。

あなたは駄目だ。
あなたはまだ、行っては駄目なんだよ。

あなたは光を呼んだことがない。
あなたは光と考え合ったことがない。
あなたは光と共に笑ったことがない。

あなたは駄目だ。
あなたはまだ、踏み入ることは許されない。

もしも踏み入るというならば、それなりの代償は支払うことになるだろう。
それは時によって様々だ。
それは愛情である。それは憎悪である。それは他人である。それは自分である。

きっとあなたにはどれも支払うことはできない。
それを支払うということは、あなたは人間であることをやめるということ。

あなたは人間であることを捨てる資格はない。
あなたは人間であることを捨てることは許されない。

あなたは背徳の徒となりて、生者としての全ての可能性を奪われることだろう。
あなたは背徳の徒となりて、永遠という名の枷なき牢なき地獄に墜ちるだろう。

そこを覗き見ることが許されるのは、闇と仲間となった者だけ。
そこの扉を叩くことが許されるのは、光と親友になった者だけ。

もしくはその両方――世界を手に入れた者だけ。

残念ながら、あなたには“向こう”に行く資格はない。

資格をもつ者だけが、“向こう”に行くことが許される――。


挟間に存在する者 【扉の章】   作者不詳



“人間”という単語について

 なぜ、僕たちは自らを“人間”と言うのだろう?
 おかしいと思わないか?
 “人”と言えばそれで済むはずなのに、なぜ“人間”と言うのか?
 それはね、人は様々な“力”の挟間にいるからなんだよ。挟間――間(はざま)。
 人は挟間にいるんだ。だから、間(はざま)の人。熟語の基本に従い、漢文の様にレ点をつけて人間。
 それが“人間”という単語が産まれた理由だと思うな。
 人間は全ての挟間に生きているんだ。
 狭間。そこはいろんなものが混じりあっている、全てが不純な世界。
 だからこそ、挟間にいない純粋な者達にとっては……人間は、羨ましい(うらやましい)、妬ましい(ねたましい)存在なのかもしれない。

 不純でないがゆえに……


 とある少年の覚え書きより