十一月 三日、月曜日、文化の日の話
平日と休日の作業効率の違い

 この三連休はコーヒーと紅茶を飲んでましたが……。

[◆]やっぱり遊んだ三連休

 結論から言おう。カフェインはやっぱり大切だ。ある程度、頭がはっきりする。立派なカフェイン中毒らしい。だがしかし、そこからさらに作業するかと言うと、やる気がある間はいろいろと作成できるのだが、ご飯とか犬の散歩とかで一旦作業が途切れると再度、取り掛かるのが困難になる。食後の休憩と称してゲームしたり少しパソコンから離れていたからネットサーフィンしたり……。

 実はこの三連休で作りたいものが増えた。今、僕が作ろうとしているものは全て PHP で作られる三種類。小説投稿サイト、アスキーアート閲覧ページ作成プログラム、そして、チャットシステムの作成である。実は、この連休に入る前にとある場所でフリーのチャットシステムの中に入る機会があった。

 そのチャットはパスワードが設定されており、パスワードを知らない人は入れない、と言うことになっていたのであるが、そのチャットはひょんなことから僕に侵入を許したのである。なんということはない、アクセス解析に引っかかっていたどこから来たのかを示すリンクを逆にたどったら、チャットに入れてしまった。パスワードがアドレス上に乗っかっていたためだ。

 警告がてら誰も入室していないことを見てチャットで発言を残すことにした。どうやって侵入できたのかを暗喩することを含めてサイトに来てくれたことのお礼を言い、その場を去ったのであるが。その後のチャットでいろんなサイトへのリンクを張っていた人が非難されたりしていたのでまずったかなと感じたが、僕が見ている目の前でチャットが進んでいくのを見れば彼らにとっては既に機密性がないことを教えておくのはいいことだろうと思う。監視しているのが僕だけとは限らないからだ。

 その後、彼らは人の名前などが残っていたログを削除し、パスワードを変える旨を告知し、やがてパスワードが変更されて僕は入れなくなった。また同じ轍を踏まないことを祈るとします。にしても、どうやら平日は学校で会っているらしいのに、チャットルームを持っているのはなんなんだろうか。共同でのネットめぐりかなぁ。リンクを書き込むこと意味を持っているならば、気をつけて欲しいところだ。

 さて、ここで気になったのが利用されているチャットの仕様だ。パスワードを URL として保持するのはシステムを作りやすいとは言え、非常に問題だ。既に僕が侵入できた問題がある。なんか他に四万以上のチャットルームが存在しているらしいが、その全てにおいてチャット内容が駄々漏れの可能性がある。間違いなく、数百チャットは第三者の監視を受けているだろう。僕は自分の存在を明らかにしたが、明らかにしなければチャットしている人たちは気がつくことなく発言を重ねていくのだから、見ているだけでも面白い。子供の発言を見守る親がどれだけいるだろうねぇ。

 で、この程度のチャットシステムなら PHP で僕も作れそうである。もっとセキュリティ性の高いものを。先ほどのチャットシステムと比べるならセッション等は使えないが、使う必要があるのかどうか。アドレスを通さないとパスを渡せないわけではないのである。作り方の問題だ。ついでに複数行書き込めるようにして利便性もあげちゃんうもんね。

 で、とりあえずチャットの基幹部を作り、最初はサイトの部分的なものとして作っていたのを複数のチャットを管理するサイト型にも対応できるよう仕様を増やした。チャットシステムは増殖中である。

 それはまあいいとして。肝心の小説投稿サイトは、と言われると一旦座礁に乗り上げて対策をしたようなしなかったような。対策らしいものを取り入れて、それで対処できたかどうか確認してないと言うやる気のなさである。もう表から見える部分は完成しているので、後はデータベースと連動させてちゃんとデータのやり取りを出来るかどうか、と言うところになっている。つまり、第四段階の入り口には来ているのである。

※補足
第一段階:PHP の習得
第二段階:PHP によるサイト製作
第三段階:MySQL の習得(九割がた飛ばし)
第四段階:MySQL の整備とサイトとの連動
第五段階:試験運用
第六段階:仕様の見直しと修正
第七段階:本運用
第八段階:増殖

 そして、なんでそういうところの作業が進んでいないのかというと、連休の七割がたをモンスターハンターにつぎ込んだからで、やっぱ休みの日は作業のほかに出来ることが多すぎるんだな、と思った次第である。休みの日は開き直って遊ぶことにするかなぁ。休みの日には基本的に作業しない、と言うことにすると気が楽ではある。別のところで気が重くなりはするが。

 どうしたもんかねぇ。

[◆]柿のおいしい季節

 京都の西側山の手、大枝(おおえ)と言えば柿の名所であるらしい。今日は外食と言うことで大枝のほうに車で移動したのだが、そこらじゅうで柿が販売されている。こういう地域的なことを知らないと言うのは、やはり都市化されているということなんだろうなぁ。別に地域の名産を知らなくてもなんとでもなると言う。スーパーがあれば食べ物は何でも、と言うのはやはりまずいのだろう。

 母親の行きつけの販売所では柿のほかにナスやミズナやキャベツを売っていたが、驚くぐらいに安い。キャベツってまるごとひとつ百五十円だったっけ?

 籠に入れられたナスを袋に入れてもらう様はまさしく八百屋であるが、その風景を見ていればスーパーの売り方って言うのはなんとも味気ないもので。そりゃ、都会で生きていればいろんなものを失うよ、人は。

 大切にしたいものだと思う。でも、物理的な距離はいかんともしがたい。利便性って言うのは、本当、何かを失う副作用があるもんだねぇ。