九月二三日、火曜日、敬老の日で祝日の話
ノートパソコン復旧

 現在の自作パソコンに乗り換えた直後に死んだノートパソコンを、本日生き返らせました。

[◆]ノートパソコンのハードディスク換装

 僕の部屋にはハードディスクが死んで使えなくなっていたノートパソコンがありました。ハードウェアスペック的には一応、まだ現役張れるぐらいのものがあります。ただ、内部ファンとCDドライブが死に掛けているので、補助装置がないとそこそこ使いにくいものがあるかもしれません。このノートパソコン、起動させようとすると「OS が見つからない」と言ったエラーを出すのでハードディスクが死んでいる事は分かっていました。

 と、いうわけでハードディスクを買いに外出。ついでに僕の大学ゼミ教授が出した本も買ったり同人ショップへ音楽CD買いに行ったりゲームセンターへ行ったものの遊ばずに外に出たりといろいろと時間を食いました。午後十二時に出て、帰ってきたのは四時間後。店の中で悩みすぎなんだよなぁ。買うべきか買わないべきか。

 帰ってきたら早速、OS をインストール。ノートパソコンはメーカー製なので、レストア CD を使います。レストアとは工場出荷時に戻すものですが、おかげさんでハードディスクのパーティションを事前に切ることが出来ない。いざ OS に異常が起きたらデータも共倒れです。別のパソコンにつなぎゃー取り出せはしますが、面倒なんだよなぁ。最終的に、やっぱりハードディスクはフォーマットされてしまうし。

 さて、インストールが終わったらアップデートなのであるが……さっさと SP 2 当てたら、なんかインストール失敗と表示されたアップデートが108個も出た。SP 2 に当てる前に入れるべきアップデートだったのだろう。失敗と出るのは、おそらくは SP 2 に同じ物が既に入っているからで、再度インストールする必要はないからだろう。多分。

 しかし、アップデートのたびにインストール失敗のエラーメッセージが出るのは気に入らない。と、いうわけでインストールした SP2 を一旦削除して、最初からやり直し。今度は SP を当てる前に、他に当てられるアップデータを全て当てておく。ものすげー時間が掛かるのだが、仕方ないね。

 一日じゃ終わらなかった。また明日も引き続き、やることにする。

[◆]福岡の五歳児殺人事件について

 福岡のほうで母親と公園に遊びに来ていた五歳の子供が絞殺される事件があった。犯人は通夜で「また(殺された)子供を生みたい」とのたまっていた母親であった。母子共に身体に障害を持っていたらしい。殺人動機は子供にトイレ介助を頼んだら「どうしてそんなことをしなきゃいけないの」と言われて絶望したかららしい。

 単純に運が悪かったのだろう。母親にしろ子供にしろ。両方とも障害を持っているという点で既に辛いのに、五歳の子供にトイレ介助を頼むのは相当厳しい。普通の五歳児が親の介助をするなんて事は滅多にないだろう。プッツン来てもおかしくない状態であったことは想像に難くない。限界間近だったのだろう。

 子供を育てる事はかなり重労働だ。子供がいなくなればどれだけ楽になれるか、と言うことを想像したことのある親は少なくないはずだ。子供を産んだ事を後悔した人も少なくあるまいて。

 こうした事件が起こるのは、育児関係において横のつながりがほとんどないからだろう。つまり、ここ最近の親には育児を一時的にでも肩代わりしてくれる人がいないのである。それを親族に求めるか地域に求めるかは状況によるのだろうが、とにかく、現代の親は最初から最後まで一人ないしは二人で子供を育てる必要に駆られている。核家族化という言葉に隠れた人の孤独化が進んでいる。育児に耐え切れない人間が続出していると言うことなのだろう。社会問題っちゃー社会問題だが、政治的に治せるようなものではない。

 横のつながりがなくなってきているのは他でもない、通信手段の発達が理由だろう。といっても、ネットや携帯電話が問題と言うわけでもない。単純に、近所の人と会話しなくても情報が得られるようになってしまった性だと思う。近所の人と会話しなくてもいいという環境は、予想以上に誰からも助けてもらえない環境であると言う裏面を持っているのである。

 最近の子どもは友達が少ないと言われる。しかし、実際にはそれについて言及できるほど、今の親は友達が多いのだろうか。友達の少ない大人もどんどん増えているのではないだろうか。そっちのほうが問題じゃないかなぁ。

 なんともやるせない事件だが、やるせない大人の犠牲になる子どもはさらに増えることだろう。それこそ、殺されるために生まれてきた子どもである、と言うぐらいに。