六月二六日、木曜日の話
生活パターンが固定化してきた

 ここのところ、同じ一週間を繰り返している。

[◆]生活パターンが固定化

 五日間仕事して夜はゲームで遊んで、二日間ゲームやネットで遊んで、また五日間仕事して夜はゲームで遊んで、二日間ゲームやネットで遊んで、となんだか変わり映えのない生活をしていると感じる。いや、おそらく一般的には仕事がある生活が板についたって感じでいいことなんだろうけれども、僕にとってはいいことではない。そのルーチンの中に会社以外から収入を得るための行動が一切含まれていないからだ。

 今の会社がいいかと言われると、首を横に振る。労働時間が長くて嫌だ。サービス残業ありきで成り立っているのが嫌だ。まあ、これでも土日があるだけいいと言われるけれども、こんな状況じゃ結婚もできない。まあ相手いないけど。

 世界群歩行者達設立を夢見て、それを目標に掲げているけれども、ゲームの前にへし曲がっている感じだ。ついゲームをしてしまう。それは僕に目標にたどり着けるだけの強い意志力がないって事の現れである。ゲームをする元気があるなら家に帰ってからもプログラムをいじれるはずなのだ。多分。

 やはり、モンスターハンターを買って遊ぶどころじゃないんじゃないだろうか。なべなべ君から打診を受けて遊んでみようかなと思ったけれども、今僕がはまるべきなのはゲームなどではない。小説投稿サイトなのである。今を取るか未来を取るか。未来を取りたいと願っていても今が目の前にいる以上、その魅力を凌ぎ切るのは容易ではない。

 この固定化してしまった生活を脱することができるだろうか。サイト構築が進めば脱することができるのだが、あーもー、家に帰ってからバリバリプログラムを組めるようになりたいよ。どうしたもんやら。

[◆]秋葉原事件後のネットの殺人予告乱発について

 秋葉原の無差別殺人事件のあと、インターネットの掲示板じゃ殺人予告や爆破予告が何十人もの人間によって行われ、逮捕者や書類送検された人が次から次へと出てくる状態になっている。単なる殺人予告なら時々に出てきては逮捕者が出ていた程度だったが、今は秋葉原の事件に影響を受けてと申告する逮捕者が多く、つまりはきっかけがあればそういう行動に出る人間が内在的に多かったということを示すのであるが、なんだか新聞を見ている限りじゃまるで善人だった人が突然悪人に変わったかのような、「突然悪人出現説」と短絡的な名前がふさわしいような説が飛び交っている。そうではないだろう。破裂直前の風船がすでにたくさんあったというだけに過ぎない。

 従来ならば、破裂しかけているのは仕方ないとして、破裂しないように扱うはずだった。それぞれの人間が、ぎりぎりのところで何とかやりくりしていたのであるが、それが時代の流れと共に状況が変わった。何が代わったかって言うと手段が変わった。よく見れば分かるのだが、現在の逮捕者のすべてがインターネットを通してネット上の掲示板に行っている。つまり、より便利な発表方法が今はあるのである。昔はなかった。殺人予告なんて相手に直接手紙を送るか新聞社を通すかテレビを通すかしかなかった。そこには複数人の壁が存在していた。今は個人の判断で個人の行動で広範囲に発表することができる。そのために殺人予告をするための敷居が低くなっているのである。

 情報のやり取りの敷居を低くするのがインターネットの強み。情報は国境すらも軽く越える。それゆえに、インターネットが広まる前までは外に出ることもなかったような質の低い情報までも垂れ流される状態となった。溜まった水が簡単にあふれ流れていく時代となったのである。

 では、今の状況を是正するにはどうしたらいいのか。一番効果があるのは、利用する人間の質を高めることだろう。質の低い情報を外に漏らさないような人間を育て上げればいいのである。これは他の所でも効果があるだろう。しかし、この対策の問題点としては時間が掛かるのと教育の難しさがある。並大抵のことではうまく行かないし、すでに教育できないぐらい年齢が上がっている人間に対応できない。

 そして今、みんなが注目しているのが手段の制限、つまりはインターネットに制限を課して敷居を上げる方法だ。これは外からの圧力であり、不満を発生させてしまうが万人に対して有効である。人の質が高くない間はこちらで時間を稼ぐしかないだろう。ただ、人の質って言うのは鍛え続けなければ下がってしまうものである。人の質が高ければそもそも質の低い情報を垂れ流さないと踏んで、敷居を高くし続けておくのもいいだろう。

 今回のこれらの殺人予告で注意しておかなくてはならないのはすでに破裂寸前の人たちが大勢いるってことで、また殺人予告なんてものを出すのは誰かに止めて欲しいからだ。邪魔されるのを待っている人しか予告なんてしない。大人達は、そうした予告に一つずつ対応してあげることが必要だろう。

 結局のところ、今の世の中は病んでいるのである。