2.独白

 時間は限りがある。それは悲しい事だ。
 病院に着いた時、夕日が空から消える直前だった。
 中に入ると、知っている女性看護士と出会った。
「あら、こんな時間にお見舞いかしら? 早く帰らないとダメよ」
「今日は帰れないんです…」
 私は俯く事しか出来なかった。
「そっか…。迷惑だったわよね。ごめんなさいね」
 そう言って、先生は通り過ぎるのだった。
 まだ言えない…。決して言わない…。誰にも言いたくない…。
 階段をゆっくり上った。向かうのはママの所…。
 目の前に扉が見える。
 あれじゃない…。
 これじゃない…。
 それ…?
 幾つもの扉が過ぎて行く。ほんの僅かな時間であるはずなのに、長く感じられる。
 そして、その扉はあった。
 《がちゃっ…》
 扉が開く…。
「レイ…どうしたの、こんな時間に?」
「わぁ〜ん、ママぁ〜…」
 私は泣き叫んでいた。孤独、寂しさ、罪…。その全てが衝撃となって圧(の)し掛かる。
 ママはぎゅっと抱き締めてくれた。
 漸(ようや)く、泣き止んだ時に私は話をする事となる。

 そもそもの発端は、父親だった彼(あ)の人の家庭内暴力だった。もともと、彼の人は酒癖が悪かった。良くない事があれば、すぐに酒に頼った。その時になると、地獄だった。騒ぎ、暴れ、怒鳴り散らす。食器は弧を描き、床に落ちる。砕けた硝子の破片は、壁に光る。ともかく、無残だった。
 それがいつしか、家庭内暴力へ…。
 酒を呑み、その上で暴れるのではない。酒が一滴も入っていない状態なのだ。
 彼の人のせいで、ママは大変だった…。時には酷い痣が出来た。顔は赤く腫れ上がった。
 それでも、ママは耐えていた。
 彼の人は暴力を振るった後、いつでも泣いて謝る。
「もう、二度としない」
 それが口癖だった。
 だが、今も入院をしている事件は、この程度ではなかった。
 その日も彼の人は暴れていた。硝子の食器が幾つも割れていた。
「お前のせいだ。何もかも…」
 取引先との些細な小競り合いに、ストレスを感じていたという。その気持ちをママにぶつけていた。
 2度、3度蹴られ…。何度、平手で殴られただろう…。あまりにも、残虐的だった。
「もうやめて…」
 うわ言のように繰り返すママの目からは光が失われていた…。
 そして…。崩れ落ちたママに対し、彼の人は腹部を蹴り上げた。するとママの嗚咽が木霊し、動かなくなった。
 肋骨が数本折れている。その元凶が彼の人だ。
 それも、今日で終わりだ。
 私は彼の人が嫌いだった。普段の生活では優しかった。だが、一変する瞬間がある。その姿は悪魔、そのものだ。
 ママが入院してからは私に対して、暴力こそ振るわなかったものの罵声は厳しかった。
 今までに性的虐待は1度もない。それでも、命を考えると危険を感じた。
 そして昨日も…。
 だから、殺したのだ。手は震え、あまり力が入らない。それでも、ロープは私の手にある。次第に私の中の人間じゃない部分が表れる。
「奴は人形だ」
 そんな言葉が響く。幻聴だとしてもだ。その時、私は初めて感じた。残念だけど、この人の子どもなんだと…。
 途中で目覚めたパパは本当に苦しそうだった。ロープと自分の首の隙間、ほんの数ミリの所へ両手の指共に2本ずつを差し込むのが精一杯だ。その計4本の指に私の体重、…いや…それ以上の力が掛かる。ロープはゆっくりと軋み出し、徐々に崩壊の刻(とき)を刻む。
 もう、後戻りは出来ない。力が弱まった頃合をみて、商売道具だった拳銃のハンマーを戻した。
 家族のため。ママのため。自分のため。そして、この人のために…。
 今日みたいな晴れた日の朝には相応しくない光景だった。
 真っ赤だった…。
 でも、これでやっと終わる。

 その事を話した。
 だが、ママは嬉しそうな顔をしなかった。
「確かに悲惨だったわ。でもね、レイン。貴方がやった事はパパがやった事と同じ事なのよ。本当にママが恨んでいたら、今頃は変わっていたわ。こんな所には絶対にいない。もっと相応しい所にいるはずよ」
「やめて、ママ。私はどうしても耐えられなかった。見ていて、凄く悲しかった。そして、怖かった…」
 再び、自然と涙が零れる。
「レインには辛い思いをさせてごめんなさいね」
 そう言うママも泣いていた、と思う。なぜなら、私の目には霞んだママしか映っていなかったから。

 そして、気付くと私は眠りについていた。
 日の光が眩しい。気付くと、ママは笑っていた。私の頭を撫でながら。
「おはよう…」
 私とママのタイミングが重なった。
「レイン。今から逃げなさい、遠くへ。父親殺しの罪はこの国では重罪。13歳の貴方でも1カ月間、逃げないと死ぬかも知れません」
「逃げるって何処へ…?」
「ママには分からないわ。でも、ミネルヴァまで行けばママの姉妹がいるはずよ。だから…」
 そう言って、指にはめていたアレクサンドライトの指環を私に渡した。
「分かったわ…。私、行くね。ママ…、元気でね」
 私は走った。病院を抜け、人通りの少ない道へ…。

 ††††††††††††

「先生、あの〜…。信じられないでしょうが、娘が父親を殺しました…。何処へ行ったのか分かりませんが捕まえて下さい…。今度は私があの娘を殺しそうで怖いです…」