二月二五日、水曜日の話
やりたい事は入植?

 僕がやりたい事は入植か……もしくは開拓である。

[◆]人がいない場所で生活すること

 僕がやりたいことと言えば、人がいないところで自由に開拓を行い、生活をすることである。とは言え、パソコンとネットワークを使ってプログラム開発等もしたいため、完全な未開の地の中から出発する事はできないのであるが(せめて発電できればね。流れの急な川、出来れば滝があれば水力発電できるだろうが)、人のほとんどいないところで焚き火をしつつ過ごすのが夢だ。出来れば野菜を作り狩りをして生活し、食料があまっているようなら行くあてのない人に分け与えたいものである。

 と、ここまでは無害な部分であるが、僕の場合は自身の体の鍛錬と武力の確立を実行したい。要するに、自立型武装集団の形成(一人〜)である。人がいない場所でやるのは訓練をするためであり、対人武器を振り回しても文句言われない場所を確保するためである。まあ、本当に文句言われないようにしたかったらそもそも日本国内でやることは出来ないのであるが、大集団になる頃には国外演習場を持っておきたいところだ。まさに中二病。だがそれがいい。

 しかしよく考えると、入植って言うのは人を運ぶだけなんだよなぁ。その労力は計り知れないものがある事は間違いないのだが、僕の目的とはちょっとずれてるな。入植と言うのは違うか。開拓は近いものがあるけれども、やはり違うような気がする。

 とりあえず、できることを増やしていかねば。

[◆]本来、男より女が多いのが正しいのではないか

 生物界においては大抵の場合、雄よりも雌のほうが強い。そして、雄の役割と言ったらひたすら子孫を残すことにあったりするわけで、わかりやすい昆虫で言ったら一体の雄が複数の雌に対して精子を渡すのが通例である。雄と雄が近くにいれば雌の奪い合いになり、お互いに殴り合うか殺し合うか雌を攫い合うかだ。

 人間の場合、本能よりも理性が強く働いているので分かりにくくなっているかもだけれども、戦争と言ったら本来は男同士の争いだった。片方が負ければ勝ったほうは負けた側の資産及び女をあさりまくったのである。ちなみに、人間でそういうことをした代表の一人がチンギスハーンだったりするらしい。アジアの人間のY染色体をたどっていくとかなりの人間の祖先にハーンに当たるとか。戦争しまくって勝ちまくって美女を献上させまくったらしいので。

 僕が幼い頃、アメリカの映画で争いを生み続ける男を消し去った時代のSF映画があった。男がいないせいで子孫を作ることが出来ず、遺伝子研究で男を復活させようと試みたりしていたわけであるが、最終的にタイムマシンで過去から男(三人悪役、一人良役)を連れてきて精子を回収したものの悪役が持っていた殺人ウィルスをばら撒かれてうんぬん、最終的に悪役は死んで良役の男と遺伝子研究で作り変えられた男たちが新しい人類を作り始めたとかそういう話。

 映画内容はともかく、男が争いを作り続けたという部分は正しいだろうと思う。結果として女は奪われるものになっていたわけで、心底たまったものではないだろう。男は争うものである。

 ゆえに男は強くあらねばならなかった。殺し合いを勝ち抜くために争い、負けたものはこの世を去る。男の数は小数になるのが生き物として正しいのではないだろうか。男が少なければ争いも戦争もない。勝ち上がったゆえの少人数はつまり精鋭であり、より優秀な生物を生み出すことになる。

 もしもそんな世の中であれば、僕ももう少しは楽を出来ただろう。とっくに死んでいる。少なくともこんな風にパソコンの前で風邪引いたかも、と思いつつプログラムを組んでいることはない。つまり、今回の話の要は早く帰りてーと言う僕の心情なわけで何でやりたくもない仕事に従事せねばならないのか、つーか早く会社潰れてくれよ不景気なんだからと思うこともしばしば。たぶん睡眠時間が足りないことによる気疲れだと思います。

 世の中、思い通りにならないことなんてたっくさんある。お腹へってもすぐにはカレーを食べに行けない訳ですよ、あー、もっと頭が良かったらなぁ。「頭いいねぇ」とか「頭いいくせに」とか過去に言われた事はあるけれども、何をもってして彼らは僕の頭がいいと判断したのであろう。

 あー、山間に隠居して焚き火の傍で居眠りしていたい。頭痛いよ、本当。