九月三〇日、水曜日の話
予定通りではある

 二五歳で現在の仕事を辞めて別の仕事に就くって言うのは、大学卒行事に考えた予定通りであると言える。しかし、意外と負担が大きいぞこれ……。

[◆]仕事を辞めるに当たって

 会社とは組織である。その昔ならば会社とは家族のようなもの、という風に捉えられていたかも知れないが、そんなものは幻想に過ぎず、アットホームな場所など存在しない事はもはや周知の事実である。企業は大きくなればなるほど、機転が来ればリストラを行い、アットホームな場所は波を捌き切れずに潰される。どこもかしこも青息吐息で働いているのが現状で、しかも楽になるかどうかは自分のところとは関係ない「景気」ってやつで助かるか助からないかが決まるときたもんだ。そんな不安定な環境の中では、不要なものを持ち続ける事はできない。会社は組織として、枝の切り落としを図ることとなる。

 てなわけで、まさしく末端の人間である僕は切られることになったわけだが、仕事をしなくてもよくなって気が楽になる反面、日々何をして過ごしたらいいのか良く分からなくなるような、喪失感を味わっている。この日が来ることを望んでいたはずなのに、いざ目の前にすると扱いに困る。

 次がない。遊ぶだけの日々を送るということにはなりそうにないが、どのように生活していけばいいのだろうか。まあ、実践で学ぶしかないのだろうが……。ニートにだけはなりたくないものである。しばらくは貯蓄で何とかなりそうだが、そんなに持たないだろう。多分。何か問題が発生すれば、一気に消費されてしまうようなものでしかない。

 二年間と半年働いて、分かったのは自分の頭の程度ぐらいだろうか。あれこれやってきたつもりではあるが、そんなに出来のいい頭ではない事は手に取るように分かる。何をするにしても詰めが甘く、行動は遅く、体力がなくて休憩がたくさん必要になる。生産性は多分、普通の人よりも低いだろう。仕事よりも自分を優先しているもんだからそういうことになるのはわかっているのだが……そう考えると、仕事より自分を優先するほうが正しい気がする。生きるためには働かなくてはならないが、では何のために生きているのだろう。働くために生きているわけじゃないのは確実だがね。

 そう考えると、この二年間、僕が得たのは社会適用技能とコンピューター技能だけだったのかもしれない。自分の外見ばかりが育って、中身はほとんど変わっていない。出来ることは増えたがそれは道具に頼っての話でしかなく、道具を持たずして自分に何が出来るのかというと、おそらくは大学卒業時から何も変わっていない。この二年間と半年、僕は自分磨きに失敗したのだ。

 しばらく、ぼんやりしたい。

[◆]涼宮ハルヒのジャズ雑談らじおについて

 僕が無色になりそうなことをすぐに報告したのは三箇所ある。ひとつはうちの大学の先生。就職活動に有利な伝があるため。早くに連絡しておくに越したことはない。ひとつは親友のイチノイカズイ殿。カズイ殿にも早急な連絡が必要だった。理由は親友だからである。そしてもうひとつが涼宮ハルヒのジャズ雑談らじおのスレッドだったのだが……本気にされなかったのかわからないが、誰も反応してくれなかった。麻雀の方が大切らしい。

 なんとなく把握はしていたが、ハルジャズスレにとって僕はもういらない人間らしい。何回も書いている気がするが仕方のないことだろう。就職してからほとんど会話に参加していないのだから。ラグナロクオンラインの場合でも似たような感触を持ったが、本当にネットの繋がりっていうのは脆弱なものだなと思う。常に接続し続けていなければ存在しないのとほぼ同等の扱いを受けるのである。

 僕が大学生のときは常に接続できていたから楽しいものだった。しかし、今のような状態では書き込んでも書き込んだことを後悔するような有様だ。反応してくれというのは傲慢なのだろうと思うが、接続する機会がほとんどないからこそ何か反応がほしかった。まさしく、自分という人間がどれほどちっぽけな存在でしかないかを見せ付けられる。常に興味を持ってもらえるような人間ではない、ということだ。

 今でもわからないと言うのに、無職になった後、どの面を下げてスレに書き込めばいいのかわからない。本当に……。


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