一月一四日、水曜日の話
ぼへー

 あー、何にも思い浮かばんやー。

[◆]指が動かない

 ここ数日は少し気が楽になっている状態でやや気が緩んでいる。それでも午後八時や九時に会社を出れるわけではないのだけれども。あー頭痛い。ちょっと三日ほど休みたい。睡眠が足りない気がする。

 で、この小一時間ほど、パソコンに向かったまま何もしてない。はたから見れば何か作業しているように見えるのかもしれないが、実質何も進展してない。次に何をするべきか、プログラムを目の前にして分からないせいだ。分からないって言うか、根本的に何をすればいいのか指針となるものが解らない訳ではなく、何をするべきか解っているのだけれどもそれを実行する方法が思い浮かばない。前にもあった、親子どんぶりを目の前にしてどのように食べたらいいのか解らなくなるって言うのに似ている感触がある。つまりは、眠いのか。具体的な眠さは感じていないが、頭の二割ぐらいが寝ている感じがある。多分、仕事に必要な部分が寝てしまっているのだろう。

 起こす方法? ちゃんと睡眠取って勝手に寝ないようにするしかないんじゃないかな?

[◆]単なる人数あわせでしかないと言うこと

 ソフトウェアを作るって言うのは物作りである、と思われる。形がないにしろ、パソコンを通さなければならないにしろ、誰かが作らないと存在しないものである。では、実際に僕がしているのは物作りなのだろうか。そんな感じがまったくしない。あるのは量産品を流れ作業で生産しているだけと言う感じだ。事実、その通りである。

 ソフトウェア企業にとって必要なのは自発的にプログラムを作る人材ではない。客から聞き取った要望を元にして作られた設計図どおりにキーボードを叩く単なる作業員である。自発性なんか邪魔なものでしかなく、そんなものよりもチームワークを大切にすることが求められる。より大きなものを作るために。

 これはソフトウェア企業に限ったことではあるまい。企業と言うのは、自発性を捨てて作業員になった人たちの力を使ってより大きいものを作っているところなのである。内包する単なる作業員の数が増えれば増えるほど、より大きな仕事ができるわけだ。ここ最近まで日本は単なる作業員の量産に成功していた。単なる作業員でも十分に見返りが有った時代だったからって言うのもあるだろう。見返りがあったからこそ子供たちにもそのように教育が施されたわけだ。

 今の時代、単なる作業員で満足できる見返りがあるかと問われたら、十人に七人は「ない」と答えるだろう。派遣社員の皆さんが幸せそうに見えますか。正社員ですら辛酸なめまくっているのに。こうなると仕事したくない人が増えてきたって仕方ないだろう。むしろ、仕事しないほうが豊かに見えてしまう世の中である。仕事離れは余計に増える。この辺の現象に関しては政治とか関係ないんじゃないかなぁ。個人資産の問題のような気がするし。

 さて、単なる作業員が駄目なら何があると言えば、個々人でばらばらに創造的な仕事をやるのがいいのだろう。企業みたいにでっかいものは作れなくはなるが、そんなものは必要になれば作るだけって話になるんじゃないだろうか。今までが一箇所に寄り集まりすぎたのだと思う。戦争の傷も癒えて集まっている必要はなくなったのではないだろうか。

 じゃあ、さっさと仕事を辞めて一人で金稼いでみろって言うんだ。口だけの無能が。