八月二五日、火曜日の話
世界群歩行者達について

 世界群歩行者達とは何か? 改めて考えを述べる。

[◆]世界群歩行者達とは何か

 世界群歩行者達とは僕が提唱している、現在はおとぎの世界の組織の名称である。僕が提唱していながらどういう組織であるか説明しきれない部分も多い。基本的に根がないので具体性を欠く。何度考えても説明が曖昧であったり足りなかったりする。

 では説明を試みよう。

 世界群歩行者達とは、現在は一つの生活形式を遵守する共同体の名称である。その生活形式とは食料を自給自足する社会主義と発展を目指す資本主義の混合社会であり、既存の資本主義のみの社会から脱却を図るものである。一から十まで資本主義では能力いかんによって生活の余裕が変わってくる。かと言って一から十まで社会主義では社会が発展しない。資本主義と社会主義は非常に仲の悪い関係にあるが、折り合いをつければ社会の発展がゆっくりになろうとも人の心にゆとりが増えるだろう。

 具体的には一日のうちの一定の時間を食料の自給自足のために全員が規律を守って働き、また一定の時間を全員がそれぞれやりたいことをやって過ごす。功績があれば貨幣が支払われ、多くの貨幣を所持しているのであれば人を雇い、更なる功績を目指す。もちろん、功績を目指すことなく慎ましくも生活を送ることできる。食料を自給自足する活動に参加していれば、一日の食料は支給される。これが基本的な生活形式である。

 問題はある。単純なところでは何かしら身体的障害を持ち、活動できない場合の食料の支給はどうするのか。日本と同じように組織内の高齢化が進めば食料の供給ができなくなる。この生活形式には広い土地の確保が必要不可欠である。土地の確保が困難な場合、崩壊する危険がある。既存の社会から脱却するにしても、既存社会から恩恵を受けずに済ませるのは実質的に不可能である。外交を行なう必要があるが、外交できるだけの資源を確保できるのか。

 資本主義と社会主義の混合型社会であることはゆとりを持ちつつ発展する上では有効な形であると思う。大抵の国では資本主義と言いつつも混合型を取っているのでうまく行っている。日本の場合は基本は資本主義であるが、収入がなくても生活保護で生きていくことが出来る。国民全員の収入の一部を税として確保し、再配分している形だ。これは社会主義の形である。ただ問題は、働けるのに働かず再配分の恩恵を享受して怠けている輩の存在だろう。国の財政が困難になっているのは不正受給者が多数、存在するためだと思われる。再配分がなくなれば折り合いがつくはずだ。無駄遣いの問題もあるけど。

[◆]ちょっと脱線 生活保護について

 生活保護とは、何らかの本人の意思とは関係ない障害のために収入がない人を救済するためのものである。財源は国民からの税金である。つまり、働ける人が働けない人を背負うわけだ。現在、生活保護にはいくつかの問題がある。働けないのではなく働かない人まで救済していたり、逆に働けない人を働かない人であると認識して救済されなかったり、働いている人よりも優遇されていたりとした問題である。

 これらの問題は一つの文言が原因になっている。「文化人として最低水準の生活を保障する」。この最低水準がどの程度の事を指すのかで議論が交わされており、現在、この水準が働いている人の収入を上回ってしまっているわけだ。そして、どういうわけか水準が下げられない。生活保護費が増えていけば税率を上げざるを得ず、働いている人への負担は増える一方になる。

 単純に税金で集まった分を再配分すれば言いだけだと思うのだが、それだと最低水準を割ってしまって具合が悪くなるらしい。悪くしとけよ、というのは僕の勝手な意見であるが、実際問題、税金を再配分するという原理がおざなりにされているような気がするよ。税金が足りなくなったら税率を上げればいい、じゃなくて再配分率を下げるという選択は取れないもんだろうか。最低水準? 税金が減っているって言う事は最低水準も下がってしまうんだよ。贅沢したかったら働け。

 ただし、贅沢したかったら働けというのは、働いたならば生活保護を受けるよりも贅沢できることが前提である。税収が減れば生活保護水準も低くなると考えればこの前提は崩れないはずだが……。悪徳業者から如何に国民を守るか、も考えなければならないことを考えると、なかなか大変だ。

[◆]世界群歩行者達とは何か その2

 世界群歩行者達とは共同体組織の名称である、と述べたが、組織名というよりは生活形式の名称として認識したほうが分かりやすいかもしれない。

 世界群歩行者達とは、生活のゆとりを社会主義に、社会の発展を資本主義に求めた主義混合社会のことである。

 こんな一言で綺麗にまとめられるほど簡単なものじゃないのは間違いないが、簡単な説明としてはこれでいいだろう。この形式は資本主義一本社会ほど発展せず恩恵にあずかれないし、社会主義一本社会ほど格差は埋まらずゆとりはない。ただし、資本主義一本社会ほど格差は広がらずゆとりが持て、社会主義一本社会ほど貧困にあえがず贅沢ができる。ある程度我慢しなきゃならないが、ある程度楽しめる。バランスが取れるはずだ。

 間違ってはいけないのは、あくまでバランスが取れるだけで良いとも悪いとも言えない所だろう。発展を急ぐなら資本主義一本のほうがいいし、ゆとりがいるなら社会主義一本のほうがいい。どれが良いかは個々人で判断するしかない。あと、ここまで言っていてなんですが、この考え方自体間違っている可能性がある。

 なにはともあれ、現在は机上の空論である。現実にこの生活形式を実践できなければ意味はない。まずは資金をためて田舎に土地を購入し、自活できるようにしないと。まずはそこ、だね。


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