05. 金欠食生活。 ―― [今日のご飯] |
投稿者/jojogaraba 更新日/2013/10/04 05:12:32
何年ぶりに筆をとっただろうか。現在は、2013年10月4日、午前4時30分を回って間もないところである。この前の自分の作品を見る限り、2、3年くらい経っているのではないだろうか。確認していないためざっくりだが。
さて。 その2、3年の間に私の生活環境は大きく変わった。11年3月の東日本大震災。地元宮城県にある職場で、8層だかの電子基板とにらめっこしている最中に突如として起こったあの大きな揺れは今も忘れがたい。電気は消え、棚は倒れ、天井からこぼれたであろう埃がぼんやりとついた非常灯の中の視界を奪っていて。唖然としたままに外に出てみれば世界が変わっていた、としか表現できない風景。いや、景色そのものは変化がないのだか、曇った空に加えて地面がかすかに揺れているせいか、空気がおかしかった。しばらくすれば雪も降り出して、いやぁ、あの日は忘れられないな。 それから2ヶ月ほどでその職場を退職し、関西は大阪までやってきた。周囲には震災の影響とか賃金が低いだとかで適当に言ってはいるものの、実際はもうちょっと個人的な理由があったのだが、ここでは関係ないので割愛する。 あれからすでに、2年と半年が過ぎようとしているのか。いろいろなことが、本当にいろいろなことがあったような。―言うほどあっただろうか。いや、あったのだろう、ある時期からほとんど同じ日常を過ごすようになり、年単位の時間がまるで1日の出来事だったような、そんな感覚。 その中で、やはり欠かせないのは食事だっただろう。冷しゃぶも食べたし、焼肉も食べた。春キャベツや新たまねぎもおいしかったし、トップバリューのインスタントラーメンは味はそこそこだが5袋198円と低コストで素晴らしかった。 それで、最近の主食の話になるのだが。 今日も近所のスーパーで、JCBのギフトカードを使って購入してきたのだが。ずばり、そうめんである。 調理時間もごくわずか、お湯さえ沸かして放り込み、キッチンタイマーの時間を2分くらいにセットしてボタンを押す。アラームがなれば麺をざるにあげ。大して冷たくもない水道水にさらしてから氷水に入れてしめる。みょうがなどの薬味を適当に選んできざみ、めんつゆをキンキンに冷やした冷水で薄めれば、ほら完成。つるっとしたのど越しがたまらない。夏といえばこれ。お盆くらいからしばらく食べ続けているが、うん。おいしい。 先ほども書いたが、今はすでに10月である。窓の外に見える水田の稲穂が首を垂れて、今日明日にでもまっさら坊主になりそうな、そんな季節である。にもかかわらず、いまだにそうめんを食べ続けている理由といえば、それは生活費以外にないだろう。 生活費が少ないのにはいろいろと理由があるのだが、例えばゲームソフトを購入したり、最近お熱のソーシャルゲームのガチャをまわすために身を削ったり、そういったいろいろな理由があるのだが。娯楽に使うお金というものは、はじめから消えてなくなるものとして考えるために後悔もなにもないのだが。コンビニに寄るのが一番の浪費だろう。ついつい買ってしまうんだよね、昔面白かったと記憶しているが内容を思い出せない漫画の復刻版とか。 250g100円のそうめんを4つ購入。1kgだ。400円だ。すでに薬味など底をついた。私に残されたのは2倍濃縮のめんつゆとそうめん、それからなけなしのギフトカードで購入した10個入り卵1パックだ。それで15日の給料日まで耐え忍ばなければならない。財布には、すでに100円玉すら存在しない。クレジットカードも限度ギリギリだ。だが私には、このそうめんがついている。いつの日か、遠い栃木の地に出張に出ていたときに上長に言われた言葉が頭をよぎる。若いうちに栄養を偏らせると、年をとってから一気に来る、と。だがそれがどうした。そのときはそのときだ。そのときが来るまで私は食べ続ける。なんならうーめんにしたっていいのだ。冷やして食べるなど誰が決めた、いや、誰も決めていない。買ってきたそうめんをどう食べるか、それは私が決めるのだ。 幸か不幸か、仕事の都合で今は3組2交代、4勤2休で昼夜交代で働いているため給料は多い。多いのに金欠になるというのは、ひとえに私の浪費癖のせいなのだが、その給料を手にする日まで、私は決して倒れたりはしない。 しかし… わたしは、本当にこの食事を楽しんでいるのだろうか。 どんぶり一杯に盛られたそうめんをすすりながら、窓の外を見てみれば、漆黒だった空にわずかに青が混ざり始めている。 今日も仕事だ。いかねばならぬ。それがたとえ単純作業の繰り返しであったとしても、働かなければ生きてはいけぬ。そうして掴んだ給料で、私はきっと、月に一度の贅沢と称し、もはや見慣れたうどん屋で、とろ玉冷やし大盛りで、と注文し、途中でいくつもてんぷらをとり、一人ひっそりと微笑を浮かべながら幸せなときをすごしてみせるのだ。 |