手の内からこぼれる世界


狭間での話 ―― なかがき

 どうも皆さん、おはようございますこんにちはこんばんは。Block Elementです。
 二〇〇四年四月一三日、現時点での僕のもっとも力のこもった小説、【手の内からこぼれる世界】の第一部 ――“鏡の章”をお送りいたします。いかがでしたでしょうか。
 この小説は僕が初めて作った長編小説です。書き始めた頃はうまく終わらせられるかどうか心配でしたが、とりあえずはここで一息という感じです。一息はいいけれど、そこで小説から長期間にわたって離れることになってしまい、今の僕は第二部を書けるのか? という言うほど小説を書いていません。
 しかしながら、次の番外編を挙げてしまえばお蔵の中はほぼすっからかん、まだ完成されていない小説が埃かぶっているのが現状です。まだ、マッキントッシュから移してきてウインドウズ用ファイルに直してすらいないものがごろごろしています。
 ここからは心機一転、小説を上げるために新しく小説を書くことに着手しようかと思います。
 ……それにしても、大学に入ってして小説が書けなくなるという事態に遭遇するとは思いもしませんでした。周りの人らは大学生活は楽だ、なんて言っていましたけれど、やることやっていたら忙しいんです。当たり前ですけれどね(笑)
 小説は一人で完成させることは難しい。けれども、書くときは一人でいなければならない。一人になれないと小説は書けない。大学生活ほっぽりだして引きこもりでもやるかぁ、て感じじゃないと書くことは難しい。友達らに付き合って大学に残ってられません。書きたいのならば。
 なんか愚痴っぽくなってしまいましたが、僕の近況はこんな感じです。

 小説のことに話を戻しましょう。
 僕は小説を書きます。けれども、それは“書く”と言うよりは“描く”と表現したほうがいいのではないかと思います。
 僕は小説で何を表現しているのか? 何を伝えようとしているのか? それを考えたことがあります。
 僕は、小説で“人物”を表現しています。もっと正確に言えば“ある人物の人生”を表現しようとしています。
 人生。それは、誰もが持っている宝物のようなものです。人生はその人がそこに存在したことを示す重要なものであり、また本人にしか理解できない魂にも似た“概念”です。誰もが人生を持ち、その内容は似ているところはあれども絶対に同じものはありません。
 僕は自分の人生の中で“ある人物”の人生を垣間見て、それを描写しているのです。僕は“ある人物”を描き、それを紹介しているに過ぎないのです。ほら、ここにこんな人がいるんだよ、この人は自分の人生の中で、こんな考え方をして、こんな選択をしたんだよって。
 もちろん、完全に紹介しきることは出来ませんけれど、僕はしているのはこんなことなんです。そういう意味で、小説家って言うのは本当に一人では小説を完成させることはできないんだなって思いますね。だって、他人の人生をとても知りたがるんですもん(笑)

 なんか難しいことを書いてしまいました。次のなかがきはどうすんだろ? 今から心配です(笑)
 では、よい人生を! また会いましょう〜♪


 二〇〇四年 四月一三日 Block Element