八月二五日、日曜日の話
祇園へ行く

 新しいパソコンのパーツを買いたいなーと出かけたら、祇園に来てました。

[◆]祇園はそこそこのところだった

 祇園は京都、河原町から東へと進んだところにある町……というか地区である。七月中はここにある八坂神社を中心として祇園祭が執り行われたりするのであるが、祇園祭中はさして人が来なかったりする。祭りは河原町で行われるものだから。

 さて、祇園に来たのはほかでもない、祇園祭のときの心残りを清算しに八坂神社へときたのである。七月一五日、ネット上でしか知り合いでなかった人と会い、祇園祭を中途半端に楽しんでいたのですが、八坂神社でのお参りのときに賽銭が三十三円しかないという屈辱的な思いをしたため、本日はその清算に来たわけです。しっかり二百円を投げてまいりました。願い事はいつもとほぼ同じ。

・僕が理想と感じる恋人が出来ますように。
・視力が良くなりますように。

 現状の生活では、一番目の願いは相当に難しいものです。朝の八時前に家を出て、帰宅が九時ごろとかいったい何処に恋人と時間を過ごす時間があるって言うんだ。今の会社は仕事の時間割り当てとして失格である。会社にいる時間が五時間で済む様なところでなければ。もしくは、自分で創業してしまうしかない。田舎に行き、農業で自給自足してのんびり暮らせたら一番いいのだが。

 てかもうあれだ、恋人がほしいですって中途半端なもんじゃなくて、はっきりと生涯の伴侶が欲しいですって願い事に変えたほうがいい。どのみち、僕の言う理想の恋人とはそのまま伴侶になる人だし。今度からそうしよう。願い事を吟味してしっかりと形にするのも大切である。視力については……めがねが邪魔なんだよなぁ。メガネのせいでやや目に入る光量が落ちているし(要するに少し暗く感じる)、汗をかいたら汗が眼鏡についてふき取らなくてはならない。目はいいほうがいい。何でこんなに悪くなってしまったんだろう。こんな、普通に座っているだけではパソコンの画面も見えないぐらいにまで。ぜんぜん環境適応できていないではないか〜。

 それはともかく、八坂神社の正門のほうから出ようとしたら手洗い場を見かけ、手を洗うことに。で、本来は手を洗ったあとにお参りするのが礼儀だそうで、手を洗って絡もう一度お賽銭を投げることに。今度は五十円でした(笑)

 神社を正門から出た後は側の御茶屋で抹茶などを飲んでみる。抹茶に羊羹のお菓子付きで七百円。こんなもん、仕事で一月一七万ももらってなきゃまず間違いなく見向きもしない代物である。現在の仕事はさして面白くないのでやる気も減退気味であるが、こういうことが出来るのは純粋に喜ばしいことである。現在社会に対して手広い取捨選択が出来るということだ。まぁ、金がないと選択の幅が出ないのもどうかと思うのだが。

 お茶屋に入ると客は誰もおらず、店員のお姉さんが少し手持ち無沙汰にしていました。抹茶を頼み、少し話を聞いてみると、今は稼ぎ時からは少し時期がずれているらしい。そのために暇なのだそうで。神社お墨付きの御茶屋もそこそこ安定していそうだよね、お客がいなくても。

 抹茶を堪能し、出る間際にソフトクリームを買って八坂神社正門より東へ。八坂神社を一周して見ようと思ったわけである。この段階で、本日当初に考えていた大阪日本橋行きはなしにした。まあ、新しいパソコンを急いて買うこともないし。

 八坂神社を東に行くとどこぞのえらい坊さんのお墓に行くことができる。その規模たるや、京都人の癖に京都を知らなかったんだなーと思い知りました。広すぎ荘厳すぎ。どんな墓だっつーんだ。まあ、実際にいってみると無駄にすばらしい。

 誰の墓だかも知りはしないのにお参りをして、別の門から出ると左手に見えるは一般のお墓が立ち並ぶ巨大墓地。山腹に作られた墓地は上のほうに行けば非常に見晴らしがよさそうだったので、誰にお参りするわけでもないのに墓地の道を歩いて上へ。前にうちの家族が「墓地は気味の悪いところ」と言っていましたが、僕にとってみれば墓地とは見晴らしの非常にいいところでしかない。死者は何も言わず。死者を見れば自分が死ぬことを考えさせられて嫌な気分になる人もいるそうですが、僕にとっちゃー自分の死なんて言うのはすでに考慮済みの事柄であって大したことではない。このあたりの感覚がどうにも他人と共有しにくいらしいのだが……。

 墓地の頂上にたどり着き、携帯で音楽を流しながらしばらく京都の街並みを眺めました。いやー、広いねぇ。墓地の間を歩き回ったりしつつ、満足したところで下り。墓地のところどころにある水道管の蛇口をひねれば、出てくるのはお湯だったりします。日光をさえぎるものがない中で使われていない水道とくれば水道管の中にはお湯が出来上がると。太陽も馬鹿には出来ない。

 墓地を離れたあとはなにやらトランペットや木琴と言った楽器の音につられて歩き、広場に行ってみたらどうやら何かのコンサートだったみたいで、ふらりと立ち寄っただけなのに三千五百円のチケットを買い、中へと入りました。墓地で音楽を聴いてようやく存在を知ったコンサート。つまり、どういう曲目なのかまったく知らないのに、よくも三千五百円も支払ったものだ。これも働いていることの心の余裕なのか。

 あまり長居はしないことにして、ひとまず音楽を聴きました。二人だけで行われているジャズ。本来は三人でやる予定だったらしいのが、一人がとにかく来れなくなったそうで二人で演奏とのこと。サックスとコントラバスの演奏でした。あと、なにかエジプトの弦楽器の曲を披露されたり。その次のグループは中国人の女性ボーカルが中国語や台湾語や日本語で民謡を歌っていました。歌詞の内容はわかんないのですが、そこそこ楽しめたり。雰囲気的に。

 そのグループの曲目が全て終了した当たりで時刻は五時を過ぎており、会場を後にしました。祇園の町を通って河原町に戻るとき、祇園の町でかんざしを売っている店を見つけて、もしも僕に伴侶となるかもしれない人が現れたら、かんざしを贈りたいと思いました。うむ、やはりかんざしが合うような人がいいわけですよ。かんざしって言うと長い髪の人しか合わないですよ?

 河原町では寺町どおりのパソコンパーツショップに行っていろいろ吟味。それにしても品揃えがそんなに良くないもんです、京都の寺町は。大阪の日本橋には遠く及ばない。まあ、そのようなことを考えて店を回り、帰る段階になって思いつきました。

 商品が店にないなら、取り寄せさせればいい。パソコンパーツショップなんですから、パソコンパーツを取り寄せることぐらい出来るはずです。欲しいパーツがないならば店で注文すればいいんです。別にすぐさま組み立てたいわけでもない。一週間もあれば大抵のものは届くはずです。しかし、注文するには現在あるパーツについて知っておかなければならない。まずはパーツを調べることが大切か。また資料漁りに戻ることになりそうだ。

 新しいパソコンが手に入るのは、いつのことやら。