六月 九日、月曜日の話
結局、午前二時

 ああ、午前二時まで起きてしまった

[◆]午前二時就寝

 金曜日には早く寝るよう心がけたのに、日曜日は午前二時まで起きてた。何してたかって言うと、日記書いてた。ぐはー。

 日曜日はついつい遊んでしまった。遊びすぎて日記書く時間のことをすっかり忘れており、午前二時まで書きまくっていたわけである。いや、そんなに書くことなかったからそんなに書いてないけれども。

 と、いうわけで本日はやや頭がぼんやりしている。それでも頭が働いてくれている分だけましだけれどもね。これで自分がしていることが何か分からないということになったら本当にしんどかっただろうなぁ。

[◆]秋葉原の無差別殺人事件について

 昨日の午後十二時すぎに東京の秋葉原において、歩行者天国にトラックで突っ込んで人を撥ね、さらにナイフでめったざしにして殺した人間が現れた。重軽傷者十人、死亡者七人に上る最悪水準の事件。無差別かつ、事件動機が「生活に疲れたから」ではどのような防犯策も意味を成すまい。しかも、犯人は僕より一つ年上なだけ。あがってきた情報を見る限りでは高校まではずいぶんと頭がよかったようだ。大学には行ってないようだけれども、それはあんまり関係ないか。いやあるか。

 青森出身で派遣社員として静岡に飛ばされて、生活に疲れたのでレンタカーのトラックで静岡から東京に行き、事件に及んだ。直前に携帯用掲示板にその時その時の気分や状況を実況していたというから、まあまあ精神状態は確かだった様だ。

 ある意味では単純な事件だと思う。生活に疲れたから別に最後でもないのに最後に一つ、ということで大量殺人に及んだのだろう。とても短絡的。警官に銃を向けられてあっさりナイフを投げ捨てたというから、自分以外の人間はみんな死ねばいい、そうすれば自分は楽になる、というところだと思うね。それぐらい単純でなければ無差別殺人なんてしない。

 人生のどこかで燃え尽きちゃったんだろうなぁ。一時期までは頭は良かったけれども(高校の卒業文集は全部英語だったらしいし)、頭が焼ききれてなんともいえない生活を送っていたのだろう。結果としてさして良い職場にもいけず、収入少なく楽な生活もできずってところか。そういう意味じゃ、燃え尽きた人ってなんとも寂しいね。満足できる人生を送れやしない。

 僕の考えが正しいという確証はこれっぽっちもないのだが、マスコミは心の闇とか社会の闇とかそういうことを言っておしまいにするだろう。実に楽な言葉だね。Xファイルみたいに未解決の事柄を何でも放り込めるんだから。まあつまり、解決不能である、と言っているようなもんなんだけれども。

 原因不明。つまり、原因が特定できないほどに状況が慢性化してしまっていて自分達ではどうしようもできない。空しい事に日本人の大半がそうした自分達の状況に感づいているものだから、さして驚きもしない。いずれは起こるもの、でも自分の身には起きないで欲しいと望みつつ生活をしているのである。社会がねじれていることなんて誰もが分かっている訳で、本当は防ぐ手立てもない事なんかみんな分かってる。だからこそ、実際にはそれほど騒がないのである。被害者の遺族以外は割りと早くに忘れていくだろう。その辺り、日本は達観してるんだか悲しい民族なんだか。

 ひとまず。現状を改善したかったら学歴社会であることを辞めなければならないだろう。学歴がないとまともな収入を得ることができないのは問題。犯罪を起こしている人の大半が低所得者である。まともに収入があれば「生活に疲れた」なんていう人はいなくなるだろう。「人生に疲れた」ではないのがポイントだね。

 日本は学歴社会を辞めることができるか。答えは無理。資源がない以上は頭で勝負しなきゃならない国であるがゆえに、頭脳戦から逃れることはできない。少し前までは日本国内の相手とだけ戦えばよかった。今は世界と戦うのに躍起になっていて頭脳戦は加熱するばかりだ。と、いうわけで次善の策としては頭脳戦を緩和すればよい。つまり、世界を相手に戦おうと思うな。世界を相手にすりゃーそりゃーすごい利益を得ることができるだろうが、それゆえに頭が焼き切れる人間が続出している。小学生から英語なんか覚えさせるな馬鹿者。世の親たちはすでに自分達が頭が焼き切れるほど勉強する必要がない立場にいる。だから、子供の頭が焼き切れることへの心配なんかこれっぽっちも考えない。子供の頭にはいくらでも詰め込めると思っている。さあ悲劇の始まりだ!

 今後はさらに二極化するだろう。頭が焼ききれなかった人間と、焼き切れてしまった人間に。焼き切れてしまえばどんなに優秀な人間だったとしても満足な人生は送れない。そんな人間が増えていくだろう。それはグローバル化の名の下に過熱する教育の元で増えていく。加熱のし過ぎは危険です。

 もっとのんびり生きましょう。