4.alice
「おはよう、alice!」
日の光が、私の瞼に映る…。耳元へ届く物悲しげな声…。
「ん〜…ん…、ふぁ〜…」
私はゆっくりと身を起こす。
「alice、おはよう!」
まず、周囲を見回す事にした。そして声の聞こえた方向を見る為、ゆっくりと首を動かす事にした。
ジャケットの黒い袖が始めに目に映った。手には白い手袋をしている感じだった。ふさふさしているようだ。そして、ズボンも黒。ダークブラウンの革靴。切り株に腰掛けている。ジャケットは燕尾だと分かった。そして、恐る恐る声の主の顔を見た。
「おはよう!」
その声に、私も慌てて返した。
「おっ、おはよう御座います!」
顔はどうみても男性にしか見えない。しかも、若い男性。といっても、私から見るとお兄さん≠ノなるが。
しかし、シルクハットから飛び出している白く、時折紅く見える棒のように飛び出したもの…。それが目に入った時、この人は誰?≠ゥら何?≠ノ変わった。
「お兄さんは…何なのですか?」
自然と紡ぐ言葉は正直だった。
「これは失礼を致しました! そうですね…。ワタクシ、アイテルと申します」
「アイテル…ですか…。私は…」
その続きを言おうとした時…。
「分かっております。レイン・リデル様…」
私は呆然とした。見ず知らずの、うさぎっぽい人が私の名前を知っている事、そして様≠ニいう語尾に…。
「どうして…?」
「亡きドジスン様より、レイン様の警護を任されておりますので…」
さっぱり分からなかった。何故、死んだ人が私の名前を知っていて、しかも警護までしなければならないのか?
自然と、私は難しい顔になっていった…。
「それは、貴方がaliceだからでしょう…」
アイテルはそう言った。
「aliceだから…? …じゃあ、聞くわ。さっきからaliceって呼ぶけど、一体何なの?」
魔女の森ではない、私の知らない森…。
そこは魔女の森のように鬱蒼と茂った木々の寄せ合う場所じゃなくって、獣道だけが存在する場所じゃなくって、暗く怖い場所じゃなくって、ジメジメした場所じゃなくって…。
太陽の光が常に見える、小鳥の声の囀る、そして手入れされた森。様々な色があり、小動物も見える。
そんな場所のより明るい部分で白い布の上に座っている私。そして、目の前にいるアイテル…。
「それは後にしましょう! そろそろ、来そうですから…」
アイテルは誤魔化す表情ではなく、厳しい顔で言った。
「何が?」
突然の事態に戸惑っている私をよそに、アイテルは移動する為に準備をしている。
だから、布を片付ける為に、私に立ち上がる事を促した。
「そろそろ、準備されてはいかがですか!」
「うん…」
訳も分からない状況のまま、立ち上がりシーツのように大きな布を畳むのを手伝う事にする。
すると、落ち葉の裏側に見慣れた物が落ちている事に気付いた。
それは、PLAYING−CARD。つまり、トランプである。
「これは…?」
そう聞こうとした時。アイテルが私の腕を引っ張り、森の中を移動した。引っ張られ、駆け出す私。何がどうなっているのか、全く理解が出来ない。とにかくここが何処であるか分からない以上、彼の指示に従うよりほかない。
落ち葉の絨毯がカサカサと鳴る上を走り、少し大きな岩を飛び越えて、太陽の右を目指した。
そして、ようやく先程よりも広い所へ出た。
「何…? ト…ランプ…が…どうし…たの…?」
肩で息をしながら、わたしは必死だった。
一方、アイテルは呼吸の乱れが無い。
「私達を狙っている者です」
真顔で答えた。
「トっ、トランプが? 御伽噺(ファンタジー)みたいね」
冗談を聞きに来たのではない。バカバカしかった。
「でも、覚えておいででしょうか? 貴方の目の前でこの姿になった事を…」
「魔女の森で見た夢………。そう、これも夢だわ。私の夢なのよ…」
《ぎゅっ!》
アイテルが私の頬を摘んだ。彼はあまり力を入れていなかったが、ほんのり痛かった。
「嘘…。だって、こんな場所も知らないし、うさぎが変身するのも信じられない。それどころか、更に理解できない事ばっかりで…」
「今はそういうものです。徐々にお話していきましょう…。この世か…」
とその時、アイテルは一羽の小鳥が紙切れを咥えて上空を飛んでいる事に気が付いた。
「暫くお待ち下さい」
そう続けた後、右指を鳴らした。
《パチン!》
すると、真紅の杖が地面から生えてきた。杖はアイテルの身長の2/3まで伸びた時点で成長を終えた。
「やはりっ!」
そう言うのが先か、杖を持ち上げるのが先か分からない。どちらにしても、素早かったのだけは確かである。
持ち上げた杖の先には三又で返しの付いた鋭い金属がある。…杖じゃない。槍だ!
そして、それを鳥に向かって投げた。
すると、槍は直線的といって良い程に飛び、鳥を貫いたのだった。
と同時に、最期の力で鳥はこちらへ紙切れを飛ばしていった。
近くに落ちた紙切れ。それはトランプ。
周囲から響く、何かが落ち葉の上を歩く音…。
「ようやく戻ってきましたか、アイテル!」
先程のトランプは瞬間的に姿を変えて、人間のようになった。
「と、その隣は…人間ですか…。大人しく、鍵を渡せばいいものを!」
見渡せば、周囲には8人ものトランプ柄の衣装を着た男達がいる。手にはそれぞれ、武器を持っている。
「分かりました。レイン様はそこで見ていて下さい」
そう言うと、空間が歪み始めた。燕尾服にシルクハットという、奇妙な格好をしたアイテルは私の目の前で魔法を使ってみせた。小さな空間が徐々に広がり、その歪みから熊のような獣が出てきた。
それは物凄く不可思議で、残酷な現場だった。魔法で呼び出した黒い獣は次々にトランプの兵隊に襲いかかった。血が飛び、男性の低い断末魔が木霊する。その中を、獣は腑を喰らい尽くしたのだった…。
私は耳を塞ぎながら、ただ伏せていた。そして、さっきまで周囲を優雅に飛んでいた鳥、遊びまわっていた動物達は逃げていった。
事が終わると、アイテルは私を見てこう言ったのだった…。
「明日になれば、レイン様。貴方にも使って頂かなければならない力です!」
うさぎは静かに微笑んだ…。
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