六月一二日、金曜日の話
ネットの孤独感

 秋葉原の事件で犯人のネット依存に関する話が出てきたせいか、身近なところでも似たような話題が出てきたので言及しておこう。

[◆]ネットコミュニティ

 インターネットの掲示板の付き合いにおいて、通常は共通の話題で話せる人たちが一つの掲示板に集まり、意思疎通を行う。大抵は特定できない人たちと意思疎通をすることになるのだが、付き合いが長くなるとハンドルネームをもつなど特定できる人が現れ始め、特定できる人たちばかりが集まる集合が生まれることがある。この特定できる人たちの集まりは初期に集まった理由である共通の話題を越えて付き合い始めることになり、いわゆる有効が生まれる。

 次に、インターネットという環境は実際に一箇所に集まるよりも個々人の存在が非常に希薄である。一箇所の喫茶店のテーブルに集まったとき、会話が存在しなくてもお互いの存在は確たるものとしてあり、それぞれに影響を与え続ける。対してインターネットの掲示板の一箇所に集まったとき、発言しない人は存在しないものとして扱われる。つまり、無意味にでも声を上げねば存在しているとは扱われない。何か意味のある発言をしなければならないと感じる人であった場合、掲示板の話題がまったく口を挟めないものであったときにはいつまで経っても発言できず、次第に鬱屈した思いに囚われてしまうことがある。

 鬱屈した思いが蓄積すると場合によっては、掲示板での友人達が自分を必要としていない、とまで思う場合があるらしい。そこまで行かなくても、参加できなくて寂しいと思うことは多々にある。対処法としては何でもいいから声を上げて、自分に合う話題を持ち込むことである。場の雰囲気を壊したくないとなると、発言する機会はしばらくは訪れないことになるだろう。

 ネットコミュニティに参加する人は、ネットコミュニティの希薄さをしっかりと理解している必要がある。希薄さを理解すれば、流れを持ち込むことも容易になるだろう。また、ネットコミュニティに自分の居場所をつくろうとは思わなくなるだろう。ネットコミュニティは所詮、遊び場よりも上の存在にはなれないのである。