九月 八日、月曜日の話
冥王サーバのOSを入れ替えるかなぁ

 どうにも継ぎ接ぎだらけになってきたような気がする。

[◆]必要なデータがありません

 冥王サーバは OS に Linux Fedora Core 6 を使用している。オープンソースオペレーティングシステムってことで誰でも無料でダウンロードし、インストールすることが出来る。バージョンアップもかなり盛んに行なわれており、将来性は十分にある。ただし、システムの操作は基本的にラインコマンド方式( CUI )なので Windows と同じ感覚で扱うことは出来ない。クリックで操作もある程度は揃ってきているとはいえ、ソフトのインストールなどはコマンドで行なうので覚えるまでに一苦労あるのは間違いない。

 さて、Linux はソフトウェアのインストールに際して Windows ではあまり見られない状況が起きる。必要なプログラム、もしくはライブラリがないのでインストールできません、と言う状態。Windows の場合は大抵の場合、必要なデータはインストーラーに封入されている。ゆえに問題が置きにくいのであるが、 プログラムソースからコンパイルしてインストールする時に Linux ではまあまあ直面したりする。最近は RPM と言うインストーラーに相当するプログラムが配布されているので、それを使えば問題ないような気もするが、Linux ではソースからオプションをつけてコンパイルしてインストールという流れが一般的なため、RPM はなんとなしに使い辛い。オプションの有り無しでソフトそのものの動作が多少変わるので出来合いのものは疑問符がついてしまうのである。動作そのものを変えられるのがソースからコンパイルするメリットではあるが、必要なデータが事前に揃ってないとインストールできなかったりするのでちょっと困った。

 ここで問題なのは「必要なデータがない」と言う部分。なんでないのか。本来ならばあるはずらしいのだ。インストール説明ではこんなところで躓くようなことはないらしいのである。というか、ある事が前提で書かれてるもんだから対策を別途、調べないといけない。なんともめんどうである。

 あるはずのものがないというのには心当たりがある。Fedora Core についているソフトウェア自動インストールソフト、「 YUM 」。こいつは一つのソフトウェアをインストールしたいとき、そのソフトが必要とする別のソフトも一緒にインストールしてくれる頼もしいソフトである。が、デメリットがある。一つのソフトウェアをアンインストールしたとき、そのソフトに関係する別のソフトも一斉に削除してしまう。削除されたソフトの中にここでは関係がなかった別のソフトが使っているものがあったとすれば、本来、関係がなかったはずの別のソフトも使えなくなる。何回かソフトの案インストールは行なっているので、どこかで今回、必要となったデータが削除された可能性は否めない。

 もっかい、その削除されたデータをインストールし直せばいいのであるが、必要なデータの名前が分からないとインストールしようがない。コンパイル時に「これがないからエラー」と言う形で必要なものの名前は出ているのだが、YUM でインスールをかけてみるとそんなパッケージはないと言われる。

 ずいぶんと継ぎ接ぎが目立ってきた気がするので、ここいらで OS をバージョンアップしようかなぁと考えているわけである。最新の Fedora Cora は 9 である。使い勝手もさらに良くなっているだろうから、次の土日に入れ替えることを検討している。サーバ利用者に連絡しないと。

[◆]「君の代わりはいない」←大嘘 は大抵は正しい

 時刻は午後八時を回り集中力なんかとっくに切れて仕事なんかできず、早く帰りたいと思いながらもお客さんのところで起きたトラブルに対応するために担当者に連絡を取ろうにも電話に出てくれなくて帰るに帰れない状態に陥っていた。やることはひたすら2ちゃんねるニュース速報 VIP でネタを見ることぐらいだ。

 ここで一つ面白い題名のスレッドが目に付いた。

「君の代わりはいない」←大嘘

 ちなみに、第1レスは『「自分のできることをやればいいよ」←何もない』で以下延々、いろいろな人の自虐的なレスが続くのであるがそれはさておき。

 君の代わりはいないというのが大嘘と言うのは、大抵の場合、正しい。現在の社会は庶民レベルにおいては人が生来持っている気質や魂の形と言うものまで必要とされるほど、個人が専門特化している社会ではないからだ。それが必要となるのは相当上級の人間だけである。

 一般レベルにおいては「この人でなければならない」という場合は滅多にはない。なぜならば、そこで行なわれている仕事というのは経験を積めば誰にでも出来るほどに汎用的な仕事しかないからだ。経験をたくさん積めば職人芸ともいえるほどに効率よく精密な仕事ができるようになるだろうが、経験を積みさえすればほほ全員が同様になってしまう。これが伝統芸とかならば本人の資質も試されるのだろうが、ごく一般的な肉体労働職、事務職、会社員等は教育しさえすれば誰でも同様の仕事ができるように作られている。一般レベルにおいて、代わりがいないなんて事はまず起こり得ないと考えてよい。

 しかし、代わりがいるから自分はやらなくてもいいや、となることは難しい。自分がやらなければ衣食住は確保できないからで、自分は何もしなくてもよいというのは残っているのは死ぬことだけの場合のみに限るだろう。自分に対して、自分という存在は代えが利かないからである。

 つまるところ、一般水準において自分以外のものならばほとんど代わりがいると考えてよい。必要なのは人の気質や特徴ではなく、労働に耐えうるかどうかしか問題にされないからだ。一定の労働ができるならば誰でもいいのである。その部分において、『「君の代わりはいない」←大嘘』は成立する。

 「他にやる(できる)奴なんかいねーよ」と思われるような仕事なんてそのあたりに転がっているようなものではない。転がっていたとしても、拾える人間は限られる。……拾える人間になりたいもんだ。もしくは――作り出せる人間に。