十一月二三日、日曜日の話
意図せずして紅葉狩り

 いやー、ちょっと散歩するだけだったのに。

[◆]八時間のお散歩

 本日は友人に地元から川沿いを歩いて嵐山まで歩こうと持ちかけ、歩くことになりました。本日はあんまり使ってないカメラも持参しましていろいろと写真を撮りつつ歩くことにします。ただし、カメラの電池が切れているっぽいので途中で買わないと。幸いにも川へと歩けばその方角に大型電気店があります。

 約束は午前十時集合でしたが、服装を選んでいたら遅れてしまった。いや、どの道コートを羽織るのだから大半は見えなくなるんだけれども、胸元から覗く襟とコートの兼ね合いがうまく行かなく。つーか、服装を気にするって僕としては珍しい。差して金かけているわけでもないけれども。

 友人と合流してまずは川へ。そして電気店に行って電池交換。カメラが正常に稼動したことを確認して川沿いの道を嵐山に向かって歩き始めました。途中の風景等をためし撮りしつつ。

 嵐山へと続く川、つまり桂川は第一級河川だけの事はあって大きな川です。土手には軽く運動できる広場や草野球場、畑等がありますが、いやー畑にはいろいろな農作物が育てられているわけで、なかなか見所です。……なんつーか、畑で育てられているキャベツを見たことないやつっていそうだな……。スーパーで売られているように丸い物体そのものがたくさん出来ていると思っている奴もいるかもしれないなぁ。

 農作物を身ながら川を上り、やがては桜の名所の松尾へと至り、松尾大社によってお参りをしました。どうやら今は七五三の時期らしい。振袖姿の子供がとても多かったです。彼ら彼女らが大人になる時にはこの日のことを覚えている事はほぼないでしょうが、大切な区切りであろうと思います。まあ、子供にとってもそうですが、親にとってもね。

 なお、神社への参拝のときの願い事は「ここにいるみんなに幸を」という一つにとどめました。せっかくだしね。――で、それを聞いた友人が「世界平和だな」と応えたので否定しておきました。僕は世界平和なんぞ望みません。どころか、平和そのものを望みません。平和とはぶっちゃけると怠惰な生活を送りたいという願望に過ぎず、いいことではない。ま、常識的に考えて平和になってもそれは一瞬のこと、すぐにあれこれと動かなければならなくなるのが人間社会なので平和であり続けることなんて不可能だと思います。仕事の世界を見てみなさいよ、「危機感がない会社は潰れる」というのが常識ですもんね。一般的な会社において平和なんてありはしない。公務員ぐらいじゃないのかねー、職業的な平和がある程度続くのって。

 ところで、べらべらと書いたあとで申し訳ないが、みんなが言う平和って言うのは、具体的にどのあたりを指してるのかね。「全てにおいて」だったりすると「ありえない」としか応えられないのだが……。「生活において」だとすると先に述べた職業的な観点からやっぱ相当難しい。公務員か田舎の自営農業者か……。サービス業やってて平和はありえないだろうしなぁ。

 松尾で飯を食うかどうか迷ったのであるが、嵐山についてから食べればいいということで、とりあえずたこ焼きを食べて腹ごしらえ。嵐山へと向かう。

 松尾から嵐山までの川沿いには公園が形作られており、非常に歩きやすかった。ところどころ紅葉も見られ、秋を感じることができ……って、なんでところどころなんだよ、緑の葉っぱと赤い葉っぱ、さらには既に枯れている葉っぱが一本の楓の中に共存されてもねぇ。なんという中途半端さか。

 山はぜんぜん色づいていない。確かに赤くなっているところもあるが黄色やら緑やら、実にまだらである。こういうのって、一斉に変わるのが美しさだと思うのだが、それが正しいとすれば今年の山はぜんぜん美しくはない。やはり、いきなり寒くなったことが問題なのであろう。秋のゆっくりした寒さがないとどうにもね……。変に色づいてしまうと他のところがようやく色づいてきた頃には先に色づいていた場所が枯れてしまう。

 この先、もう綺麗な紅葉は見られないかもしれないな……。

 さて嵐山に到着。なんかしらんが、めちゃくちゃ人が多い。渡月橋には左側通行の立て札が立てられ、人は歩道だけでは収まりきれず車道にもあふれている状態。渡月橋より北の府道29号線なんか歩行者天国になってしまっている。人であふれかえっていた。

 友人が貸しボートに乗りたい、とのことで貸しボート乗り場へと行ったのであるが、行列がすごい。ちなみに行列といえば、嵐山にある食事どころ、お土産売店等、全て行列が出来ている。トイレは言わずもがな。人が多すぎる。あとで知ったのだが、今日は紅葉のピークであるという報道がなされているそうな。この程度の紅葉で?

 貸しボートは諦めた。そのまま川を上って上流の紅葉を楽しんだ。写真も取り捲った。フィルム三本を使い切った。まー、紅葉を楽しんだといっても、やはり色づきは悪い。清水寺のほうとかはどうなんだろうねぇ。ボートの上からまた写真を撮ればいい景色が取れたかもだが、少し残念である。また人の少ない時に来るしかないか。

 しばらくは川沿いの細道を歩いていたのであるが、先が長すぎるということで引き返すことに。僕はもう少し歩きたかったが、時刻は二時半、飯も食べることが出来ていない。さらに、別の友人がわざわざ大阪から出てきて合流したいとのメールを寄越してきたので戻ることに。まずは飯である。

 歩いて松尾まで戻る。そこで一〇分ほどまって大阪から出てきた友人と合流し、飯処へ。とりあえずうどんかそばか、で蕎麦どころに入れば「出しがもうなくて温かいものが出来ません」と言われて別の店へ。松尾大社の飯処に行きここで食べられることになった。ちなみに、温かいものが食べられるのは僕らが最後だったらしい。僕らのあとのじいちゃんががっかりしてた。そんな僕が食べたのは京野菜辛味大根おろしそばである。これ、行きしなから食べたかったんだ。

 さて、昼食後、朝から一緒にいた友人は歩き疲れたと言うことで帰ることになり、あとから来た友人と僕はそのまま嵐山へと行くこととなった。時刻は四時を過ぎ、あたりは暗くなり始めている。

 途中、彼が大学を卒業するまで住んでいたと言う家に寄った。現在は実家のご家族も別の場所に引っ越してしまい、今は空き家になっている。売り物件の蓋が掛かっているその場所、彼の持っている鍵を差し込んでみればドアは開いた。既にもぬけの殻の家に対して、そこそこ寂しさを感じるようで。

 嵐山に戻るとそこそこ人は減った感じだけれどもまだまだ多い。とりあえず紅葉を見ながら渡月橋を渡り川北側の道を川を上る方向に歩いて亀山公園へと上り、満喫したところで帰ることになりました。地元まで歩くことを提案したのですが「遠すぎる」とのことで電車で帰ることに。

 そしてそのまま彼は電車に乗って大阪へと帰ってゆき、僕は徒歩で家へと帰りました。家に帰れば午後六時。八時間近く歩いていたことになりますが言うほど疲れてません。電車の中で座っていて、立ち上がったときにやや腰に来るものがあったけれども。

 カメラのフィルムは本日はカメラ屋が休業だったので明日にまわす事にします。ちゃんと撮れていればいいけど。