01. 日々の昼飯、カップラーメン ―― [今日のご飯] |
投稿者/jojogaraba 更新日/2010/03/26 01:40:09
この食事語らずして、我が食事語れず。
そう言わんというほど、ここ数年の昼飯となっているカップラーメン。 いかにして、カップラーメンをおいしく食べるか。 さっそく取り掛かろう。 いかなるカップラーメンでも、そのパッケージデザインは多々あり、シンプルな商品名のみ、イメージ画像が背景になっている、パッケージからは想像もできないようなタイトルなど、実に愉快である。 コンビニやスーパーなどではコーナーとして成り立つほどに多くの種類が発売されており、私もいったいどれを食べようか迷うことが多い。 だが、食欲がおさまることはない。 この湧き上がる欲望を満たしたい。 お湯が沸く数分間の我慢があろうとも、その先に待つ至福の瞬間を思い描けばなんのその。 湧き上がる湯気。 適度に柔らかくなった薬味たち。 その下に待つ、早く食べてくれと言わんばかりに、今にも踊りだしそうな麺、麺、麺! その周囲は、注がれたお湯によって本来の力を取り戻し、一度麺を取り上げようものなら「俺たちも共に行こう…」と絡みに絡むスープ。 一滴たりとも、滴らせるのはもったいない。 熱も引かぬまま、ゾルゾルーっと麺を吸いたてる。 うおおおおおお、これこそが私が求めていた瞬間! 噛め、噛むほどに麺ははち切れ、スープは広がり、時折流れ込む薬味は程よく味を調え、私を導く! そう、カップラーメンは、食すものを楽園へと導く食品なのだ! そうなればもう止まらない。 箸と麺は止め処なく流れる川のように、スープの煌きはどこまでも広がる稲穂の如し。その二つは口という残酷な空間によってその姿を瞬く間に変え、あっという間に虚空へと消え去る。 是非も無し、ああ、そうだ、所詮は食品、人により生み出され、人によって帰される。だが、この短い調理時間と少ない準備があれば瞬時に至福へと導いてくれるカップラーメンを、どうして美味しく食べられないというのか! もう、もう我慢できない。 三分も待っていられるか、一分半過ぎたくらいが我が最高の瞬間を迎えるのだ。食べるうちに一分も二分も過ぎるのに、食べる前から三分も待っていたら食べ終わる頃には麺は伸び、スープは冷め、食後気分も台無しだ!堪能するには三分も待つ必要はない!俺は食うぞ!今食うぞ!誰にも邪魔させるものかああああ!! …こうして、日々の昼飯がカップラーメンだとしても幸せな時間が過ごせるのだ。 食事にとって大切なものは何か。 もちろん、栄養も大事だし、熱量も大事だ。 だがしかし、人間には、時に身体的なそれらを上回る精神力というものがある。 食事により、その先に待つ困難へと立ち向かう精神力を取り入れることこそ、私が大切にしたいものである。 いざ行かん、更なる境地を目指して… |