十二月 九日、火曜日の話
あー、大変

 ここ数日の自分の労働時間に苦笑だ。

[◆]忙しくなる一方の労働環境

 ここ数日間働き通しだが、状況は去年よりも相当ひどいと言えるだろう。確かにこの時期は新しいシステムへの移行を進めるお客さんからの仕事をするために忙しくなるものであることは分かる。しかし、今年は去年より厳しい事は分かる。

 なんともすれば、働き手が足りないのだ。プログラムを作る人が一人減った。それ以前から作り手がいないと言う事は囁かれてはいるのだが、仕事量の割りに作り手がいないことが各人の労働時間の引き延ばしに直結している。一人で二人分、下手すると三人分、休みも無しで四人分だ。そりゃみんな会社辞めるわ……となりそうなところが、実際になっていないのは年功序列システムにあるらしい。

 うちの会社の話から現在の社会状況に飛ぶのであるが、「若者はなぜ三年で仕事を辞めるのか」という新書によれば、現在、若い人がすぐに辞めるのは確かに忍耐力の低下やわがままぶりの向上も理由にはなるが、実際には現実の稼ぎが少なくなっている中で四十台以上の従業員の既得利権を護るために、ひたすら若い従業員にコスト削減を迫ったというのがどこの会社にもあるらしい。これがバブル崩壊後の就職氷河期の実態で、バブル期に人を取りすぎた企業が景気が過ぎ去って門を閉め、さらに入社している人間でも若い部類を締め上げることによって何とか上層部の利益を護った。年功序列システムは九〇年代には崩壊し、新しく導入された成果主義は、経験の無い若手が成果を出すことは難しく経験ある人ばかりが成果をあげ、上層部は成果などは関係なく、結局のところ壊れた年功序列システムを引き継ぐものでしかなかった。

 年功序列システムが崩壊して定期昇給は無くなり、会社は従業員に対してキャリアを与えてくれなくなり、年二回の賞与どころか退職金も無くなっていく。しかし上の人間の収入は変わらない。しわ寄せは若い人間のところにばかりに寄って行き若者は気力も夢も将来も奪われて会社を去っていく。やがては保険も賞与も退職金も要らない派遣社員が利用されるようになったが、彼らはほとんどが短期間労働者であり会社が培ったノウハウを受け継げるものではなく、気がついたら若手は派遣社員ばかりで正社員がいない。ノウハウは受け継がれず上層部は己の利益を護ることに固執し、やがて会社は老衰死する、と。新書ではそのように語られているが、まあ老衰死が始まるのは五十年後かそこらだろうから、僕が生きているうちにお目にかかれるかどうかは微妙だ。

 新書については「三年で辞めた若者はどこへ行ったのか」「若者は今、何をしているのか」のような本をさらに読む予定なのでいろいろと考えることが多くなりそうだ。

 うちの会社の話に戻ると、うちの会社の場合は社長も含めて全員が作り手であるが、四十台未満が三人しかいないと言う空白っぷりである。ここ最近ほかの人の呟きを拾えば昔は若い人はいたらしいのだが、みんな辞めてしまった。理由は不明。多分リストラされたのだろう。今いる人たちはどうも最古参に連なる人たちのようなので、つまりは上の人たちだけが残って若い人たちはみんな切られたわけだ。先の話とがっちり合致する。

 最近の状況を踏まえると働いていない人もしくは失業者の大半は若い世代だ。既存の会社において若い人を受け入れないと言うならば若い人だけで会社を作ることが出来ればまだ活路はありそうである。ただし、どんな会社を作るにしろ、やはり既にある会社が利権を抑えているので経営は相当厳しいことになるだろう。年配の連中が上から押さえつけているわけだ。ますます持ってして若い世代に辛い世の中なわけで、そうなると少子化が進むのは歴然としている。強制的に五十歳あたりで定年退職させなきゃ若い世代が育つことはなさそうだ。もしくは、年配の世代人口を減らさなければどうしようもない。ま、死ねという訳にも行かないのでとても残念なことではあるが、五十年後、何とか生まれてきた若い世代でがんばって欲しい。僕らの世代じゃもはや結婚すら難しいのだから。

 とはいえ、気をつけないといけない。もう少し先の、まだ生まれてもいない若い世代にがんばってもらうしかないとは言え、現代の若い世代を中心に病気が広まり始めている。エイズだ。自暴自棄になっている人もいるようなので気をつけないと、数が少ない若者を全滅させかねないと言う危険がある。まぁ、日本人が死滅したところで地球は本日も平和ですってなもんなんだけれども。

 上の世代に下の世代が食い物にされている事は間違いない。年金なんか最高にして最悪の例である。この状況が続く限り、若い世代に活路はなかなか見えてこない。なんとか上の世代の下から抜け出さなくてはならない。これがどれだけ難しいかは、下の世代なら分かるはずだ。元から、僕たちは自分達だけで生きられるように育てられてはいない。上の世代がいてこその下の世代として育てられている。優秀な人でも大企業“に入る”ことが目標として育てられている。決して大企業“を作る”とは教育されていない。

 独力で生きることはできない、と思うように教育を受けてしまっている。大抵、このあたりの呪縛から逃れているのは親がいなかったり特別な資質を持っている人だったりするわけで、大半の人間は想像するに止まることだろう。実行しようとすれば一発変人奇人認定間違い無しだ。辞めさせようとする声轟々、中には脅迫も含まれるだろう。日本は自身の利権を脅かす相手には容赦しない人がたくさんいる社会である。

 で。実際に独力で生きることができないのかと言うと必ずしもそんなことは無いはずなのだ。働いたら分かる。意外に社会って言うのは適当なもので、商売の話で言えば要するに金を払ってくれる人を見つけたらそれで商売成立なのである。難しいのは払ってくれる相手を確保することで、怠けているとあっさり別のところに客を取られてしまう。だからこそみんな必至になるのだが……。

 商売100%でやろうとすると大変しんどい思いをする。客を失うと利益がゼロになるからだ。自分のところの維持を考えればマイナス、つまり赤字になる。客の奪い合いになると新しい会社は強烈に不利な立場に立たされることになる。それをしのいできた企業はまあまああるとは言え、伝手が無い場合は生き残れないと考えていい。

 商売だけで賄おうとする従来のやり方から脱却する必要があると考える。人は会社で生きるにあらず、食べ物を食べて生きているのである。ある程度自分のところで食糧を自給できる体制があることは驚異的な強みとなるだろう。……現代の社会の中で食べ物を自給自足している会社があると言う話は聞いたことがないが、この程度の考えなら大抵の人が考えていることのはずで、実践している会社がないという事は何か障害があるってことになるだろう。「うちの仕事じゃないから」とやってないと言う可能性は大いにあるが、なにかありそうだ。