十月一七日、金曜日の話
単語の読み方についてあれこれ

 上の人の注意をまともに受けてはいけない、と感じたね。

[◆]注意にうんざり

 「押下」という単語がある。文字で書けば簡単で意味はすぐに分かると思うのだが、さて読み方はとなると僕はすぐに思い浮かばず、とりあえず「おしした」と読んでみた。とりあえず意味は通じるであろう。で、上の人から「勝手に読み方を作るんじゃない」と一〇秒程度の説教を食らい、「押下」は「おうか」と読むことを教えられた。そういや、判子を押すことを「押印(おういん)」と言いますね。しかし、あまり常用する単語ではない。

 まあ、やや仕事単語だなーと思いつつ席に戻ったら、さっきの上司が他の上司と「押下をどう読むか、私も調べてようやく分かった」とのたまっている訳です。調べないと読み方が分からない単語なんかい。まあ、文字として書いた僕が読み方を調べなかったのが悪かったのだろう。

 それが昨日の話で本日。作業説明の際の単語の読み方の注意二番目は「 enable 」である。「 be able to 」の able (エイブル)に似ているので「エンエイブル」と読んだら違うと言われ、調べてみると「イネーブル」らしいと分かり、ついでに説明するに当たって使うもう一つの単語についても読み方を調べた。「 False 」である。読み方は「フォールス」。

 と、いうわけで再度説明。「アジャックスのアップデートパネルを使って各項目のイネーブルのトゥルー、フォールスを切り替え、」と横文字ばっかで気持ち悪いなぁと思っていたら、「フォールスじゃなくてファルス」という注意が飛んだ。案の定。

 「フォールスです。調べました」と言えば「今までファルスって読んでたけど」としれっと言う上司。読み方を勝手に作るなって言ったのはどこのどいつですか。結局のところ、単語の読み方が正しいかどうかを問題にしているのではなく、自分が正しいと思っている読み方と合致しているかどうかだけで注意する、しないを分けているんですよ。おそらくは大抵の人がそうだろうし、僕も同じことをしている可能性はとても高い。

 今回の例は一例だけれども、似たような事例は他にも出てくるんだろうなぁと思うと、上司の注意を鵜呑みにすることなんてできやしない。とりあえず、口では分かりましたと言いはすれども心は苦笑いである。ちなみに、Ajax の正しい読み方はエイジャックスです。アジャックスは日本国内でしか通じません。

 ここ最近、ずいぶんと僕自身が不快と感じる事柄が増えている気がする。やはり、寝る前にモンスターハンターで遊ぶのが悪いんだろうか。睡眠不足に陥りやすくなるしなぁ……やってはいけないと思いつつやってしまう自分の弱さに涙&カプコンに乾杯。仕事に影響が出ないようにしたいもんだ。まあ、仕事は生活の続き、切り離せないものなのであるが。

[◆]能力を形にする/人は能力では釣れない

 人の能力は大抵の場合、形になる。それが友人の数なのか街中にそびえ立つビルなのか、はたまた人の集まるサイトなのか国の運営に口を出す多さなのか、その形はさまざまなものになるだろう。しかしながら、大抵の場合、能力は人を釣れない。例えば、とても勉強できる人がいるとする。一流の中学、高校、大学を出て、一流の企業に入社してがんがん稼いでいるとする。さて、この人を心から慕っている人はどれぐらいいるか。

 慕っている人、となると多いのか少ないか、これだけでは判断に迷う人は多いのではないだろうか。ノーベル賞をとった人たちを心から慕っている人はどれぐらいいるか。多いかもしれないし、少ないかもしれない。

 ここで疑問。なぜ、多いのか少ないのか判断できないのか。僕の回答としては、題目に示している通り、能力では人を釣ることか出来ないからである。たかる人はとても多いのであるが。能力が高い人のもとに集まっている人たちの大半は、その人がその人だから集まっているのではなく、その人がその能力を持っているから集まっている。目的は人ではなく能力。夜の電灯に虫が集まるのは、電灯が好きなんじゃなくて電灯の放つ光に寄って来ているだけに過ぎない。

 人を集めるに当たって、ここはとても注意が必要だと思う。能力は大抵の場合、年をとれば失われるものだし、期待された能力が発揮できなかったりすると途端に人が離れてしまう。人が集まっても、その人のために心を砕いてくれる人はいない。彼らはたかっているだけだからだ。

 ここで僕の話をすると、僕が自分の会社のために働こうとする意識が弱いのは、僕が会社にたかっているからなのだろう。同時に、会社も僕にたかっている。僕は会社から出る給料が目当てで、会社は僕の労働が目当てだ。会社は能力主義だし、僕はこの会社の経営陣ではない。

 人を釣ることができるのは人の心だけだ。人の心を掴むことが出来る人にしか、心から慕ってくれる人を集めることはできない。心が繋がっていなければ、人は他人に対して全力を発揮しない。そういうところが人にはあると思う。

 僕は組織を作るならば、能力を売りにはしたくない。もちろん、行動しなきゃならない事は行動しなきゃならないし、そうした行動の中には個人の能力が必要なものもあるだろう。しかし、本当のところは、個人の能力の必要な行動ってそんなにあるもんじゃないんじゃないか。みんなでやればいいじゃないか。組織ってそういうもんだろう。

 出来れば将来には、晴れた日に野原に座り込んで、みんなでぼけーとしていたいものだ。そんな日が来ることを夢見て、今を生きている。