五月一七日、土曜日の話
なべなべ君との会合

 この週末は友人達のために。

[◆]なべなべ君との会合

 なべなべ君と言ったら僕のサーバにおいて18禁イラストの流布を目論む、サイト「猫屋」のイラストレーターであり、もうすぐ漫画雑誌に連載開始かとの情報もある漫画家の卵です。本日は僕のサーバのスペースを貸すための書類一式の手渡しと、説明のために僕の家に来てもらって、さらに日々のおしゃべりのために一日を費やしてもらいました。

 午前十一時。なべなべ君が僕の家に着て、サーバの説明そっちのけで最近のアニメ業界に対する不満や考察を述べ合いました。内容を客観的に見ればそれは個人の好き嫌いに収まる話かもしれませんが、それはさておき。大きな議論として分けて、さらに題名をつけるとするなら「映画制作者、アニメ製作者の恣意的な“感動どころ”の存在」、「観客は何を求めて映画館に行くのか」、「キャラクターの性格に合致していない服装の意義−アニメ製作会社の苦肉の策」、「ここ数年の若者は何を好むのか」。


映画制作者、アニメ製作者の恣意的な“感動どころ”の存在
 なべなべ君は映画やアニメによる「用意された感動どころ」というのが嫌いであるらしい。例えば戦争が起きている場所では兵士が死ぬわけだが、それはいたるところで起きている光景であってわざわざその兵士の直前の生活風景を見せて、いわゆる「死亡フラグ」を立てさせて、それから敵に殺されて仲間が死んで悲しんでいる兵士を出すのは自然なことなのだろうか。戦争中に仲間が殺されるのは悲しいこととしても、その悲しむ当人も戦地にいるわけで、戦っている最中に悲しむことなんて普通はない、とのこと。これは僕も賛同する。戦っている最中に悲しむ事は普通はないだろう。悲しむならば戦闘が終わったあとだ。
 が、最近のガンダムあたりになると仲間が殺されて悲しんでいる人の姿が普通に出てきたり、兵士が死んでいる最中に歌声を重ねて悲しみを演出したりと、あけすけなものが多い。これはなぜだろう。
 僕の考察では、日本が平和だから、という答えになる。つまり、アニメを見ている世代の日本人は実際に戦争にいったことがなく、また親しい仲間が死ぬといった悲しみを味わったことがない。ゆえにアニメ製作会社は悲しみを分かりやすくするためにそういう演出にしたのではないか。現実性は薄れる事は間違いないが、感情的に分かりやすくはなる。本物を知らない人には偽物で十分、という考え方はあるかもしれない。

観客は何を求めて映画館に行くのか
 なべなべ君はアメリカの隕石映画、「アルマゲドン」を見に行った。彼は宣伝をまったく見ずに行ったので純粋に映画を見て楽しみ、笑い、悲しむことができた。が、後日、宣伝を見てみると笑どころや泣き所というものが公開されてしまっていて、宣伝を見た人はどこで笑えばいいか泣けばいいかを最初から知っていた状態になっていた。つまり、宣伝を見て映画を見に行って悲しみ所で悲しんでいる人は、映画を見て悲しんでいるのではなく、悲しみどころで悲しんでいる自分に酔っているだけではないか。中には悲しいのは嫌いだという人もいる。悲しいのが嫌いなら見に行くべきではないのに見に行くのは、そうだとしか思えない。
 そういう人がいるのは結局のところ、本物の経験ができないぐらいに日本が平和だってことなんだと思う。例えば実際に目の前で愛する人が死んだ経験を持つ人が、アルマゲドンを見に行って感動するかといえば難しいところだと思う。いくらかはシニカルになりもするだろう。平和であるからこそ、擬似的な感情の流れで満足するしかない。ある意味、感動映画とは感情の洗脳だよねぇ。あと、悲しんでいる自分に酔っていることに自覚的な人もいるだろう。それはその人の楽しみ方なので、本来はとやかく言うべきではない。

キャラクターの性格に合致していない服装の意義−アニメ製作会社の苦肉の策
 最近のアニメなどでは、キャラクターの性格と服装が合致していない場合が多すぎる。恥ずかしがり屋の人が肌の露出度の高い服を着ることはないだろう。人目を引く服装は避けるはずである。そのようなことが分からぬこともないだろうに、なぜそうした性格と合わない服装をしたキャラクターが量産されるのだろうか。僕の考察では、簡単に言えばフィギュア化を狙っていると考える。キャラクターの服装に関して直接的に影響を受けるグッズといえばフィギュアである。
 アニメ業界では、その収入の大部分はグッズによる収入である。まず、テレビでの放送料はテレビ局のピンはねを食らって微々たる物であった(広告収入−テレビ局の取り分=アニメ製作会社の取り分)。そこで、アニメ業界は映画編を製作して別途収入を計っていたが、インターネットが普及したことにより、データ化できる映像部分では収入がひどく限られてしまう状況に陥ったのである。お金を支払わずにアニメや映画を見る人が大量に出たわけだ。アニメ業界としては頭痛以外の何者でもないだろうが、そうなってくると収入の目玉となるのはデータ化できないフィギュアなどのグッズである。
 アニメを見ている人に比べればグッズを買う人の数なんて半分以下だろう。そうなってくると、アニメを見ていない人にも売りたくなってくる。では、どうすればいいかというとアニメの内容を知らなくても買ってくれるようにエロ要素を出すしかないわけで、エロ要素を持ったグッズを作るためにアニメにおいてキャラクターにエロい格好をしてもらわなくなければならなくなったと。やっぱエロは切り札だなぁ。

ここ数年の若者は何を好むのか
 この題目に関してはまともな議論がなされたわけではない。僕らも若者に入ってしまうわけで、なんとなくの雰囲気は分かるもんだから難しくは考えなかったのだろう。まだ、若者の市場を考える程に年は取ってないかもしれないが僕の場合はそうでもないな。
 近年、若い人たちの方向性を見ると理工系へと進む人が減少し、文系へと進む人が増えている。勉強した科目も科学的なことから心理系へと進んでおり、物質文明への欲求がほぼ満たされている状態となってきた。つまり、科学的、および技術的な発展は必要ないと若い世代は考え始めているわけだ。ゆえに、そうしたものから離れた心理的、人間的なものへと興味が移行し始めている。経済の発展を望む旧世代は悲鳴を上げたいところだろう。残念なことに若い世代は経済的発展に興味がほとんどない。
 今の若い人たちは何に興味があるかというともっぱら通信に関するものが多い。携帯電話とインターネット。ゲームも通信を利用したオンラインゲームが流行しており、通信インフラが整っていないところには行きたがらない。友人との会話から物品の買い物まですべてネットで済ませる人すらいる。携帯での小説もそこそこに流行しているようなので、どうやらネットに流せてみんなと共有できる何かを求めているらしい。一人一人をターゲットにする時代は終わりかけているのかもしれない。


 ここまで話したところでお腹が減ったのでファミレスに食べに行きました。食事代は僕のおごりです。これぐらいしか有意義なお金の使い道が今のところない。後はお菓子を買うぐらいですが、大した事ないし。

 ファミレスでは近況報告を聞きました。どうやらなべなべ君に漫画雑誌連載のオファーが来ているらしい。東京まで呼ばれて編集長に会い、担当をつけてもらって焼肉を食べに行ったとか。肉がのどを通らないぐらいに緊張したそうで。ふむ、一体どういう漫画を描く気なのか、非常に楽しみです。ちなみに、気になることが一つ。超能力系ってファンタジーのカテゴリに入らないんだってね。異世界まで行ってようやくファンタジーらしい。へぇー。

 ファミレスで会食をしたあとは近くの卸売り店に行ってお店をなべなべ君に紹介。驚きの品揃えでなべなべ君も満足してくれたようです。あそこは本当にすごい。駄菓子系のお菓子もほぼ網羅されているしね。

 あとは家に戻って細かいサーバの設定を行い、寝転んだりネットで動画を見たりロストプラネットを紹介したりとして一日を過ごしました。いやー。楽しかった!

 やはり、友達はいいものです。彼の存在に感謝を。


 明日はイチノイカズイ殿と遊ぶ予定です。この週末は黄金だね。