六月二三日、月曜日の話
仕事をしていたのが三〇年前だったかのようだ

 土日を過ぎれば、まるで三〇年間仕事をしていなかったかのような気分になりました。

[◆]三〇年前?

 出社してみたらまるで三〇年間、まったく仕事をしていなかったかのような気分に囚われました。つまり、金曜日にどんな仕事をしていたのか、ちゃんと思い出せなかったってことなんですが。三〇年は感覚的なものです。そもそも、本日は何か気分が優れず、仕事をしようにも何をしているのか何をするべきなのかが頭に入りにくい及び理解できない状態で踏んだり蹴ったりです。

 土曜日と日曜日がまるで三〇年の休みだったかのような感覚。三〇年は長い。けれども、この土日にはやるべきことが何もできていなかった。つまり、たとえ三〇年の時間が手に入っても、僕は何もできないのではないか……と感じます。

 自分自身が削られるって言うのは、こういう気が遠くなるような、首を絞められているような感覚のことを言うんでしょうかね。

[◆]だめだめな一日

 プログラムの仕様説明を受けてもまったく理解できず、プログラムの構造のイメージも湧かず、時々書類の文字が一瞬読めなくなるとかひっどい有様でした。プログラム作成で「考えてみろ!」と言われても頭の中じゃ幼少時代に見たアニメが再生されていたりゲームのプレイシーンが再生されていたりともはや仕事どころじゃありませんでした。それでも急ぎのプログラムだというから午後八時まで会社で粘ってみてもどうしようもなく、結局日本語が理解できなくなったあたりで撤退しました。

 家に帰ったらご飯を食べてばったりと寝ました。午後十時の話です。パソコンでインターネットもせずゲームもしないで寝れるのは至福だと思いました。特に疲れているときは。

 明日は元気であることを願いたいです。