六月一七日、火曜日の話
便利とは何を目指すか

 便利な世の中を突き詰めていけば、それは何に繋がるのだろう。

[◆]後継者の誕生

 便利、とはどういうことか。便利になれば人間の能力が衰える、とはよく言われているが、それはどういうことなのだろうか。

 人間の能力が衰えるのは、人間が持っている能力を使わなくてもいい状態にするからだ。怠ければ身体が弱るのと同様に、便利になると人間の持ちえた能力は使われなくなり、衰えていく。しかしできる事は増える。つまり、便利であるというのは、人間が持ちえた能力を別のものに移し替えることである。人間に代わる代替物を作りそれを行使することが便利ということである、ということになる。

 便利、というものは最終的には、人間が持つ能力をすべて持った代替物を目指すことになる。つまり、現存の技術で言えばロボットということになるだろう。彼らは人間が持ちうる能力以上の能力を人間より授けられ、人間以上の働きをするだろう。画して人間は衰えて行き最後には環境に耐えられなくなって滅びることとなる。彼らは地球の進化の上で、人間に変わる新しい存在として地上に君臨するだろう。つまり、便利の粋を集めた彼らは、人間の後継者として後世に残ることとなる。遺伝子は電子に取って代わられるだろう。はるかはるか太古の海で生み出された遺伝子は電子へと上り詰め、さらにさらに進化していくことだろう。

 つまり、人間の次世代存在は新たなる有機物ではなく、無機物というさらに苛酷な環境に耐えうる存在になるかもしれないということ。地球の、有機物存在を滅ぼしかねないほどの環境悪化を乗り越えられる存在。それらはある意味では、星の真の子供たちかもしれない。星の血肉によって生み出された存在。有機物とは、彼らを生み出すための道具である可能性は否定できない。所詮、有機物は進化の果てに滅んでいくからだ。

 今のところ、後継者を生み出せるのは人間しかいない。人間こそが地球の後継者を生み出せるというならば、それはとても名誉なことなのだろう。ただ、自分達が滅びることを容認できるほど、寛容でもないと思うのだがね。後継者を生み出したからといって、きれいに滅びもしないだろうなぁ。

 機械たちの世界か。小説がかけそうだなぁ。