十二月一六日、火曜日の話
遺書

 先に遺書を書いておこう。

[◆]遺書(条件付)

本遺書の前提
 この遺書を書いた僕、(本名)は以下の前提を持って遺書を書いてある。

 僕自身に自殺、他殺問わず人的要因を持って死ぬ気はない。突発的な事故死や病死、災害発生時の救援遅延による死亡は已むなしとしても、自殺する気もなければ殺される気もない。

本文
 この遺書は僕が死亡した際、以下の条件に当てはまった場合に効力を持つものとする。

・就労していて配偶者がいなくて過労死や事故死やしたくも無い自殺をした場合
 全部(うちの会社名)が悪い。無茶な仕事を取り、キャンセルもしない(社長の名前)社長が悪い。賠償金や慰謝料、ついでに未払いの残業代も全て社長に請求すること。できれば叩き潰して欲しい。搾り取ったお金は訴訟を起こした人に四分の三、四分の一は僕の友人の(イチノイカズイ殿)に必ず譲渡する。

・就労していて配偶者がいて過労死や事故死やしたくも無い自殺をした場合
 賠償金や慰謝料、未払いの残業代も全て社長に請求すること。搾り取ったお金は訴訟を起こした人に半分、四分の一は配偶者へ、残りの四分の一は(イチノイカズイ殿)に譲渡する。

・就労していなくて収入もなく、配偶者がいない状態で死亡した場合
 僕が悪い。処分できるものがあれば処分して、全て(イチノイカズイ殿)に譲渡する。僕の親が存命中の場合でも、全て(イチノイカズイ殿)へ譲渡する。何が悲しゅうて僕より数十歳年上の人間に財産残さなきゃならないのか。旧世代は滅べ。僕の葬式、墓石等は必要ないのでやっすい方法で死体を処分して余った骨は犬にでも上げること。海や山や富士の樹海やゴミ処分場辺りに捨てるのもよし。

・就労していなくて収入もなく、配偶者がいる状態で死亡した場合
 処分できる財産は全て配偶者に渡すものとする。

・就労していなくて収入があり、配偶者がいない状態で死亡した場合
 そこそこ満足できる人生です。別に誰も恨まない。財産の四分の三を(イチノイカズイ殿)に譲渡する。残りは親族で適当に処分していただけたらいい。僕の葬式、墓石等は僕にとっては必要ない。神は存在せず、浄土も天国も存在しないし、あったとしてもそんなところに行く気はない。僕の欲しいものは僕が生きてきたこの世界の中にしか存在しない。

・就労していなくて収入があり、配偶者がいる状態で死亡した場合
 満足できる人生です。財産の半分を配偶者に、残り半分を(イチノイカズイ殿)に譲渡する。僕の葬式、墓石等は僕にとっては必要ない。

補足的駄文
 今を生きる旧世代はいい時代に生きたと言える。なにしろ、今の旧世代にとっての旧世代となるはずだった連中は戦争で死に、今の旧世代の上に乗っかる奴がいなかったのだから。今の旧世代はいいよな、下で支えてくれる連中がいるんだから。フリーターやニートが増えたらそりゃ困るだろうな? 自分達を支えてくれる連中が実質的にいなくなるんだから。もしも若者だらけならフリーターやニートなんて存在していないだろう。自分達で動かなければ何も得られないのだから。高度経済成長期なんていうものは、つまりそういう時代だった。若者しかいなかったからこそ実現できたってことだ。今、老人がいなくなれば高度経済成長期は再びやってくることだろう。そして三〇年が過ぎればまた今と同じ状態に戻ってくるに違いない。

 若者が無駄にされる時代と若者が生きる時代が存在する。今は若者が無駄にされる時代。ちなみに、二つの状態があるからと言って交互に来るのかと言えば僕には分からない。旧世代なんぞ滅んでくれて構わないのだが、連中はしぶといだろうから。それは将来的に旧世代となる今の新世代にも言えることではある。

 日本の問題点は開拓精神が薄いことだろう。今いる場所が窮屈なら新しい場所に行けばいいのだ。けれども、新しい場所には何もなさすぎて出て行くことをためらう人間が多い。ためらった結果、待っているのは喜びも満足もない緩やかな滅びか。例え急激に滅ぶことになろうとも、本来は喜びと満足を求めて新しい場所へと行かねばならない。それが生き物として当たり前の行動だ。

 日本はそうならないように若者を教育することに成功した。他の場所では何の役にも立たない教育ばかりを与え、適度に娯楽を与えて満足感を与え、何も無い場所に対する恐怖感を作り出し、上に従っていれば苦しむことなく生きていけるとまくし立てた。若者の個々人がばらばらに生きてきた時代はそれで十分だった。今はそうではない。良かれと生み出した技術が若者達をつなげ、今の社会はおかしいと若者が感じるようになった。旧世代の発する情報は若者の間で吟味され、おかしいところがあればすぐに発言され、不利益をこうむると判断されれば誰も受け取らない。旧世代はそれが常態化することを恐れて携帯やインターネットを規制しようとしているが、もはや時代は進んでしまって制御できなくなってきているらしい。大手新聞社にももうすぐ倒産するところが現れるだろう。

 ともあれ、今はまだ新世代の潜在能力が発揮されない状態にある。彼らが心から満足できる場を造り上げることが出来れば、彼らは遺憾なく自分達の力を発揮するだろう。そして忠告。新世代が満足できる場は新世代にしか作れない。旧世代がどう努力しようが新世代が心から満足できる場など作れはしない。作れていたらとっくにできあがっとるわ。

 そんな場を作るには潜在能力があるとは言え、多大な苦労を伴う。誰かが自分の人生をかけて走り出す必要がある。僕はそんな人間になりたかった。死んでしまったのは無念だし、時代を見届けられなかったのは残念である。

[◆]状況は強烈に悪い

 さて遺書も書いたところで状況を説明しておこう。強烈に悪い。もはや、悪意を持って無茶な仕事を回しているんじゃないかと思うぐらいだ。プログラムの設計書は理解するのに二時間は掛かり、別のプログラムの設計書を見ないと全容が把握できないものも多い。大体からしてやりたいことがよく分からないのだ。用意されているデータベースは不整合だらけで整合性を取るのに散々工夫を凝らさねばならず、欲しいデータを得るだけで一時間は掛かる。これが複数の条件と組み合わされば一日仕事になってしまう。そして納期は今月末。もはや来週も再来週も土日の休みはなしだ。社長は今回の仕事の依頼主と電話で一時間以上もけんか腰だし、今回の仕事の責任を持っている上司はわめき出さないのが不思議なぐらいだ。今のところは声がめちゃくちゃとがっているに留まっている。しかも、仕事はこれだけじゃないのがこの仕事のほかに三社を相手に取引続行中だ。痛すぎる。近いうちに多分倒れる。

 つーか、社長の電話、さっきから同じことばかり繰り返している。多分、依頼主が同じことばかり繰り返しているのだろう。仕事が遅い、お前のところが悪いんじゃないか、責任はどうするんだ。そんなところだろう。どうやら、今回の仕事のツケは八割がたこっちに回ってくるようだ。下手すると九割。僕の予想では十割を行ってもおかしくなさげ。

 今回の仕事は流石に駄目かもしれない。フル稼働しても間に合いそうに無い。全ての仕様書が出揃ったの自体も先週の末だよ。しかも、最初に約束していたプログラムの数がいつの間にか増えてるとか。仕様書は数を追うごとにどんどん適当になっていく。コピペしてれば給料出るってか。すばらしい仕事だな。

 さらに言えば使っているプログラム言語にも相当問題がある。ASP.NET。マイクロソフトが提供している Windows 似備え付けられたフレームワークっていうプログラムを利用して C 言語や VB で書かれたプログラムの違いを柔軟に吸収し云々かんぬん。つまりはプログラム言語の垣根を越えて最終的には同じものを作り出せるという新技術である。言葉に書いてて何が新しいねんと言いたいが、新しいのだから仕方ない。要するに、過去にいろんなところで生み出されたプログラム言語を学んだそれぞれの技術者たちの技術を統合しようとする試みである。

 無造作に分岐している技術者達をまとめようとする姿勢は可もなく不可もなくというところで僕としてはあまり魅力とも映らないのであるが。だって、所詮 Windows でしか動かないし。今後は Liunx に移行していくだろうし、Windows でしか動かないものを学んでも仕方ない。ほとんど、新しいものを学ぶことが出来なくなった人用の言語じゃないかなと思う節もある。技術者の表現力を統一する必要に迫られたのはそういうことだろう。

 で。このASP.NET、非常に使いにくい。確かに便利な機能がたくさんある。簡単にウェブアプリを作ることが出来るだろう。しかし、簡単に作ることができるようになったおかげでブラックボックス化してしまっている機能も多い。中でどんな処理しているのか分からないものが多いのだ。ゆえに問題が起きた時にどうやったら解決できるのか、すぐに分からない場合が多い。しかも、新しいと言いつつ、実際に生成されたページを見てみれば JavaScript だらけだったりで結局は今まで使っていたものを複雑化させただけとかひどいものに仕上がってしまっている。もしも僕が仕事の責任者であれば、ASP.NETなんか使う気を起こさないだろう。遊ぶ暇も無いのに新技術獲得なんかやってられるか。新技術の獲得は余暇にやるもんだぜ。

 今も ASP.NET だから起きるのだろう問題に頭を悩ませている。どうやったら問題を回避できるのか? 答えは ASP.NET の機能を使わないことだったりするのであるが、今回の仕事の方針として ASP.NET の技術を使うことになっているのである。あほらしい。

 僕の日記を読んでいる人は大方感じているだろうが、ここ数日の僕の日記はやたらと長い。つまり、書き上げるのに時間が掛かっている。二時間はかけているだろう。どの道、夜の自由一時まで仕事しているのだ。労働時間は十三時間で労働基準法を五時間も越え、しかも残業代も出ないとなればこれぐらいしたって罰は当たるまい。上の人の怒りは買うだろうがな。もうどうでもいい。


 今回の仕事は会社全体として乗り越えられそうにない。責任の擦り合いが始まろうとしているので、末期も近いというところだろう。誰かが責任を持たなければならないが、うちの会社に押し付けられることになりそうだ。来年には晴れて無職かねぇ。

 年賀状買ったけど、今年は出せるかなぁ……。