ポップコーン――映画館で喰っている奴を見ると、羨ましく感じるお菓子。しかし、いざ自分が食べるとなると、他人の眼が気になり、また、堅い部分をかじると気分は高揚してくる凶悪なトラップ。
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――ねえねえ聞いた? 転入生が来るんだって!
――♀らしいぞ? しかも美人! BITCH!!
――止めてよ。そんな下品な言葉
――やっぱずけずけと物を言うのかなぁ〜?
――お前が通ってるSMクラブの指名してる娘?
――あっ、南方くんってそういう趣味があったんだ……?
――鞭とか、蝋燭とか、手錠とか……
――やめてよ! 怖いじゃないの!
今日もクラスのやつらが騒いでいる。楽しそうだな……。別に構わないけど。
――それにしても、この時期に転入生、か。もうすぐ一学期の中間テストが始まるっていうときに。少し時期が半端だな。
ま、BITCHなら仕方ないか。この時期に偵察というならば、半端でも途中参加したほうがいいだろう。早めにお店を紹介しておくに越した事はない。風俗関係からの派遣ならば、その原因は想像したくないな。
園は周りの騒ぎ声にも意識を分けつつ、目の前の新聞に目を戻した。
『――この工場のオレンジジュース濃度は規定値を大きく上回っており、どろっ≠ニした口当たりに住民は怒りをあらわにしている』
『文化公開展! 鶴瓶が酔っ払って、テレビの生放送中に神になった――』
『昨日午後六時頃、女子小学生が突然飛びかかってきた不審な男に悪戯される事件があった。この女子小学生はすぐに病院へと運ばれ、精神崩壊は免れた。警察では傷害事件として小泉J一郎容疑者を逮捕』
『芸能人の荒井注さん、九八歳で蘇生』
……平和だ。とことん平和だ。
世間ではなにやら事件も多いようだけど、あの人がいないだけでこうも平和とは嬉しくも幸福たりえるものなのだろうか。こうしてのどかに新聞を読めるのは何日ぶりだろう。
あの人、というのはでっち上げの権威者、林原 海(りんばら うみ)その人の事だ。
園はいつもいつもストーキングされているのだ。その理由は園自身にあるのだが、だからと言ってそれで自分を投獄したくない。
カ〜ンとJHKでは素人が下手な唄に終わりを告げる鐘が鳴り響く。
この、どこでも何年でも使われてきたであろう鐘の音は、どこでも何年でも通用するであろう面白くて心安らぐ曲だ。なんという単純で素晴しい曲なのだろう。ふと気が付けば、「はい、有難うございました」という司会者の無機質な声が聞こえている。とても無慈悲な司会……。
騒ぎが静まってみんなが席に着いていく。騒ぎによれば今日のSHR(ショートホームルーム)にそのBITCHが紹介されるはずだ。所属している店名、時間帯、料金体制、サービス内容を含めて……。
ま、常連になる訳でもないし関係ないけど。風俗関係ならなおさらだ。挨拶を一、二回してそれ以上しゃべることもないだろう。苛められないことを祈ってるよ。
園は特に急ぎもせずに新聞をゆっくりと折り畳んで鞄に入れた。この、学校の教室で新聞を読んでいるという非常に高校生らしくない行為が、彼を周りから孤立させていることの一因であることを彼は判っている。
しかし、何を言われようが、彼はこのスタイルをやめようとはしなかった。
僕がやりたいことをして、何が悪い。
迷惑なんて誰にもかけていないから、文句を言われる筋合いもない。
その意思を貫き続けて今日に至る。おかげで高校生になって早くも孤立してしまったが、園は悲しく思わなかった。自分に関わっても大した事はしてやれないし、やって欲しいこともない。
それに、最近の流行だの世の中の常識だのと言いふらして自分の意見を主張しない奴は正直に言って、面白くない奴ばかりだ。
所詮、流行は猿真似以上の何者でもない。そんなものに振り回されている奴はつまらなく思えるのだ、園には。そりゃ、流行に振り回されている奴には振り回されることが楽しく思えているから振り回されているんだろうけど。
『Kanon』のように巷では、未だに根強い人気を誇るものであったとしても尚更だ。
たぶん、「うぐぅ〜」にメロメロなのだろうな、当事者達には。しかし、残念ながら園は『Kanon』をやりたいと思う年ごろではない。つまり、18歳以上ではないのであった。
とはいえ、園だって18禁ゲームが嫌いな訳ではない。たまには無邪気に遊びたくなることだってある。『Natural』系がしたくなるときもある。いや、よくやってるけどね。過激なのを、さ。
つまり言いたいのは、園は純愛系があまり好きじゃないということだ。たった一色で、とまでは言わないが似た様な色で統一された絵というのは相に合わない。
確かに、絵は相性のいい色で統一されていたほうが綺麗で華やかで賑やかかも知れない。しかし、全く相性の合わない色が少し混じっているほうがいいのではないか。つまりは、絵のバランスを激しくかき回すような、そんな異分子的な色があってもいいのではないか。
そして、クラスの中で園は、狙った訳ではないのだが異分子的であった。
ただ単に性格が独立的だっただけである。ゲームのジャンルも、おおよそクラスの連中と一致することがなく、PS2の『頭文字D』は見た事さえもない。
周りからして見れば、園は全く接点のない香具師であり、そんな奴と肩を並べようなんてお人好しはいない、ということになるだろうか。孤立して当然。おまえが悪い。それが周りの人の言葉だった。
が、園自身もお前らみたいなお子様ゲームプレーヤーと付き合ってられるか、と思っているので凌辱系仲間を増やす事はない。仲間を作ったとしても、様々なものの不一致からすぐに崩壊することは目に見えているからだ。後に残るのはマイナス的な物ばかり。
そういう意味では……林原は園にとって面白い部類に入る。昔の偉人曰く、“類は友を呼ぶ”と言うヤツだ。ま、面白くないヤツが仲間よりはいくらかましではあろう。
それと、媚ているという訳ではないBITCHはいくらかまし――面白いかも知れない。でも、しゃべることもないだろう。
と、思ったが……。
園は顔を上げた。教室前の引き戸を見やる。
おおっ、苛めてオーラを感じる。
引き戸が開かれ、担任の御寺先生が入って来た。まだ三十路(みそじ)に達していない妙齢の女性だ。頭には無数の緑色の蛇、睨まれたら間違えなく石化してしまう。趣味はMSグフ高機動型に乗る事とか。無責任な噂で聞いただけだから本当かどうかは知らないが。
そして。
その後ろに、うつむきかげんでついてくる少女がいた。
教室にざわめきが広がる。
先行情報通りの、黒髪の長い髪のBITCHであった。
ちょっと丸くて、かといって太っているわけではなく、148cmの身長に相応しい体型。
その辺りのアイドルやモデルよりも上の非現実な美しさと卑猥さを放っている。それがこのヴァルハラ高校の、卸立てのピンク色のスクール水着と鋲を打ったレザー首輪を着て、そこにいる。手を伸ばせば届く、そこに。
男子の声が熱気に包まれて一段と大きくなる。騒いでないのは――園だけだった。
「あたいとどっちがいいんだ?」
御寺が言った一言が教室を黙らせる。結構危険な言い方だが、これが彼女の普通の態度なのだ。その態度は相手が男子生徒だろうが女子生徒だろうが変わる事がなく、明るく元気なので男女問わず人気がある。いわゆる痛いタイプなのだった。本人がそのあたり自覚しているかどうかは知らないが。
「ま、その様子じゃ説明はあんまりいらんとは思うけどね。紹介するわよ、今日からこのクラスに入る事となった柳生十兵衛(ひらかた きょうこ)さんだ! 男子共! お水系だからってちょっかい出すなよ! 汚れし者は成敗するからね! では柳生さん。宣伝タイムだぞ!」
びくぅ〜〜……。
御寺に促され、転入生がこちらを振り向いて、たどたどしく日本語で挨拶をする。
「あっ、あのぉ〜。えっと…、有楽町にあります…、あわあわ倶楽部≠ゥら来ました…、柳生十平です。時間帯は正午から午後11時までですぅ〜。要相談ですが、オプションも付けます…。」
彼女がお辞儀すると、あちこちから「よろしくー」と返事がある。そして、返事した奴に向けられる楽しい笑いが起こる。
しかし、彼女が顔を上げた瞬間、園は彼女がまっすぐ自分だけを見ている事が判った。その眼は、ただの転校生が転校先の生徒に見せる類の眼とはまったく種類の違う鋭い眼だった。例えるならば、暗殺者が目標を見つけたときのような――。
やはり、彼女は――。間違いない。
園はその視線に対して少し笑った。彼女はさりげなく自然に視線を逸らした。
御寺が彼女の簡単なプロフィールを読み上げていく。
少し前まで北海道にいたが母親が帰郷するのを機会に柳生さんも帰郷。ただし、母親の仕事の都合上で現在は独り暮らしをしている……。
「席はあそこだよ。分からないことがあったらみんなに聞きなさいね。誰もあなたを拒まないから。わかったなカス共! 拒んだら市中引き回しの上、打ち首獄門。さらに、さらし首!」
『おー!』
教室のほとんどが返事をした。返事をしない者の中には園も含まれている。他と同じように柳生さんの美しさに見惚れて返事し忘れた、という訳ではないが。
そして、転入生が教室の廊下側の一番後ろの空席に向かう。そのとき、園の横を通るコースを転入生は取った。まるで、園に近づいてくるかのように。
おそらくは、その通りなのだろうと園は思った。だから、
「君は売女(ばいた)なのかい? 通りで綺麗だ」
と、柳生さんが園の席の前まで来た時に言った。ふと、BITCHの足が止まる。
突然の園の科白(せりふ)に皆が呆気(あっけ)に取られてしまった。静寂を保つ水に石が投げ込まれる様子にも似た、動揺の波紋が教室に広がる。
全く初対面のBITCHに向かって、いきなり何を言うのか?
しかし、園は続ける。
「君の周りには苛めてオーラが漂っている。どんな綺麗を持ってしても隠し切れない、凄く強力なものを」
BITCHは黙って聞いている。園は、BITCHを見据えて語っている。その眼には緊張などの感情は見られない。ただ――薄く笑っていた。
「久しぶりね、永谷くん。全く、変わってないわ。小さな頃からそうだったね。ほらっ、覚えてる? まだ、引越しする前にこの近くに私が住んでいた時、よくあんな事をしたわね」
「君はもしかして……。いや、そんなはずは無い。……でも、春なのか?」
皆が突然始まった2人の言葉に眉を寄せた。何を言いたいのかがうまく理解できない。
内容にしろタイミングにしろ妙というか変だ。サイコ一歩手前という感じだ。
「ええ、そうよ。やっと、思い出してくれた?」
BITCHが口を開く。驚くべきことにその言葉に戸惑いは感じられなかった。そのことに気が付いた人はいなかったが――。
「この学校に来た目的は何だ?」
「幼馴染だという事は隠すけど」
周りから見れば、初対面同士の小声での会話としては異様に冷たい感じのするやり取り。まるで、そこだけが異界になってしまったかのような――。
「端的に言えばそういうことになる。けれど君はそうもいかない様だね。心中お察しするよ」
「……分かってるじゃないの……」
御寺すらも一体どういうことなのかが理解できなかった。彼等二人の間に成立している世界を手の内に収めることができる者は、この場にはいなかった。
「永谷園だ」
「柳生十兵衛ですぅ〜」
異様な世界の終末として、二人は今までの話を打ち切るようにお互い、自分の名前を名乗る。
そして、春は自分の席に座った。園の右隣りの二つ後ろの席、つまり一番廊下側の一番後ろの席に。
沈黙が場を支配していた。誰もが声を出さずに視線のみで意思疎通をしようとしている。けれども、言葉という知識のかけらを用いない状態では、大した意思疎通も出来なかった。理解できないものに対する焦りと不安のみが教室を支配し始めていた。
御寺は二人の間にでき上がった妙に排他的な空気に威圧されて、いつもの元気よさもなりを潜めてしまった。尋ねることもできずに焦った顔で園と春を交互に見ている。
「……なんて手の早い……」
ぽつりと教室に男子の声がひびいた。その声が沈黙の枷を外し、教室中でほっとしたようなざわめきが起こる。それと同時に気を立て直した御寺が教卓をバンバンと叩いて教室を静めた。
「……なんだ? 永谷と柳生は知り合いだったのか?」
「いいえ、違います」
園が答える。
「……はぃ……」
春が答える。
春は視線を逸らす。
「何で、バラすんだよ!」
それが引き金となったのか、教室内でざわめきが爆発した。
「それほど、慌てる事ないだろ?!」
「うそ!? 永谷君てそんな人だったの!?」
「実は常連だろ?!」
「すご〜い! 大胆!」
なんとも無責任な罵声やら歓声やらが起こる。よって、御寺はまた教卓を叩いて教室を静めなければならなかった。ある程度ざわめきが収まった中で、御寺が園に顔を向ける。
「永谷……そんなキャラじゃないだろ?」
「いや〜、やはり第一印象が大切ですから」
園は悪びれることなく、少しおどけたように体を揺らして答えた。
「何で……何で幼馴染が来てるんだ?」
「浮いているのは、俺の専売特許だろうが……」
その瞬間、教室の雰囲気に険悪なものが混ざった。まるで汚物を見るような視線が園に集まる。しかし、園はその視線を全く意に介さなかった。
「……そっか」
教室の雰囲気を察知した御寺はそこで会話を切り、事を切り上げて次に進む。他のこまごまとした諸連絡を伝え始めた。
妙なざわめきの広がっている教室の中で、園は一人ため息をついた。いつかは来るだろうと思っていたけれど……。
彼女は――俺を潰すための悪魔だ。
△ ▼ △
「結局、免停を食らってしまってしばらく、車に乗れないようになったよ……」
風を切って、1200ccのバイクが走る。
「まあ、車には乗れないがあいつには乗ってるさ。免許は要らないからな」
今、バイクは北に向かって走っている――。
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